第十九話 魔力の色

 ヨトの心配をよそに、アンジェはあっさりと冒険者になった。冒険者登録依頼を無事に終わらせたという意味もあるが、それ以上に冒険者らしさを手に入れていた。


 棍棒を振りかぶるゴブリンへ、アンジェは冷静に手のひらを向けるとそこから火花が散り、赤い光がゴブリンの体に触れた瞬間、破裂音と衝撃が強く叩いた。


 ゴブリンは小柄な黒ずんだ緑色の体を仰け反らせる。ゴブリンの体に負傷はないが、それは単に態勢を崩すことが目的だからだ。


「はっ!」

「ギッ……!」


 アンジェは腰を落とし飛び込むように剣を突き立てる。寝かされた刃は肋骨に阻まれることなくゴブリンの命を貫いた。


 アンジェは不必要な魔力消費を抑え、かつ効率が良い戦い方をしている。


 魔術や魔法を使えば魔力は消費される。体に残る魔力が少なければ、無意識下で行っている肉体強化に支障をきたし、動きが鈍くなる。それにいざという時、頼りにすべき手札を残すという意味合いで魔力量の管理は必須だ。


 ヨトと違って、戦い方に理知的なものを感じさせる。


 鮮やかにゴブリンを仕留めたアンジェの姿を見て、ヨトは悔しさに似た何かを感じざるを得なかった。


 とはいえ、ルドバとの戦闘を経験した以上、ゴブリン相手に苦戦しないのも当然だろう。


「怪我はないみたいだね」

「これくらいじゃあな」


 アンジェのくすぐるような笑みに、ヨトは肩をすくめる。


 〈銀冠山脈〉のゴブリンの討伐。ヨトが前に受けたものと同じだが、アンジェと二人なら円滑に終わらせることができた。もっとも、前に苦戦した理由は群れに囲まれたからであり、今回はそんな事態に陥ることはなかった。


 アンジェは剣の握りしめて数回、素振りをする。大きさはやや小ぶりで刀身の幅が広く、ルドバの剣を見た後だからか、心なしか鋭さに欠ける印象を抱かせる。


「やっぱりガルトの剣を放り投げちゃったのは、もったいなかったかなぁ」

「でも、ああでもやらないと、出し抜けなかった」

「そうなんだけどね」


 アンジェの剣はデュセル武具店で購入した安物だ。ファルシオン、と呼ばれる種類のもので、安価であり耐久性が高い代わりに、切れ味が良いとは言えない片刃の剣だ。ガルトの剣に似たものだが、それよりも品質の低いことが、普段武器を見慣れていない二人にも理解できた。


「それにしても……」


 地に伏せるゴブリンを見下ろし、アンジェは顔を歪める。それは魔物とはいえ、自身が一つの命を奪ったことに対する嫌悪感からだ。しかし、心のどこかでは冷めた自分もいて、人間とは違う、魔物なのだから仕方ないと声を上げる。


 そのやるせなさをアンジェは吐き出す。


「魔物の魔力は、赤いんだね」


 その言葉が耳に入った瞬間、ヨトは反射的にゴブリンを見た。黒ずんだ緑の体から流れ出す赤だけで、それ以外の赤色はない。ヨトには見えない魔力を、アンジェは見ていた。


「人間を含めて動物の魔力ってね、誰でもキレイな青い光をしてるんだ。個人差で濃淡はあるけどね。植物は緑色で」


 アンジェは周りの木々に視線を滑らした後、しゃがみこんでゴブリンの死骸を撫でる。ざらざらとした肌をこするたび、赤い燐光りんこうが散っては消えていく様子は、ヨトの目には映らなかった。


「ああ、わたしたちとは違う生き物なんだって」


 だから大きな葛藤かっとうもなく、命を奪えるんだ。


 その表情は色を感じさせないものだったが、どこか悲しげに見えるのは、ヨトの思い込みかもしれない。


  *


 馬車の上で揺られるヨトの鼻先に、肥料の臭いが漂ってくる。農村の周りに敷き詰められた畑の間を、馬車は通っていく。慣れ親しんだはずの臭いと畑の景色は、どこか遠いものに思えてしまう。


 畑と村をぐるりと覆う大きな木製の柵は、魔物や動物の侵入を防ぐための物だろう。柵を抜けると、内側と違い外側には傷がいくつもあった。


 爽やかな風が吹き、草原の青々しい香りに移り変わる。緑を分断する砂利道が伸び、その先に小さな石壁の街が目に入る。そして左手に見えるのは、遠くからでも暗ささえ感じられる〈灰牙森〉だ。


 〈銀冠山脈〉のふもととグリムの間にはケトン村があり、そこからグリムへは定期馬車が通っていて、ケトン村は中継地点として冒険者によく利用されている。

そのため、ヨトとアンジェが乗り合わせた馬車にも冒険者がいた。


「きみたちも冒険者なのかい?」


 そう話しかけてきたのは、ようやく顔から幼さが抜けたという具合の優男だった。といっても、十代の前半であるヨトやアンジェからすれば大きく離れた大人で、子供へ向けるような親しみやすい笑みを浮かべている。


 口調から察するに、彼も冒険者だろう。しかし、鎧を着込む姿は兵士や騎士といった風体だ。そばに立てかけられているのは、弓と矢が入った筒、そして剣。


 粗野な者が多い冒険者とは、雰囲気からして異なっていた。


 ヨトは首だけを動かし、アンジェは、はいと言って返事をする。


「子供も冒険者になるんだね……」


 その呟きには、子供が魔物と命のやり取りをしているという事に、複雑な感情を孕んでいるようだった。決してその声色に、ヨトとアンジェを揶揄する嫌なものはない。


 青年の人柄はおそらく善性で、見ず知らずの子供に憐れみを抱けるいい人なのだろう。だから、二人は怒るでも嫌悪するでもなく、ただ困惑する。


「ああっ! いきなりこんなこと言ってごめん。困るよな」


 恥じるような言いぐさからは、わずかな幼さを読み取れる。


「僕さ、西から来たんだよね。レン王国ってところ。西は魔物がほとんどいないから、冒険者自体がいなくて、戦う人間って言ったら、兵士なんだよ。子供は兵士になれないからさ、子供が武器を持ってるっていうのが、なんというかその、珍しくて」


 取り繕って話す青年の視線は隠すこともなく、ヨトの短槍とアンジェの剣に向けられている。


「……おれたちほど若い冒険者は、実際に珍しい、ですよ」


 グリムにいる冒険者の全員が、ヨトとアンジェよりも年上だ。自分たち以外に子供がギルドを出入りしているのは見たことがない。


 感情を込めないヨトの声に、何か事情があるのだろうと判断した青年はわずかに息を飲んだ。


 冒険者になった経緯や事情を会ったばかりの人間に話したくはなかった。そもそも、アンジェにもはっきりと伝えてはいない。何かあったことは察しているだろうが、聞いてこないのは助かっている。


 話しても、聞いても面白い話ではない。


 でも、いつかは話したいな。


 ヨトがちらりとアンジェを見ると目が合い、苦笑が返される。


 察せられる青年はお人好しなんだろうが、いささか反応は過剰だ。


「あの、あなたの名前は? わたしはアンジェで、こっちはヨト」

「あ、うん、僕はロンド。銅級上位の冒険者さ!」


 会話の流れの変化を試みるアンジェに青年は乗っかった。


「おれたちは、銅級下位です」


 それにヨトが加わることで、微妙な雰囲気は払拭ふっしょくされる。


「きみたちも依頼の帰りだろ? もしかしてゴブリンの討伐?」

「はい」


 アンジェが頷けば、ロンドは話を続ける。


「僕はゴブリンの調査依頼をしてきたんだ。最近、ゴブリンの動きが活発になってきててね。どうも数が増えてきてるらしい。だから、ゴブリンの討伐依頼が多いんだよね」


 なるほど、冒険者はこうやって情報をやり取りするのか、とヨトは感心する。たまたま乗り合わせた馬車の中で、世間話的に。


「一人で依頼をしてるんですか?」


 アンジェが聞くと、ロンドは苦笑いする。これまで貧民街の中をうまく立ち回っていたアンジェは、ヨトよりも大人との会話に慣れているらしい。ヨトはもともとうまく話せる性質たちではないし、敬語を用いた会話となると、どこかたどたどしくなってしまう。


 なので、ここはアンジェに任せてヨトは黙り込んだ。


「そうなんだよ。グリムに来てすぐだから、いまいち他の冒険者と交友が持てなくてね。今のところ、一人で何とかできてるからつい後回しに」

「いつグリムに?」

「だいたいひと月前だね」

「ひと月で銅級上位にあがれるんですね」

「銅級の昇格は、実力さえあればすぐ上がるよ。僕は西のレン王国で騎士をやってたからね。色々、鍛えられてるんだ」


 ヨトは再びロンドの恰好に目をやる。銅級冒険者としては上等な鎧や弓と剣は、騎士の装備をそのまま持ってきたのかもしれない。見るだけで重量を感じさせるそれらは、今のヨトではうまく扱えないだろう。


 すると、馬車の揺れが止まる。グリムの到着したようだ。


 馬車の中をあらためる門衛もんえいに三人が冒険者証明書を見せると、馬車は再び動き出し門を潜る。門の内と外に金属製の落とし格子が仕込まれているのが見えた。魔物の襲撃を見据えたものだろう。確かめるまでもなく、ケトン村の木の柵よりも堅牢けんろうなものだ。


 三人は装備を担いで馬車から降り、御者に銀貨を支払った。


「じゃあ、また。縁があれば」


 ロンドは手を振って去っていく。


「西の方には、魔物がいないんだな」


 思わず漏れ出た声に込められた感情を、ヨトは精査する気にはならなかった。


「そうだね……」


 アンジェは静かに頷くだけだった。

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