第二十一話 勉強会
走る白馬亭の食堂には様々な人がいた。ヨトと同じく冒険者だったり、グリムの外からやってきたであろう商人だったり。ギルドの酒場ほどではないが、なかなかにぎわっている。
「アンジェは、文字が読めるんだろう?」
「うん、お母さんに教えてもらったから」
疲れを隠すことなく、上半身を卓の上に投げ出すアンジェが顔だけを動かし、ヨトを下から見上げる。
「……母さんって、どんな人だったんだ?」
思わず漏れ出たヨトの言葉に、アンジェが目を丸くする。
ヨトはその様子にはっとした。こうしてアンジェに身の上を訊くのは、これがはじめてだった。自分のことは、アンジェに話していないのに。
「すごい人だったよ。大好きだった」
アンジェの言葉と優しい微笑みには、大きく温かな感情が込められているのがヨトにも分かった。
アンジェは体を起こし、自身の両手の指を絡める。
「いろんな事を教えてくれたの。生きる上で必要なこと、大切なこと、全部。回復魔術を教えてくれたのもお母さん。火の魔法だって、寒がりなお母さんを温めないとって思ったから、使えるようになったんじゃないかな」
母親のことを語るアンジェの表情は、どこか悲しそうにも見えたが、それ以上の楽しい思い出が読み取れた。
「……おれも、親からいろいろ教えてもらったことがある。農家だったから、農業の仕方。畑の耕し方とか、作物の世話の仕方とか。家の畑は、兄が継ぐから、それの手伝いをできるように、って」
「お兄さんがいたの?」
「ああ、いじわるなやつだったよ。小さい頃は、よく泣かされてたから」
「そうなんだ」
「母さんからは、生活の知恵。東の風に当たったら風邪を引くとか、毒を持った虫の見分け方とか」
「東の風が体に悪いっていうのは、わたしも教えてもらったよ。ひと際冷たいんだって」
家族のことを話すと、心の奥がじくじくと痛みを発する。未だかさぶたにもなってない傷口を触れるようなものだ。涙こそ出てはいないが、泣き顔を晒しているかもしれない。
ただこうして、弱みを見せられる仲間を得られたことに、ヨトはとても幸運なことなのだと痛感した。
「遅くなってすみません」
現れたベルの姿は、受付嬢の制服姿ではなく、洒落っ気のあるゆったりとした服装をしていた。動きやすさよりも着飾ることを目的としたものだった。
「お疲れ様です」
アンジェが会釈すると、ベルがどこか感動したような表情をする。
「あ、はい、ありがとうございます。なんだか、じーんと来ちゃいました」
「は、はぁ」
お礼を言われるのもおかしな話で、アンジェは曖昧に頷く。
「こう、純粋に労われると、うれしいですから……」
ベルはヨトとアンジェが並ぶ対面の席に座ると、「あの、ヨトくん、アンジェちゃん、と呼んでもいいですか?」と砕けた口調で言った。いわゆる仕事の口調、ではない。
対面の二人が頷く。
「ありがとうございます。堅苦しい言葉を使ってると、疲れるんですよね。ヨトくんもアンジェちゃんも、楽に話してくれていいですよ」
それでもベルから丁寧さが完全に抜けないのは、これが普段遣いの口調なのかもしれない。
「試験と言っても、簡単なものです。冒険者が相手することの多い魔物のちょっとした生態や、依頼に必要な道具の種類、その使い方などです」
「それだけなの?」
アンジェの言葉にヨトも同意する。
「冒険者でも頭を使うことが重要だ、と教えるためのものですからね。とくに駆け出しは、力が強ければそれでいい、と思っている方がいるので……」
ベルが困ったふうに笑う。何か実例を知ってそうだった。
そういったことが、自分にもあるかもしれない、とヨトは自覚する。討伐依頼を受けても、対象の魔物の情報を得ようともしなかった。
その後もベルは、疲れると言っている割には、受付嬢よろしく説明口調であれこれと知識を話していく。それにアンジェが相槌を打ち、時には質問を飛ばす。ヨトは聞き手に回っていた。
ヨトが強く興味を持ったのは、ゴブリンの王についてだった。
「ゴブリンの王?」
ベルの言葉に、ヨトが聞き返した。
「繁殖力の高いゴブリンは、大きな群れを作ることがあります。そうなると、ゴブリンたちは群れの中から王を選出します」
「王、というと群れの指導者に?」
アンジェの質問は、ベルの苦笑で返される。
「指導者、とするほどの知能はありません。王に選ばれたゴブリンには、食糧が多く配分されます。それこそ、体が巨大に成長するほどに」
「大きく、強いから王?」
アンジェが言った。
「はい。強力なので、ギルドはゴブリンの王と呼んでいます。問題なのは、王は配下のゴブリンを引き連れて群れを出るんです。
「それって……」
「いわば、侵略、ですね。ゴブリンの王という強い個体を作りだすことで、他の魔物の生息地を奪うんです」
「……村も襲われる」
ヨトは苦々しい思いで呟いた。察したベルが顔を曇らせ、アンジェが顔をこわばらせる。
「他の冒険者に聞いたことだけど、ゴブリンの数が増えてる」
「……はい。今のところ、王の姿は確認できてませんが、もし生まれいれば、ゴブリンの王討伐依頼が出るでしょう。これは、試験に出るかもしれませんが、それより二人に知ってほしかったことです」
「その、依頼の等級は」
「銀級下位、ですね。ヨトくんとアンジェちゃんでは、戦っても死ぬだけです」
ベルは、はっきりと口に出した。
冷や水をかけられたように、ヨトの体から熱が消失する。前のめりになりすぎだ、とヨトは心の中で吐き捨てる。
「……依頼中、もし巨大なゴブリンを見かけたら、すぐに逃げてください」
もう逃げたくない、と反射的に口を開こうとして、慌てて閉じる。思わず助けを求めるようにアンジェへ目を向けるが、困惑の表情を返され、思わず俯いてしまう。
当たり前だ。エノン村で起きたことを、アンジェに話してはいない。
それからヨトは再び黙り込み、アンジェとベルの話に聞き耳を立て、それが少し続いた後、勉強会はお開きとなった。
ヨトは桶に張られたお湯で体を洗い、すぐさま自身のベッドに潜り込んだ。
ベルから聞いたことを復習するように、次々と頭の中に浮かんでくる。
すると、自然と意識は眠りへ沈んでいった。
*
かすかにした花の香りは、血の臭いにかき消された。
世界が壊れていくように地響きを立てながら、ぎらつく"赤"が大きくなっていく。
地面を抉る爪が、赤く染まる牙が、自分たちに向けられているのだと理解した瞬間、考えるまでもなく震える脚が動いた。
ふっ、と右手からぬくもりが消えた。咄嗟に振り返る。
花が大好きな友達が、その場でへたり込んでいるのが見えた。
手を伸ばし、名前を呼んだ。
けれど、彼女は、手を差し出すこともなく、怯えきった泣き顔で、叫んだ。
「行って!」
もしかしたら、それは自分にとって都合の良いふうに、聞き取ったのかもしれない。本当は、待って、と叫んでいたのかもしれない。今となっては確かめることなどできないが、確実にわかることが一つある。
彼女を見捨てて、逃げた。
もし、彼女を助けたら、逃げきれずに二人とも殺されていた可能性だってある。
でも、彼女を助けて、二人とも逃げ切れた可能性だってあるんだ。
魔力は足りないものを与える性質を持っている、と言っていただろう。心の底から彼女を救いたいと願っていれば、救えていたのではないか? 彼女を抱えて逃げ切れるだけの身体強化とか、赤い魔物の進むを阻止する魔法とか。
そんな希望とも言えない、小さなものを、逃げることで捨ててしまった。だからこうして、心が悲鳴をあげている。
逃げたことを死ぬほど後悔するくらいなら。
あるいは。
自分も一緒に死んでいった方が。
「ほんとにそれが正しいと思ってる?」
花の香りがよみがえる。
「……きみが死んでも、あの赤い魔物はそこにいるよ。きみがあいつを倒さないといけないんだ。じゃないと……報われない」
場面が切り替える。
ここは、森の中だ。
黒く染まりきった体に、灰色の牙が浮かぶ。
あの時、自分とニース、リヨンとハンクという具合に分断されていて、灰牙の末裔が狙ったのは自分とニースの方だった。
リヨンとハンクは逃げなかった。自分とニースを助けるために、立ち向かった。
その結果、灰牙の末裔を倒すことはできた。しかし、生き残ったのは自分だけだった。
もしリヨンとハンクが逃げたら、助かっていただろうか。
人も魔物も、状況さえも違うというのに、考えずにはいられない。
「助かってほしい。その思いに、違いはないよ。だって、わたしはそう思ったから」
わからない。だってもう、会うことも、話すこともできないから。
「……でも、あの子とは逃げ切れた」
薄暗く細い路地裏にいた。
視界の端で火が弾け、風が吹いたかと思うと、道が広がって辺りは明るくなった。
赤い星は、思い出す必要もなく、
「きみの隣にいるのが、わたしじゃないのは残念だけど、あの子のこと、守ってあげてね」
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