第十五話 向かい風
新しく用意された藁の寝台の寝心地は最高だった。爽やかな香りと柔らかな感触。それらのおかげで悪夢を見ることはなかった。
「ヨトってさ、よく眠るよね」
冷めた肉を包んだパイをかじりながらアンジェが言った。ヨトも同じものを口にしているが、どうしても冒険者ギルドの食事を思い出し、色々と比べてしまう。
「そうか? 寝るのも起きるのも、アンジェと同じくらいだろ」
「うーん、そうじゃなくて」
パイをかじって顔をしかめたヨトの言葉に、アンジェは首を横にふる。食べられないほどまずくはないが、噛み締めるたびにギルドの食事を思いを
「泥のように眠るっていうかな? 死んでるんじゃないか、って思うくらい静かに眠ってるんだよ」
アンジェは水筒を傾け口を湿らせる。ヨトも水を飲んだ。アンジェが用意してくれた新しい水筒だ。他にも冒険者向けの鞄を、どこからか持ってきていた。もちろん費用と手間賃はヨトが出している。
「怖くなって肩を揺らしても起きないし、ぐっと息を殺して、寝息を確認できたら、やっと安心」
「……疲れてるから、眠りが深いだけなんじゃないのか?」
「……うん、まぁ、そうなんだろうけどさ。何というか、ヨトは放っておくと死んでそうなんだよね」
「簡単に死ぬつもりはないけど……」
「それくらい、危なっかしいってこと!」
アンジェは最後の一欠片を口に含んで、それを水で流し込んだ。
「友達なんだからさ、いなくなったら嫌でしょ」
「友達?」
「そ、友達」
ヨトは花の香りを思い出した。爽やかな甘い匂い。それを必死に抑え込もうとして、考えたのがリヨンたちのこと。彼らは仲間と言えるものだった。あのまま活動していたら、友達になれたのだろうか?
食事を終えたヨトとアンジェは、揃って家を出る。ヨトは冒険者として。アンジェは治癒術士として。それぞれの一日が始まる。
ヨトの怪我は数こそ多かったものの、深くまで損傷したものはなかった。下級回復魔術をかけて一晩休めば、だいぶ良くなっている。動かすと痛むところもあるが、それだけで、傷が開くこともなさそうだった。
アンジェは昨日の戦利品を背負っていた。片手でも振れるよう作られた大きさの剣を、
「その剣、咄嗟に抜けないんじゃないか?」
「火の魔法から大丈夫だよ」
アンジェは右手に火を
「武器は実際に使わなくても、持っているだけで効果があるんだよ」
そう言うとアンジェは得意げに笑う。
「そうなのか」
「そうだ。武器がありゃあ、楽に仕事ができるぜ」
ヨトの感心した声に、別の声が合わせられた。低い男の声だが、ガルトとは違って落ち着きがあり、それが
腰に剣を差し、整った身なりをした壮年の男が二人に近づいてくる。その姿は貧民窟の住人らしからぬものだった。
「武器をちらつかせれば、大抵のやつはビビるからな。話が早く進む」
男はそう言って腰の剣を揺らす。柄や鞘の様子を見ても、それはガルトの剣とは格が違うと思わされる。
「しっかし、ガキに嫉妬するなんざ、ガルトも情けねえ野郎だ。ま、小娘に
男はヨトをじろじろと見る。視線は短槍の穂から
次いで男はアンジェに視線を動かし、感心したような表情をした。
「……確かに、よく似てやがるな。母親と同じ
視線を
「あんたは、誰だ」
男の目が楽し気にほそめられる。
「オレはルドバだ。なぁ、少年。この貧民窟で人が死んだら、どうなると思う?」
ヨトは困惑した。ルドバの質問の真意を図れず、声も出せずに時間がすぎる。
「死体は、街の衛兵へ引き渡すことになる。そこで死体の顔が改められる。街の人間であれば、衛兵たちが動き出す。だが、貧民窟の人間なら、動くことはねえ。例え、剣で斬られた傷口があろうとな」
ルドバから発せられる空気の圧に、殺意が混じり始める。ガルトのそれとは違い、明確に死を思い起こさせるものだった。
そこでヨトは、ルドバがなぜ目の前に現れたのかを察することができた。
三人をまとめて包み込むように、東から吹く
「つまり、どうもならねえ。貧民窟の人間が死んでも、街には関係ない、ってことだ」
ルドバはすらりと剣を抜いた。銀色の刀身は磨き抜かれ、鏡面のように光を映す。
そこに"赤"が映り込んだと思った瞬間、ヨトの体は動いた。
弾かれたように突き出されたヨトの短槍は、ルドバの剣に
「かはっ……!?」
「ヨト!?」
アンジェの悲鳴は耳を素通りし、石畳に叩きつけられた衝撃でヨトの呼吸が再開する。手放さなかった短槍を握りしめ、わき腹にもう片方の手を当てながらも態勢を立て直した。あれは戦闘の訓練を受けた人間だ。それもかなり錬度が高い。技量など、比ぶべくもない。
アンジェは両手を突き出した。手のひらから火が生まれ、それは光を放ちながら人を飲み込めるほど大きくなった。
「燃やせっ!」
叫ぶアンジェに従うように、炎はルドバへ向かって射出された。ルドバは焦ることなく剣の腹で叩くように振り抜いた。たったそれだけで、大きな炎はかき消された。
「うそ!?」
「ガワだけで、人を丸焼きにする火力はねえな。無駄にでかくしたせいだ」
どうする? ヨトは自身に問いかける。
相手は明確な格上。技量も、身体能力もヨトより上。真正面からぶつかってもすぐに殺されるだろう。かといって策を用いる戦い方をヨトは知らない。
結果的に、ヨトは受け身にならざるを得なかった。
待ちを選択したヨトを見て、ルドバは目をほそめた。誰でもわかるような好手を自ら手放し、悪手に縋る。すぐ死ぬ手合いだ、と単純に結論を下すには、違和感が大きすぎた。
普通の人間であれば、逃げる場面だ。それなのにヨトは逃げを選んだ様子がない。怯えて身がすくんでいるわけではなく、短槍を構えて睨むようにしてルドバの動きを見据えている。
格上相手に、無謀にも戦うことを選んでいる。
きっとどこかが、おかしくなってるんだろう、とルドバは心の中で哀れんだ。今ここでオレが殺さなくても、冒険者をやってりゃ近いうちに死ぬ。
アンジェが動き出したのを、ルドバは大して気にしなかった。ヨトと違って逃げるつもりなのだろうと思ったからだ。それは間違いだった。
アンジェはヨトのそばに走り寄っていた。そして短槍を構えている腕を、引っ張る様に掴んで叫んだ。
「逃げるよ!」
ヨトはいっそ間抜けに見えるほど呆然とした。まるで思いつきすらしなかった言葉だと、言わんばかりの表情に、ルドバは笑いをこらえるのに必死だった。
あれは逃げの選択肢を捨てたのではなく、そもそも逃げることなんて考えられなかったんだろう。
ヨトはアンジェの行動に戸惑い、初めは強引に引っ張られていたが、ルドバの様子を見て次第に自身の脚で走り始めた。
その行動に、ルドバは口も手も出さなかった。何となく、邪魔をしてはいけないことのように思えた。
「オレも年を取ったなあ……。ま、代金分の働きはしねえとな」
ルドバは愚痴のように吐き出し、二人の背中を追いかけた。
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