第十六話 追い風

「街を目指すべきだね」

「街に?」


 ヨトとアンジェは背後を気にしながら走っていた。貧民窟の道のほとんどは細く入り組んでいる。しかし、ルドバを巻くのは容易ではないだろう。相手は荒事に慣れていて、アンジェが生まれるよりも前から貧民窟に住んでいる。土地勘はアンジェよりも優れているだろう。


「街で騒ぎを起こしたら、絶対に衛兵が動く。それが貧民窟の住民同士でもね」


 ルドバはそうなることを嫌って、街にまでは出てこないだろう。二人が逃げ切れるとしたら、街へ出ることだけだった。


 アンジェは街へと続く道の中で、最短距離のものを選んでいた。それが裏目に出た。


 視界の端が光ると同時に、ヨトはアンジェを巻き込みながら地面に転がった。空を切った剣の軌道は、アンジェもろとも狙ったものだった。


「へえ、今のを避けるか。警戒はちゃんとしてるんだな」


 わき道からルドバが姿を現す。ちょうどアンジェとヨトに立ちはだかる形となった。


「先回りされた……!?」


 歯噛みするアンジェは、剣から布を取り払ってルドバに切っ先を向けた。


 ヨトはアンジェの前に出て短槍を構える。アンジェがルドバと切り結ぶことは不可能だろう。


「この道が一番短いからな。通ると思ってたぜ。街へ行きたいんだろう?」


 ルドバは単純に二人が通る道を予想し、別の道から素早く先回りをしていた。それは直接戦わなければ、二人は逃げ切れないことを意味している。


 深呼吸するヨトの脳裏に"赤"がちらつく。


 あいつはアンジェにも剣を向けた。おれは、死にたくないし、アンジェを死なせたくない。ヨトの心が熱を持ち、それは全身へと広がっていく。この感覚こそが、魔法により肉体が強化されている証であるとヨトは自覚した。


 ヨトの勝利条件は街へ出ることだ。必ずしもルドバを倒さないといけない、というわけではない。隙を作って通り抜ける。それもアンジェを伴って。


 それだけのことが、何よりも難しいことに思えた。これならゴブリンの群れに囲まれた方がまだましだ。


「来ないのか?」


 ルドバから圧が増した。


 ヨトはルドバの一挙手一投足を見逃さないように睨みつけた。


 ルドバの剣を持つ肩がわずかに動くのを見ると、ヨトはすぐさま短槍を突き出した。ルドバがかすかに驚いたように目を見開くと、余裕を持った剣の動きでそれを弾いた。


 予想通りでヨトに焦りはない。さっきの焼き増しで放たれるルドバの蹴りを、突きの勢いを利用して体をひねって回避する。


 ヨトはまず自分がルドバを通り抜けることを考えた。そうすることで、自身とアンジェでルドバを挟み撃ちにするためだ。ルドバがどちらを狙うにせよ、アンジェが通り抜ける見込みは高くなるだろう。


 ただし、それはヨトの思惑がうまくいった場合の話だ。


「おっと」


 ルドバは即座に剣を返し、胴体に向かって振り抜く。


「ぐっ」


 ヨトは辛うじて反応し、短槍の柄で受けることになった。蹴りを回避するために不安定な体勢を取ったがために、ヨトの体は軽く飛ばされ、元居た場所に戻ることとなった。


 今度はヨトが歯噛みする番だった。身体能力も技量も足りていない無力感がヨトの体をさいなむ。


「ヨトっ!」


 ヨトが態勢を整え再びルドバを睨むと、拳大の火の球が横をすり抜けていった。それがアンジェの火の魔法だと瞬時に察し、火の球に合わせて突きを放った。


 ルドバは短槍の穂を確認しながら火の球に剣を振る。しかし、火の球は刀身に接触した途端、爆発して激しく燃え上がった。火の弾ける音が、ルドバの舌打ちをかき消す。


 いける。そう確信したヨトは、短槍に力を乗せた。だが、ルドバの腕がそれを強引に押しのけ、剣を大きく振ったため、ヨトとアンジェの脚が止まった。


「やるなぁ、おまえら」


 ルドバの腕から血が垂れる。けれどそれだけで、ルドバの顔色を変えるには至らなかった。


 損傷を与えることに成功したが、アンジェはおろかヨトも通り抜けることはできなかった。


 アンジェの爆発する火の魔法で意表突けたがために、うまくいっただけであり、もう一度行っても傷一つ与えられないだろう。


「今度はオレの番だな」


 ルドバの剣がぶれた。ヨトは反射的に体をひねってかわそうとしたが、左腕が服の上から切りつけられ体勢を崩される。痛みに顔が歪む。ヨトの目では完全にとらえることはできなかった。


 ヨトは勘で短槍を振るうと、腹を狙っていたルドバの剣を弾くことができた。しかし、攻撃は続き、地面に勢いよく転がることで回避する。


 ルドバは余裕を保っているが、ヨトの息は荒く、汗が垂れる。ルドバの背後から吹く風が、熱くなった体を冷やしていく。わずかでも気を抜けば、手から短槍が滑り落ちそうになる。


「ヨト、落ち着いて。魔力が乱れてる」


 アンジェがささやき、ヨトは暴れる鼓動を押さえつけるように深呼吸をする。


 ヨトは灰牙の末裔との戦闘を思い出した。あの時は、四人の連携があった。リヨンとハンクと共に牽制し、ニースの中級風魔術で叩き込んだ。それは灰牙の末裔に大きな損傷を与える威力があった。あのおかげで灰牙の末裔を倒すことができた。


 下級風魔術すら、試したことはない。しかし、ニースが唱えていた呪文は、しっかりと覚えている。失敗すれば今より状況が悪くなるだろう。


 思い出せ。あの風は、東の風よりも力強かった。自分は風を操れるのだと、必死で思い込め。


 ふわり、と風向きが変わった気がした。


「……いくぞ、アンジェ。あいつを、突っ切る」

「……うん!」




 ヨトとアンジェの雰囲気が変わったのを感じ取り、ルドバの口の端が吊り上げる。二人が予想以上の動きをしていることに、ルドバは内心驚いていた。


 ヨトは動きが鋭い。攻撃、防御、回避、どれをとっても判断が早い。迷いや無駄な思考は動きを鈍らせるが、ヨトにはそれがなかった。それは窮地きゅうちを脱することもあるだろうし、逆に死地に飛び込んでしまうこともあるだろう。


 アンジェは賢い。ただの火の魔法が通用しないとなると、すぐさま別の方法を考え出し形にして攻撃している。魔法の利点は、型にめることで結果を得る魔術と違って自由度が高いことだ。無駄にでかくしているだけで火力がない、という助言とも言えないルドバの言葉を、アンジェは拾い上げている証拠だった。


 まるでガキの成長を目の当たりにする親の気分だ。ルドバは心の中で自嘲する。同時に、ガルトが過剰に嫌うのも納得した。


 あの深い青色をした目は、毒だ。何かを夢見て挑戦し、挫折して貧民窟に逃げ帰ってきた負け犬には、あの目は傷口をさらに抉るものだろう。


 すでに割り切ったはずの自分でさえ、ふとした拍子に苛立ちがふつふつと湧き上がってくる。どうせお前も、死ぬか逃げ帰ってくるに決まっている。そう吐き捨てたい思いに駆られる。


 足を引っ張りたいと思ったのがガルトとルドバで、手助けしてやりたいと思ったのがアンジェなのだろう。その差を自覚したガルトは我慢ができず、ぶち壊してやりたいとルドバに依頼をした。今のルドバにはその気持ちは少なからず理解できた。


 ヨトとアンジェの体に、力が入るのがわかった。


 ルドバは剣を構える。わざわざ相手の思惑に付き合う必要もないが、ガルトの注文に全て従う気もない。


 自分なりに楽しませてもらうか。ルドバがそう思った瞬間、ヨトが動いた。


「切り裂け烈風――」


 ルドバの心臓が跳ね上がる。それは中級風魔術の呪文だ。ヨトは短槍を構え、睨むように唱えている。


 使えるはずがない。今の今まで中級魔術はおろか、下級魔術も使ってこなかった。魔術は使えないが、呪文だけを唱える虚勢なのではないか?


 使えるかもしれない。深い青の瞳は、真っすぐとルドバを見ていた。


 ルドバの逡巡しゅんじゅんは、思考を鈍らせたが、判断を下そうとした瞬間、凄まじい速さで白い光が迫り、意識の切り替えに割り込んだ。


 ルドバは咄嗟に剣を振って弾いた。甲高い音が鳴る。宙を舞うガルトの剣越しに、アンジェの手に火が散っているのが目に入る。あの体格で、この速度で剣を投擲とうてきできたのは、火の魔法で射出するように投げたからだろう。


 さらに視界の端に白い光が走る。それは短槍の穂だった。


 剣で弾くのでは間に合わない。自身の咽喉を狙う穂先を、ルドバは体をひねることで回避した。


 時間の流れが遅い最中、再び深い青と視線がぶつかった。背筋に悪寒が走る。


「――〈風刃雨ふうじんう〉!」


 風がうなる。ヨトを中心に集まっていた風がいくつもの刃に成形される。


 本当に中級風魔術を使えるのか。ルドバの顔が大きく引きつった。両足を強く蹴りだし、無理な体勢で体を投げ出し、地面に転がった。風の刃が石造りの建物を斬りつける音に肝を冷やす。


 すぐ起き上がろうと片膝をついて振り返れば、ヨトがアンジェの手を握っている後ろ姿だった。


 抜けられた。ルドバは急いで駆けだす。走り始めは向こうが早いが、移動速度はこちらの方が上だ。


「吹き飛べ疾風――穿うがち風」


 そんなルドバを見透かすように、ヨトは下級風魔術を発動した。二人とルドバの間に風が生まれる。その風は力強く吹き、二人の背中を押した。


 ルドバの手は届かず、二人の背中は遠ざかっていく。


 まんまとしてやられたことを察し、ルドバの胸に苦い敗北感が満ちる。


 ここぞというところで意表を突くために、使えないふうに装っていたのかもしれない。一方で、そんな器用さを持っているとは思えなかった。それさえもあざむきの範疇なのか。そうでないとしたら、危機的な状況で、使えるかわからない中級風魔術を打つという、大きな博打ばくちをしかけたことになる。


 同じ状況だったとして、似たようなことをオレはできたか? 考えるまでもなく、すでに答えはあった。


「所詮、オレも貧民窟の負け犬か」


 ルドバは転がっているガルトの剣を拾った。柄は焼き焦げているが、それだけだ。頑丈さに比重を置いた造りは、冒険者の武器の特徴でもある。


「代金分の働き、か」


 ガルトの剣を担いだルドバは、貧民窟の奥へと去っていった。


  *


 ヨトとアンジェは細く薄暗い路地裏を風と共に駆け抜けた。二人はもつれ込んで大きな道に出る。街の道は貧民窟のそれとは違い、開かれていて世界が変わったように明るくなる。


 ヨトはすぐに振り返った。並ぶ建物の隙間、太陽の光が入り込まないほど細い道。目をいくら凝らしても、人影は現れない。


「逃げ、切れた、ね」

「そう、みたいだな」


 息も絶え絶えなアンジェの言葉に、ヨトは力を抜く。ずしりと体の疲労と痛みがのしかかる。アンジェはヨトの左腕の傷に修復の灯、と下級回復魔術を唱えた。


 風は確かに、ヨトが望んだとおりに吹いた。


 ニースよりも威力は低かったが、これからもきっと重要な武器となるだろう。


 ヨトの差し出す手を掴んでアンジェが立ち上がる。


「これからどうしよう……」


 アンジェもまた貧民窟へと続く道を眺めている。その目に宿る感情を、ヨトは理解することはできない。


 なぜルドバが襲い掛かってきたのかはわからないが、一度逃げ切ったからもう襲われないと思えるはずもない。もうあの家には帰れないだろう。


 ルドバは明確にヨトを狙っていたが、アンジェは巻き込まれただけかもしれなかった。もしそうだったら、ヨトのせいでアンジェは貧民窟を追い出されたことになる。そのことはヨトに負い目を感じさせた。


 アンジェはヨトを善意で助けた。ならヨトをアンジェを助けるべきだろう。


「なぁ、アンジェ。ひとまずは街の宿に泊まって、そこを拠点にしよう。金はおれが出すから」


 これからどうするか、なんてすぐに結論は出せないだろう。だからまずは、腰が落ち着ける場所を作るべきだ。


 ヨトの言葉にきょとんとしたアンジェは、すぐさまにんまりと笑う。


「それ、わたしを買うってこと?」


 今度はヨトが呆然とする番だった。女の子を宿に誘うということは、そういうことなのか?


「子供なのに?」


 アンジェはぐいっと顔を近づけ、ヨトの深い青色の瞳をみつめる。


 くすんだ金髪は乱れ、顔つきは砂で汚れているが、その瞳は赤い星の光を秘めていた。"赤"は嫌いな色だ。けれど不思議と、この赤い星の輝きは、嫌いにはなれない。


「い、いや、ちがう! ただ、おれはっ」


 ヨトは顔を赤らめ慌てて離れた。脈がいやに速くなる。


「ふふ、冗談だって!」


 言い訳をひねり出そうとするヨトを、アンジェは星が瞬くように笑い飛ばした。


 ヨトは苦虫を噛み潰したように押し黙る。冷やかすための大袈裟な反応だと気づかなかったことに、気恥ずかしさを感じた。


 アンジェはうって変わって静かに笑いかける。


「わたし、冒険者になるよ」

「え?」

「ヨトといっしょならさ、わたしも戦える気がするんだ」


 確かに、ルドバに勝てたのは、アンジェが共に戦ってくれたからだ。ヨト一人では、おそらく死んでいただろう。


「わたしは、ヨトみたいに貧民窟から出ていくのは無理だって、諦めてた。自分にはそんな力はないって。でも、わたしも貧民窟から抜け出せた。ヨトと力を合わせて」

「それは……あの男に、力ずくで追い出されたからだろ?」

「違うよ。わたしたちは、自分たちの力で貧民窟を抜け出したんだよ。……生きる世界を、変えられたんだ。だから、冒険者になっても、わたしは頑張れるよ」


 アンジェの表情は、冒険者になろうとしているとは思えないほど穏やかなものだった。


 きっとそこには、アンジェなりの思いや願いがあるんだろう。それはたぶん、ヨトには理解できないことだし、そもそもアンジェにだってうまく説明できないかもしれない。


 だからヨトは純粋に、仲間が欲しいという気持ちを、アンジェに伝えた。


 アンジェは、笑って頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る