第十四話 博打

 視線がぶつかった瞬間、ガルトの目が吊り上がった。刃がヨトの顔に向かって振り下ろされる。


 ヨトはそれを避けることはしなかった。目でしっかりと捉えた剣の腹に向かって、短槍の穂を叩きつけてそのまま払った。耳を突き刺す鋭い音が響くと、ヨトの手に軽い痺れが走る。弾き飛ばされる剣を視界の端に入れ、呆気にとられるガルトの首へと短槍の穂を添えた。


 剣が石畳に落下する音が鳴ると、ガルトは信じられないといった様子で硬直した。


 ヨトは自身が肉体強化の魔法を扱えていることを確信した。ヨトとガルトでは、動きの速さに明確な差があった。ヨトもだが、ガルトにも戦闘の技術がない。ならば身体能力の差で勝敗を決するのは当然だった。


 ヨトの耳が足音を拾う。ガルトがその方向へと視線を動かしたため、ヨトもガルトを視界に収めつつ足音の方を確かめると、いつの間にかいたアンジェが剣を拾っていた。


 アンジェは不格好ながらも、剣をガルトに向かって構えた。


 武器の持つ優位性に頼っていたガルトに対して、その武器を奪うという行為は理にかなっている。それが偶然だったとしても、ガルトにとっては急所を射抜かれたことに変わりはない。


「あんた、ゴブリンより弱いな」

「なっ……!?」


 ヨトは怒りを込めて言い放った。怪我と疲労で弱っている所を、いきなり襲われたのだ。恨みが混じるのも当然だった。そして事実でもある。ゴブリン三匹のほうがよほど強敵だった。


 ヨトの言葉は図らずも、ガルトの心の一番深い所に突き刺さる。


 ガルトの脳裏に浮かび上がるのは、黒ずんだ緑の肌、醜悪な顔、耳障りな鳴き声。


 ガルトは青ざめた顔でアンジェとヨトを交互に見た後、体を震わせ後ずさる。そして剣を持つアンジェに向かって手を伸ばすが、アンジェはそれを跳ね返すように剣先を突き付けた。


「ク、クソッ!」


 進退きわまったガルトは、悪態を吐き捨てて逃げ出した。ヨトは短槍を引っ込めて見送った。今の体の状態では追いつけないだろう。もっとも、追い詰めてどうこうしようとする気もなかった。


「ヨトって、ほんとに冒険者なり立て?」


 アンジェが剣を下ろしてヨトに近づいた。そのままじろじろとヨトの体を観察する。それは怪我の具合を見ているようだった。


 ヨトは短槍を杖のように突き立て体の支えにした。


「そうだけど、なんで?」

「魔力の流れがすっごく滑らか。普通の人は、もっとこう、詰まった感じがするもの」

「アンジェは魔力が見えるのか」

「うん、魔法使いだからね」


 アンジェはにんまりと笑い、腰に下げている袋から布を取り出した。それを水筒の水で湿らせ、ヨトの顔について固まった血を拭った。


 ヨトは頬の傷が痛んで顔をしかめた。


「怪我しすぎじゃない?」

「……今日は、ゴブリンの群れに囲まれたんだ」


 ヨトはやむを得ず、危険を承知で戦ったことを話した。それを聞いたアンジェは、不可解そうに首を傾げた。


「それってさ、ゴブリンを倒すよりも、逃げたほうが良かったんじゃない? そうしたら、ここまで怪我してないよ」

「それは……」


 ヨトは痛いところを突かれた。確かにアンジェの言う通りだった。ゴブリンは足が遅い。一点を狙って包囲から抜け出し、走れば逃げられたかもしれない。


 しかし、ヨトはそれをせず、真正面から立ち向かった。逃げるという選択肢を、無意識のうちに潰していた。


「……おれが怪我しなくなったら、稼ぎが減るんじゃないか?」


 打って変わって、アンジェの追求からは逃げるという選択肢を選んだ。


「そりゃあ、そうだけどさ! 怪我はなるべくしない方がいいでしょ!?」


 しかし、それは悪手だったようで、アンジェは目を吊り上げる。


 ヨトはなおも逃れようと言葉を探す。


「それよりも、ガルトのことだけどさ。アンジェは、おれが絡まれることを狙ってただろ?」

「うっ」


 ヨトの言葉にアンジェは顔を引きつらせる。どうやらヨトの反撃は成功したようだ。


 アンジェがヨトに自身の家を拠点にすることを提案したのは、宿泊代を得るためだけではない。アンジェにしつこく付きまとうガルトを追い払う手段として、ヨトに役立ってもらおうと考えていた。もちろん、提案の根っこには親切心があったが、それはそれとして、使えるものを逃すわけにはいかなかった。


 そのことにヨトは、ガルトに襲われるという形で気づくことになった。


「……そりゃあ、ちょっと期待してたよ。ヨトがそばにいたら、いい加減ガルトも諦めるかなって。でも、いきなり襲い掛かってくるのは、予想外だった。ごめんなさい」


 アンジェはきまりが悪い顔で謝った。


 ヨトはアンジェを責める気はなかった。利用された気分にはなったが、結局のところ悪いのはガルトだ。


「……別にいいさ。結果的にだけど、怪我せず追い払えたし。許すよ。治療代を安くしてくれたらな」


 それはそれとして、だ。


 ヨトが笑いかけると、アンジェも控えめに笑い返した。


「……ちゃっかりしてるなぁ」


 稼げる部分で稼いでいく姿勢は、アンジェを見習ったものだ。


「治療は家でやるよ」


 アンジェはそう言うと、剣の刀身に布を巻き付け、刃が腕に当たらないよう慎重に抱えた。


「いいのか? それ」

「戦利品だね。誰も文句は言ってこないよ。ガルトは別だけど」


 アンジェがにやりと笑う。


 やっぱりたくましい。おれよりも生きるのが上手そうだ、とヨトは思った。


   *


 夜の貧民窟を二つの月が照らし、冷たい風が駆け抜ける。地面も建物も石を組んだものであり、そこに温かみというものは介在しない。


 細い道の静寂に、足音が響き渡ることも気にせず、ガルトは苛立ちを原動力として奥へと進んでいく。


 夜の冷たさでも、ガルトの頭が冷えることはなかった。叩かれた剣から手に伝わった振動が、ふとした瞬間に思い起こされる度、周りの物が壊れていった。それでも決して気が晴れることはなく、どろどろとした黒いものは、いまだ心の中を支配している。


 ガルトは一軒の家にたどり着く。それはアンジェの小屋とは違い、しっかりと建てられたものだ。貧民窟の中でまともな家に一人で暮らしているのは、この家の持ち主くらいだろう。


 ガルトは扉にある叩き金を打ち付けた。


「いるんだろ? ルドバ。出てくれよ」


 何度も叩く音と声が響いた後、扉が弾かれるように開いた。


「……なぁ、ガルト。夜に図々しく、オレの家を訪ねてくるほど、おまえは馬鹿だったのか?」


 出てきた壮年そうねんの男の顔は、殺気立ってすらいた。その手に鞘へと収められた剣が握られているのを見つけた瞬間、ガルトは青ざめた。ガルトが使っていた剣と違って上等なもので、さらには手入れも欠かさず行われている。そのため、軽い動作で人の首を切り落とすことができるのをガルトは知っていた。


「わ、悪かったよルドバ。あんたに頼みたいことがあるんだ」


 ガルトはそう言うと重さのある袋を差し出す。ルドバはそれをひったくると、中身を確かめた。


「俺が今持ってる金の全部だ」

「それで?」


 ルドバの目がほそめられる。ガルトの言葉を待つ態度は、まるで獲物の隙を狙う獣のようだった。

 ガルトは声の震えを抑えようとして自然と小さいものとなる。


「アンジェってやつがいるだろ?」

「ああ、治癒術士の小娘か」

「そいつの近くにいる灰色の髪のガキを、痛めつけてほしいんだ。殺したっていい。それとアンジェを捕まえて連れてきてほしい」


 ルドバは鼻で笑った。怒ることすらせず、呆れ果てているようだった。ガルトはルドバの些細な仕草でさえ恐怖を感じている。


「二つか、二つのことをオレに頼むのか? この、はした金で。しかも、相手はガキじゃねえか。情けねぇな、おい」

「た、頼む。足りなかったら、また金を稼いで持ってくるからよ」


 ルドバは袋を無造作に家の中に放り込むと、ガルトの肩に手を置いた。その表情を見て、ガルトは失言に気付いた。


「オレは代金の分しか働かねえぞ」

「あ、ああ」


 ルドバの言葉はどうとでも取れるものだった。働いた分の代金。それは今受け取った分だけ働くことか、最後までこなした上でこれからずっとガルトから金をしぼりとることか。


 ルドバは気まぐれだ。ガルトにとって良い方向に動くか、悪い方向に動くか、博打ばくちのようなものだった。


「じゃあな、オレは忙しいんだ」


 ルドバはそう言ってガルトの肩を軽く押して扉を閉めた。


 ガルトはその扉を殴りたい衝動にかられた。


 惨めな気分だった。アンジェからはろくに相手にされず、気に食わない冒険者のガキからは煮え湯を飲まされる。その上、全財産を差し出し震えあがってまで、他人に仕返しの依頼。しかも、それが自分の納得のいく形になるかさえ博打。


「……クソ」


 ガルトは今日だけで何度も放った悪態を吐き捨てた。

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