第十三話 冒険者くずれ

 ガルトは冒険者が嫌いだ。見かけるだけで頭がかっと熱くなる。


 かつて自身も、冒険者として生きようとした頃があった。今よりもずっと若い時だ。


 貧民窟に住む自身と、同じ年ごろの仲間たちと共に冒険者となった。


 依頼をこなして金を稼ぎ、貧民窟から抜け出そうとガルトは考えていた。


 けれど失敗した。当然死んだわけではないし、戦えなくなるほどの大怪我を負ったわけでもない。


 逃げ出したのだ。魔物と戦うことから。


 魔物生息地での依頼中、運悪く仲間からはぐれてしまったガルトは、魔物の群れに囲まれた。


 一匹一匹は弱い魔物だった。一対一ならガルトも簡単に対処できたはずで、数が多くとも、仲間がいれば戦えたはずだった。


 ガルトが一人で魔物と戦うのは、この時が初めてだった。


 剣を振り回し、いくら叫んでも、じりじりと距離を詰めてくる魔物の群れ。恐怖に負けて、目の前の一匹に向かって剣を振り下ろしたら、横から別の一匹がガルトの体を叩いた。


 地面に転がったガルトができたのは、頭を抱えて背中を向けてうずくまることだけだった。


 最初の内は、防具が体を守っていたが、徐々に鎧ががされていき、体中を襲う痛みが強くなっていく。ガルトはその間も激しい恐怖の中、動くことすらできず、みじめに泣いていた。


 その時に聞いた魔物たちの声は、今でも耳の奥にへばりついている。


 その時に腕の隙間から見た魔物の姿は、今でもまぶたを閉じれば浮かんでくる。


 しかし、ガルトが最も忘れることのできないものは、運良く仲間たちが駆け付けた時のことだ。


 仲間たちはガルトにまとわりつく魔物たちを引きはがした。そうして、助けに来たぞ、こんな奴らさっさと片付けよう、と仲間の一人が言った。


 だがガルトはその言葉を無視して逃げた。


 仲間たちを囮にすれば、俺は逃げきれる。そんなことさえ思いながら、魔物と仲間たちに背を向けて死に物狂いで走った。街へ着く前に別の魔物に襲われるかもしれない、と考えることすらできずに逃げた。


 ガルトはそうして、グリムの貧民窟へと逃げ帰ってきた。それが間違いとは思っていない。


 魔物を殺せば金は得られるが、魔物に殺されてしまえば意味がない。仲間だったやつらも、もう気付いているだろう。あるいは、気付く前にくたばっているのかもしれない。


 貧民窟の暮らしは冒険者に比べて楽だった。貧民窟の住民で武器を持っているのは極少数だ。本当の武器を前にすれば、包丁なんてものは、あまりにもちっぽけだった。武器を持っているというだけで、ほとんどのやつは委縮いしゅくする。


 例外は、暴力を生業なりわいとする騎士くずれと、火の魔法を使うアンジェだ。


 アンジェは気丈だ。ガルトを見る目に恐怖はあるが、それに屈さず真っ向から対抗してくる。そんな健気な姿がガルトに欲をいだかせる。


 今はまだ子供だが、数年もすれば母親に似て美しい女となるだろう。


 だからアンジェの近くにガキがいるということが、心の底から気に食わない。あそこにいるべきなのは俺だろう。ガルトはそう思っていた。


 短槍を持ち軽鎧けいがいを身に纏った、まさしく冒険者といった格好のヨトを、アンジェの家の近くで見た時、思わず立ち止まった。


 先日アンジェの家に入り込んだガキと同じ灰色の髪をしている。アンジェが連れ込んだガキは冒険者だったのか。ガルトは腹の底が煮え立つ感覚に囚われた。


 ヨトは血に濡れており、ゆっくりとした足取りだった。


 ざまあない。ガルトの機嫌は上を向いた。魔物にやられて逃げ帰ってきたのだと、ガルトは判断した。あのガキが何を思って冒険者になったかは知らないが、晴れて負け犬の仲間入りだ。ちょっと脅かしてやれば、もうアンジェには近づかないだろう。


 しかし、ヨトの深い青の瞳を見た時、間違いだと気づかされた。負け犬がする目ではなかった。恐怖が混じりながらも折れない光を持っている。それはまるで、アンジェのような。


 知らずのうちに、腰に差している剣の柄を握っている。


 どろどろとした黒い感情が、ガルトの心の奥底から湧き上がってくる。


 どうせおまえも、俺と同じように魔物が怖くて逃げてきたんだろう? なんでそんな目ができるんだ? 俺とおまえの、一体何が違うんだ?


 嫉妬心が、ガルトの体を突き動かした。


   *


 ヨトは依頼完了の報告を終え、アンジェの家を目指した貧民窟の道を歩いている。


 報告の際、ベルがしきりに応急処置をすすめてきたが、振りきって帰ってきたのは、ヨトにそういった知識がないため、アンジェに任せた方が良いだろうという判断からだ。


 もっと言えば、ギルドに備えられている包帯などの道具が、有料であることが理由の一つでもある。四万オアという明確な目標できたため、金の無駄遣いも厳しく取り締まる必要がある。


 前から男が歩いてくるのにヨトは気付いていた。無精ひげを生やし、目付きが悪く、不機嫌さが表情に滲み出た男だ。厚手の服を着て腰に剣を差しているため、冒険者のように見えた。


 すれ違おうとした瞬間、ヨトの首元に悪寒が走る。


 男はヨトに向かって剣を振り下ろす。ヨトは体が痛むのも気にせず、大きくひねった。石畳に剣先が叩きつけられた音が、貧民窟の路地に響き渡る。ヨトは危機感を覚え咄嗟に短槍を構えて叫んだ。


「何をっ!? あんたは、だれだ!?」

「うるせえ!」


 感情任せの怒声で返され、男は剣を横に振った。ヨトはそれを後ろに下がることで回避する。ゴブリンに殴られた足が痛んでヨトの顔が歪んだ。


 今の声には聞き覚えがあった。今朝アンジェの家に来た男の声だ。


「……あんた、ガルトか」

「はっ! だからどうした!?」


 再び振るわれた剣を、ヨトは後ろに引っ込むことで回避した。剣の動きは、ヨトを痛めつけるものではなく、命を奪うものであることを直感的に理解した。


「なんでこんなことを!?」

「お前が知る必要はねえ!」


 ガルトの剣は、またくうを切った。


 ヨトの手にじわりと汗が出る。人から殺意のこもった目を向けられている。魔物のそれとは、また違った目の色。肌が粟立あわだつ嫌な感覚。


 人と戦うのは初めてのことだった。喧嘩なんかではなく、命を奪う道具を持つ者同士の戦闘で、しかも相手は自身への殺意を抱いている。


 ヨトは心を落ち着けるために深く呼吸をする。そして、一切の動きを逃さないようにガルトを見据えた。

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