第十一話 悩める受付嬢
冒険者ギルドの受付嬢は、名前を聞かれたら答えるが、自分から冒険者に名前を教えることはない。
必要以上の交流を避けるためだ。受付嬢は冒険者に対して、あくまでも事務的に接することとなっている。冒険者は常に死と隣り合わせの職業で、受付嬢は冒険者に死地を
もしそれが、友人や恋人と呼べる間柄の冒険者であったら?
知り合いですら、心は
常に顔に貼り付ける、商売人めいた愛想の良い笑顔に、特別な感情を混ぜないようにして、受付嬢たちは自身の心を守ろうとしている。
新人受付嬢のベルは、それを破りかけていることを自覚していた。
青ざめた顔で、ふらふらとした足取りで、そのまま西の果てへと消えてしまいそうな少年の姿を見て、つい足を踏み入れてしまった。
自分の名前を教え、できる限りの優しく声をかけた。結局のところ、それに効果があったかは定かではない。しかし、これからも優しくしないと、とベル自身が思ってしまったことは、まさに自滅と言えるものだった。
その少年が順調に実力をつけ、立派な冒険者として死ぬことなく一生を過ごす、などという都合の良い未来になるとは限らない。
深い沼に自ら入り込んで、足をくじいてさらに深みへと沈んでいく。
どうしてこんなことに。
ベルは自身の行いに頭を抱えることとなった。
様々な言い訳が頭の中を駆け巡る。
だって、子供なのだ。ベルには姉と兄がいたが、弟や妹という存在はいなかった。だからもし、自分に弟がいれば、とか考えたことは幾度かある。ちょうどその少年に近い年頃の弟が。
だって、あまりにも悲しいことだったのだ。冒険者になるという同じ
四人が並んでギルドを出ていく光景を、今でも思い出すことができる。きっとその少年は、他の三人と友達、あるいは仲間と言える関係を築いていただろう。
新しく得たものを、すぐ失った姿はあまりにも哀れだった。
さらに言えば、その少年の出身地であるエノン村が、魔物の襲撃によって壊滅していることも知った。
きっと家族を失ったはずだ。
その辛い思いの中、生きるために踏み出した先でもまた、厳しい現実が襲い掛かった。
そんな境遇を思うと、ベルは心のざわつきを抑えることができない。
恋愛感情ではないと断言できる。だが母性にも似た感情は、ともすれば恋愛感情よりも厄介なものかもしれない。
いっそのこと、冒険者を諦めてほしいとさえ願っていた。冒険者ギルドに来ることがなくなれば、そこで繋がりは完全に途絶える。深みから、足を引き抜けるのだ。
だからこそ、受付台で、新品の装備を身に纏う少年の姿を見た時は、思わず血の気が引いて、若い年頃の女性が出してはいけない
「私、受付嬢に向いてないかも」
さらに、その少年が近づいてきた時、想像以上の泥沼であることに心の底から恐怖した。
依頼を受けようとギルドに来たヨトは、依頼書が張り出されている掲示板の前にいた。
他の冒険者の様子を見るに、受けたい依頼を見つければ、その依頼書を受付へと持っていくらしい。
ただヨトは文字が読めない。従って依頼書の内容を確かめることができなかった。
仕方なく、依頼書は持たずに受付へと近づいた。
ヨトは人付き合いが得意ではない。村では全員が両親の知り合い、という距離感があっために、まったくの他人という存在をグリムに来て初めて体験した。
他人という存在は、ヨトに対してひどく無関心だ。それは自身を見る目や、そもそも目を向けることすら、しないことから判断できた。
だからこそヨトは、助けてくれたアンジェ、声をかけてくれたベル、同情を向けるデュセルらの優しさを敏感に感じ取っていた。
そのため知り合いの受付嬢であるベルの元に、足を運ぶこととなった。彼女なら、冒険者登録、そして登録依頼を受ける際にやりとりをしているので、人見知りの気があるヨトでも慣れている。
「ベルさん」
ヨトがそう声をかけると、ベルは受付嬢にふさわしい笑顔で返す。
「おはようございます、ヨト様。新しい装備を購入されたんですね」
「……? 実は、これ」
引きつったふうにも見える笑顔に疑問を抱きつつも、ヨトはデュセル武具屋であった出来事を話した。
「へぇ、そんなことが……。デュセルさんらしい話ですね。あの人は元冒険者なので、冒険者に対して誠実なんですよ。
「どれくらいの冒険者が、魔具を使ってるんですか?」
「銀級から魔具は必須扱いです。銅級と銀級を
やはりあの鍛冶師は良い人なのだろう。ヨトの身の丈に合わない金銭を巻き上げるわけではないのが、はっきりとわかった。
「それと、依頼を受けたいんですけど、文字が読めなくて」
「なるほど、わかりました。銅級下位の依頼ですね?」
ベルは慣れた手つきで手元にある資料をめくった。文字が読めない冒険者に、依頼内容を口頭で説明するのは珍しいことではないらしい。
いくつか上げられる依頼の中で、ヨトが選んだのはゴブリンの討伐だった。決めた理由は単純に、それだけが〈
今はまだ、あの森に近づきたくはない。
ベルが差し出す依頼書にヨトは自身の名前を書き込んだ。これで依頼を受諾したことになる。
「文字は、読めるようにならないといけませんよ。銅級上位の昇格条件に、依頼内容を判別できる程度に文字を読めること、というのがあります」
確かに、いちいち受付嬢に依頼内容を説明させるわけにはいかないのだろう。
まだ未熟な駆け出しだから、ヨトの行為が許されているということだ。
「わかりました」
確かアンジェは文字を読めたはずだ。ならアンジェに教えてもらえばいい。ヨトはそう思って、その場を立ち去ろうとする。
「あのっ」
ベルは立ち去ろうとするヨトに向かって、拳を二つ作ってそれを二回こすり合わせた。
それは初めて依頼を受ける冒険者に向けたおまじないだ。だが、ヨトはもう既に、登録依頼の際に受けていた。
理由を聞くために口を開こうとするヨトに、ベルは自身の口元に一指し指を立てた。ベルの鮮やかな青い目が、何も言わないで、と雄弁に語っていた。
ヨトはそれに従い、その場を後にする。
たとえ背後から、呻くような長いため息が聞こえたとしても、振り返ることはしなかった。
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