第八話 火の魔法

 ヨトが目を開けると、部屋の中が薄暗いことに気付いた。どうやら夜になるまで眠り込んでいたらしい。ぼんやりとした視界がはっきりしていくと、水筒を傾けるアンジェが見えた。


「起こしちゃった? あ、水飲む?」


 アンジェが差し出した水筒をヨトが受け取ると、そのまま勢いよく流し込む。体の内側から広がる冷たさが心地よかった。


「水は、いくら?」

「水は食事代に含まれています」


 アンジェは笑いながら、木の器を手渡した。中に入ってるのは、ギルドの酒場で食べた料理と似た汁物だった。やっぱりそれは冷めていて、味も良くないものだった。


 眠気こそないが、目を閉じて体を休める。


 がさり、と藁の寝台が大きく沈み込む。ヨトの隣にアンジェが寝転んだからだ。ヨトの体がさらに熱くなる。複雑な表情をアンジェに向けると、にやりと笑い返される。


「筵の上で寝るのが嫌なだけだよ。……変なことしたら、燃やすよ?」

「も、もやす?」

「わたし、火の魔法が使えるから」


 アンジェが手のひらを広げると、そこから小さな火の球が生まれた。熱と光がヨトの頬を撫で、薄暗い部屋の中、お互いの顔をはっきりと見られるくらいに照らされた。


「……魔法が使えるのか」

「魔術と違って魔法なら、口をふさがれて呪文の詠唱ができなくても問題ないから」

「……そんなつもりは一切ないから、藁が燃える前に消してくれ」

「わたしが燃やそうとしない限りは平気だよ」

「そうなのか?」

「魔法で生まれたものは、作り出した者の意志に従うんだよ」


 アンジェがそう言うと、ヨトの右手を手に取って小さな火に重ねた。ヨトは慌てて手を引いた。


 その反応にアンジェがくすくすと笑うので、ヨトは何となく悔しさを感じ、おそるおそる小さな火に指を伸ばす。


 ちろちろと炎が伸ばした指を包み込んだ。しかし、予想とは違って焼ける熱さは感じず、代わりに湯を垂らされたような温かさを覚えた。


「……すごいな。火を触るのは初めてだ」


 アンジェは、小さな火を自身の手とヨトの手で挟み込んだ。二人の間に薄暗い世界が戻ってくる。しかし、彼女の手の温かさは、未だ小さな火が生きているみたいだった。


「火の魔法が使えるせいなのか、わたしの体温は人よりちょっと高いらしいんだよね」


 確かに、熱を出しているヨトの体温に近いものを感じる。まるで母親に手を握られている、そんな安心感を覚えた。


 自然と会話が途切れ、アンジェが白い布の中に潜り込んだ。



 少し時間が経ったころ、まだ寝ていなかったのか、アンジェが口を開いた。


「ねえ、ヨトってさ、何で怪我したの?」

「……冒険者に、なったからだよ」


 傷口をえぐられた気分になった。聞かれるかもしれない、とヨトは考えていたが、突っつかないでくれ、とも思っていた。心の中が静かに冷たくなっていくのを感じる。


 ヨトはなるべく傷口に触れないように、金を稼ぐために冒険者となったこと、その依頼で強い魔物に出会い、怪我をしたが運よく倒せたこと、この大金はその報奨金であることをアンジェに説明した。


 アンジェはそれを真剣な表情で聞いていた。少し引っかかったことはあったが、どこか泣きそうな雰囲気のヨトを見ると、聞きだすことはためらわれた。


「……まだ冒険者をやるつもり? 怪我をして、死にかけたんでしょ」


 アンジェはヨトの目をじっと見る。


 ヨトの深い青の瞳に、困惑の色が浮かび上がる。そんなことを聞かれるとは思っていなかった。


「……ああ。おれは、冒険者に、なれたからな」


 ヨトは目を逸らした。


 アンジェの胸の内に、一つの感情が沸き上がり、それに押されて言葉が出る。


「グリムの貧民窟はさ、冒険者になれなかった人たちが、作ったようなもの、なんだよね。わたしも、わたしのおかあさんも、貧民窟の生まれだけどね」


 貧民窟はグリムを囲う石の壁の内側にあるが、"貧民窟"と"街"、そういう二つに分けられている。


 冒険者ギルドがあるグリムには、当然、冒険者になろうとする人たちが集まってくる。純粋に冒険者に憧れたり、一山当てようと考えたり、しかし、彼ら全員が冒険者として活動しているかと言えば、そうではない。


 実際に魔物と戦って、冒険者は自分には無理だ、と諦める者だっている。怪我の後遺症で冒険者を辞めざるを得ない者もいる。そんな冒険者から落ちぶれた人たちが、一か所に集まり暮らし始めたのが貧民窟の始まりだと言われている。


 今でもたまに、貧民窟を抜け出して冒険者として活動しようとする者がいる。けれど、彼らもその多くが貧民窟に逃げ帰ってくる。魔物に殺されるよりは、貧民窟で暮らした方がマシだ、と思いながら。


 今度は、ヨトがじっとアンジェの目を見つめる。


「それは、死ぬ前に冒険者を辞めた方がいい、ってことか?」

「生きるために戦って、それで死んだら、元も子もないよ」

「それでも、おれは冒険者をやるよ。生きるため冒険者になったけど、やりたいことができてさ」


 ヨトは、肩の痛みがより鋭くなったように思えた。


 リヨンとハンクは、金級冒険者になって開拓に参加したいと言っていた。


 ニースは、冒険者となって旅をしたいと言っていた。


 ヨトは、自分には夢がないから、彼らの夢を叶えてやりたいと思った。それはとても後ろ向きなものだが、ヨトにとっては大切な夢と言えるものだった。


 アンジェは、心をざわつかせるものの正体を理解した。羨望だ。目の前の少年は大怪我を負って死にかけても、まだ冒険者をやると言える何かを持っていることを、うらやましいと思っている。


 街で生活したいと思ったことがアンジェにもあったが、それは無理なことだと諦めていた。


 街で治癒術士として働くには、貧民窟と違って回復魔術が使えること以外にも、医学の知識が必要だった。アンジェにはそれを学ぶ資金もなければ、貧民窟の子を弟子にとって育成する奇特な治癒術士もいなかった。貧民窟では優位性を持っていても、それは街では通用しないのだ。


「そう……。なら、また怪我した時、うちに来てよ。街の治癒術士よりも、安くしてあげるからさ」


 アンジェはそれだけ言うと、白い布の中に潜り込んだ。


 アンジェがここまで関わった同年代の子供は、ヨトが初めてだった。いや、大人を含めても母親以外にいないかもしれない。彼女は危険から逃げるように人と関わることを避けていたからだ。


 貧民窟では、人との関わりが増えると同時に危険も増える。アンジェは母親からそう教わってた。しかし、ヨトは貧民窟の住人という感じはしない。


 友達になれるかもしれない。アンジェは自然とそう考えていた。


 ヨトは鈍い頭で考えを巡らせる。明日からは冒険者として本格的に活動し始めるだろう。武器や防具はもちろん、その他の細々とした道具も揃えないといけない。


 そんなことを考えていると、自然と眠りに落ちた。


   *


 声が聞こえる。


「……きみは何のために生きてるの? 他人の夢を代わりに叶えるため? それってほんと? ……嘘だよね。自分も西の果てに行きたい、って思ってるんでしょ。冒険者を続けるのも、あの赤い魔物を殺すために必要なものを揃えるためなんでしょ? 今はまだ、弱いから」


 花が香るような、甘い声だった。


「醜いものの上にきれいなものを重ねて、誤魔化せた気になってるだけだよ。復讐ってやつなのかな? それを達成したら、きみは満たされるかもね。そして、もう何も残さないつもりでいる。生き続ける勇気がないんだよね」


 いつまでも聞いていたいと思える声だった。


「でもさ、わたしは知ってるよ。きみの夢は、西の果てには、ないことを」


 とても悲しい気分になる声だった。


「東へ……きみの風は、東の風を越えてゆくんだよ」

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