第四話 血鼠とナギリ草

 グリムはおよそ百年前に、魔物支配地を開拓して生まれた街だ。


 環境が変わった後も、外部から魔物襲撃の可能性が残っているため、街は高い石の壁に囲まれている。そして、実際、魔物の襲撃から何度も住民を守っていることを、石の壁に刻まれた戦いの痕が物語っている。


 しかし、そこに新しい傷跡はない。開拓が進み、魔物支配地が遠ざかっていったからだ。魔物の襲撃は、もう何十年とない。


 東の門を出て、外の草原を抜けた先に〈灰牙森はいがもり〉がある。


 グリムの東に広がるこの森は、かつてこの地域を支配していた、〈灰牙はいが〉と呼ばれた魔物との決戦地であったためにそう呼ばれている。


 深層の魔物は手ごわく、銀級冒険者でないと立ち入ることはできないが、深層の魔物が出てくることの少ない表層は、銅級冒険者の活動地域となっている。


 ヨトたちはその森に足を踏み入れた。木々が乱雑に立ち並び、上に伸びる枝葉が日光を遮り影を生む。草木がこすれ合うざわつきは、風の仕業だけではないとヨトは感じた。


 短槍を握る手に力が入る。他の三人も、武器を手にしていた。


「ここでやることは、ナギリそうの採取と血鼠ちねずみの討伐だ。冒険者登録依頼も同じ内容だ。ようは、復習だな」


 ナギリ草と聞いてヨトは、昔、高熱を出して苦しんでいた時に、父親がナギリ草を取ってきてくれ時のことを思い出した。母親がそれを煎じて、苦いお茶にして飲ませてくれたら、体が楽になった。


「ナギリ草の見分け方は簡単だ。葉っぱの形が特徴的だからな」


 教官はかかんで膝くらいまで伸びている葉をちぎる。青々しい葉の形は、広げられた鳥の翼のようにも見えた。ヨトたちは森へ入る前、渡されていた袋にそれを詰めていく。その間、教官はきょろきょろと辺りを見渡した。


「さて、血鼠だが……単体では弱い魔物だ。というか一個体でいる時はすぐ逃げだす。厄介なのが、群れを作ると好戦的になることだ。繁殖力が高くて、定期的に個体数を減らす必要がある。だから駆け出し冒険者の依頼対象の定番だな」


 教官は手を振って四人を呼び、茂みの向こうを指差す。そこには、四体の血鼠が寄り集まっていた。大きさは大人の足から股下くらい、暗い赤色をした体毛で尻尾は真っ黒だった。


 教官は血鼠に聞かれないようにささやく。


「魔物との戦闘で大事なのは、距離感だ。攻撃や動きの範囲を、冷静に見極めるんだ。が、馬鹿正直に真正面から戦う必要もない。俺が斬り込む。ついてこい」


 教官はにやりと笑い、静かに剣を鞘から引き抜く。血鼠を見る目をほそめたと思うと、弓から放たれた矢のように飛び出す。


 茂みが揺れる音に気付いた血鼠が振り向いた時には、一体の頭が斬り裂かれ、体毛よりも赤い血が噴き出した。金髪の少年と黒髪の少年が駆けだす。ヨトとくせ毛の少女もそれに続く。


 手に力がこもる。体が熱くなり、心臓が高鳴る。


 金髪の少年が教官に襲い掛かろうとしていた血鼠に剣を突き立てる。黒髪の少年が逃げだそうとした血鼠に斧を振り下ろす。最後の一体が逃げ出す。その先には運悪くちょうど茂みを抜けたくせ毛の少女がいた。


 驚いたくせ毛の少女は咄嗟に腕で体を庇おうとし、それに血鼠が飛び掛かって噛みついた。ヨトは短槍を右手の中で滑らせながら血鼠の横っ腹に突き刺す。肉を斬り裂いた不愉快な感覚が、手に伝わってくる。血鼠は怯み、噛んでいた左腕を放した。


「この……!」


 くせ毛の少女が痛みで顔をしかめながら剣を振るう。胸から腹へと斜めに斬り裂かれた血鼠は、地面に身を投げ出しそれっきり動かなくなった。


 くせ毛の少女は剣を鞘に収め、噛まれた左腕を抑えて肩で息をする。


「大丈夫?」


 槍を引き抜いたヨトがくせ毛の少女に声をかけた。


「うん、深くまでは噛まれてない、と思う」


 血がにじむ袖をめくりながらくせ毛の少女は返事をする。出血は少ないようだった。


「今から冒険者が最も使用する魔術を教える」


 近づいてきた教官が傷の上に手をかざした。金髪の少年と黒髪の少年が血鼠の死骸を引きずって歩いてくる。


「傷をふさげ――〈修復のあかり〉」

「下級回復魔術……」


 教官の手が淡く発光し、その光がくせ毛の少女の腕に伝っていく。手をどけると、傷痕も残さずふさがっていた。


「ありがとうございます……」

「回復魔術は絶対に覚えろ。魔術が不得手でもな。誰かに頼む余裕がない時は、自分で回復するんだ。完全に治せなくても、止血ができれば生存の可能性は変わってくる」


 金髪の少年が血鼠の死骸を指差して口を開く。


「教官、これどうしますか?」

「ああ、魔物の死骸は素材に使ったり、売却するために剥ぎ取ったりする。討伐証明としてなら尾の先だけでいいんだが、血鼠の皮は安いが金になるぞ……ちゃんとナギリ草とは別の袋に入れろよ」

「わかりました」


 金髪の少年と黒髪の少年は手際よく皮をはいでいく。ヨトとくせ毛の少女は教官に教わりながら、時間をかけておこなった。


   *


 夜が近い冒険者ギルドでは、依頼を終えたであろう冒険者たちが、酒を飲み食事をしていた。


 依頼受注の受付と報告の受付は分かれていて、さらに買取所というところもあった。今回は依頼を受けているわけではないので、納入ではなく買取になる。ヨトたちは買取所の台に袋を乗せた。


「素材の買取を頼む」

「かしこまりました」


 買取所の男性は、袋から素材を取り出して素早く鑑定する。といっても、講習で血鼠の皮とナギリ草が持ち込まれるのはいつものことらしかった。


 ヨトは買取所の男性から硬貨を一枚、受け取った。それは血鼠の毛皮とナギリ草を売却して得られた報酬だ。冒険者は報酬のために戦う。その実感が少し湧いた気がした。


「講習はこれで終わりだ。登録依頼を受けるなら明日以降となる。お前たちが立派な冒険者となることを期待している」


 教官はそう言うと、ギルドの奥に入っていった。


「今日はお疲れさま」

「お疲れ」


 そう言って金髪の少年はギルドの出入り口に歩いていき、黒髪の少年もそれについていった。


「それじゃあね」


 くせ毛の少女も帰っていく。


 一人になったヨトは、疲れたと心の中で呟いた。体はもちろん、精神も疲れていた。農村では農具使ってたけれど、武器を握ったのは今日が初めてだった。魔物を倒すなんて、少し前までは考えもしなかった。


 肉の焼けた匂いが、疲れたヨトの鼻腔くすぐり腹を鳴らす。ヨトの手には硬貨が一枚握られている。簡素な食事を取ればなくなる程度の額だが、それでも貧民窟の粗末な食事であれば、一日分にはなる。


 ヨトが選んだのは前者だった。


 見るからに柔らかそうなパンが数切れと、肉や野菜が深い色の汁で煮込まれたものからは、湯気が立ち昇る。パンを一切れとって、その上に乗せてかぶりつく。


「ほいひい……!」


 ヨトには久しぶりのまともな食事で、それも温かく、美味しいものだった。別に豪華な食事ではない。農村にいたころにだって似たものを食べたことある。泣きそうになった。グラスの注がれた水を慌てて飲む。澄んでいて泥臭くはなかった。


 久々に感じる体の重さは心地いいものだった。だからこそ貧民窟に帰ることが億劫おっくうになる。


 ヨトは並ぶ建物の隙間で、人目につかない陰に隠れてうずくまって寝るしかない。地面の硬さを誤魔化すようなものもないし、夜風を防ぐものもない。宿を取る金もなければ、家に泊めてくれるような知り合いもいない。


 ヨトは、冒険者になりたいと思った。

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