第五話 登録依頼

 貧民窟の隙間、硬い石畳の上で迎えた冷たい朝は、不愉快なものだった。心も体もひどく凍えるような感覚に、ヨトは体を震わせる。


 昨日の夕方にギルドの酒場で口にした食事の温かさは、完全に消え失せていた。


「ああ、行かないと……」


 よろよろとした足取りでヨトは冒険者ギルドに向かう。



 朝の冒険者ギルドは、依頼を受けたり食事したりする冒険者で賑わいを見せていた。その活気ある声を聞くだけで、ほんの少しだが気がまぎれた。ただ肉の焼けた、いい匂いだけは毒に思えた。


 ヨトが受付へ近づくと、卓につく共に講習を受けた三人の姿が目に入る。向こうもヨトに気付くと、金髪の少年が席から立ち、にこやかに口を開いた。


「やあ、昨日ぶり。きみが良ければだけど、登録依頼を一緒にやらないか?」

「一緒に?」

「うん。冒険者は隊を組んで活動する人が多いんだ。一人よりも死に難くないからね。それに銀級からは、隊を組むのが前提になっている。登録依頼も複数人でもいいらしいから、それなら、早いうちに慣れておきたいと思って」


 ヨトはギルド内にいる冒険者たちの様子を見る。四人前後で集団を作り、依頼掲示板を眺めて話し合ってたり、報告書や買取所に詰め寄っている。


 自身のことしか考えていなかったために気付かなかった。仲間を得るという選択肢を、無意識のうちに排除していたのかもしれない。


 けれどヨトには知識もなければ実力もない。


「おれは武器を振ったのは、昨日が初めてだし、魔法も魔術も使えない。それでもいいのか?」

「もちろん。きみ、講習の時に教官から褒められていたろ?」


 見習いとしては悪くない。確かに教官がそう言っていたのは覚えているが、それだけで自分に才能があるなんてヨトは思わなかった。


 ヨトの怪訝な表情に気付いた金髪の少年が苦笑する。


「正直な話、僕たちはまだ子供だろう? そいつらを隊に入れよう、って冒険者はいないんだ。だから同期が四人いるのはちょうどいい、と思ってね」


 その通りだとヨトも思った。命を賭けて活動する以上、使えるかどうかもわからない、冒険者なり立ての子供を近くに置きたくはないんだろう。使えないならまだしも、足を引っ張り死の原因になるかもしれないのだ。


 ヨトは、黒髪の少年とくせ毛の少女へちらりと目をやる。


「俺はいいぜ。槍の扱いは、もっと詳しく教えてやるよ」

「うん。わたしも、魔術ならちょっと教えられるよ」


 どうやら二人にも話は通っているようだった。受け入れてくれるのなら、断る理由もなかった。


「おれは、ヨト。……世話になるよ」

「よかった……ああ、自己紹介がまだだったね。僕の名前はリヨン。よろしく」


 金髪の少年、リヨンがそう言うと右手を差し出した。


 ヨトはその手を握った。自分のものより硬い手は、きっとこれまでにたくさん剣を振ってきたんだろうと思わせた。


「俺はハンクだ! 俺とリヨンは同じ村出身なんだ」

「わたしはニース。よろしくね」


 黒髪の少年、ハンクと、くせ毛の少女、ニースもそれに続いた。村にいた頃は友達がいたけど、仲間ができたのは初めてだった。


「うん、よろしく」


 ヨトは久しく笑っていなかったことに今、気付いた。

 リヨンが切り替えるように手を叩いた。その動作は昨日の教官によく似ていた。


「よし、じゃあ登録依頼を受けてくるといい」


 ヨトはその言葉に従って、受付に近づく。ちょうど前の冒険者が用事を終えて退くと、昨日ヨトの対応してくれた女性が立っていた。受付の女性は相変わらず愛想の良い笑顔を浮かべていた。


「おはようございます。登録依頼の受注ですか?」


 どうやらヨトのことを覚えていたらしい。ヨトが頷くと、受付の女性は紙を取り出す。ずらりと文字が並び、一番下には空欄があった。


「こちらが依頼書となっております。内容は血鼠ちねずみ三匹の討伐、ナギリ草三本の採取です。よろしければ、こちらに署名をお願いします」


 ヨトが自身の名前を書き終えると、昨日と同じ短槍を渡される。


 ぎゅっと握れば、槍を振るった感覚や、血鼠の肉を裂いた感触を思い出して、体が少し熱くなる。


「はい、依頼を受け付けました。では、最後に」


 こほん、と受付の女性はわざとらしく咳払いをした。それから両手を拳に変え、ヨトに向かって二回、こすり合わせた。


 そして受付の女性はヨトに視線を合わせる。


「あなたの冒険の行く末が、困難を乗り越え、厄災を斬り払い、さいわいに至ることを祈ります」


 そう言うと、きょとんとするヨトへ照れくさそうに笑いかける。


「これ、初めて依頼を受けた人にする、おまじないなんです。ずっとやりたかったんですよ。先輩方がやってる姿を見て、いいなって思ってて」


 その物言いが、まるで言い訳のようだとヨトには思えて、でもうれしいと感じた。


「ありがとうございます」


 だからつい笑顔で返すと、受付の女性は優しげな笑顔を浮かべてくれた。


「冒険、頑張ってください!」


   *


 〈灰牙森はいがもり〉の様子は昨日と変わりはなく、薄暗く嫌な空気に包まれている。けれどヨトの目には明るく見える。ヨトの心に余裕ができたからだ。自分だけじゃなくて、周りを見られるようになった。


 四人は講習と同じ要領でナギリ草を採取する。全員が目標数を集めた頃合いに、ハンクが口を開く。


「なぁ、ニースとヨトはなんで冒険者になるんだ? 俺とリヨンは、親父たちが冒険者だったからなんだ。散々、自慢話を聞かされて、そんでばかみたいに憧れたんだ」

「父さんたちは銀級中位で辞めちゃって、僕たちはそれを越えてやろう、って決めてさ。今度は僕たちが自慢話をしてやるんだ」


 リヨンが腕を組んだハンクの肩を嬉しそうに叩いた。


「わたしは、旅をしたいから、かな。『旅するケイの記録』って本が好きで、それをずっと読んでたから。冒険者なら色んな所に行けるでしょ?」


 ニースがはにかみならがそう言うと、ヨトに視線を投げた。ヨトが冒険者になる理由は、たんに生きるためだ。三人のように未来を目指す、眩しい夢があるわけではなかった。それがヨトと三人を分けているみたいで、一抹の寂しさを覚えた。


「おれは……生きる上で必要な、金を稼ぐために」


 つい目を逸らしながら答えると、リヨンが鷹揚おうように頷いた。


「そんなもんだよ。僕の父さんも、冒険者になったのは飯を食うためだ、って言ってたよ」


 その言葉はヨトの心を軽くするには十分だった。背中を押される感覚を、ヨトはしっかりと噛み締めた。


「さて、次は血鼠だね。今度は、怪我をしないように気を付けよう」


 ヨトたちは自然とリヨンを中心にしていた。隊長を任されたリヨンはやる気に満ち溢れた顔を浮かべている。仲間を信じ、仲間に信じられる隊長は、まさしく理想の冒険者の姿だと思っていた。


「ニースは魔術を使えると言ってたよね?」

「うん、風の下級と、中級を少し」

「へえ! もう中級魔術が使えるのか。すごいな」

「す、少しだけ! 威力も高くないし、二種類しか使えないし」


 ニースは照れ臭そうに毛先を指でいじる。そこで疑問に思ったヨトが他の二人を見た。


「リヨンとハンクは魔術って使えるの?」

「僕は下級回復魔術と下級火魔術かな。でも、まだ実戦で使うのは厳しいかな」

「俺は肉体強化の魔法が使えるぜ」


 肉体強化は大抵の人が使えると、教官が言っていた。それをわざわざ主張するのは、強度に自信があるのだろう。



「あ……」


 何かに気付いたリヨンが茂みに近づく。


「みんな、静かに、ちょっと来てくれ」


 茂みの向こうを覗くリヨンが指さす先では血鼠が群れていた。その数は昨日よりも多く、見る限りで二十は超えるが三十には届かないくらいだ。きょろきょろと頭を振りながら少しづつだが、こちらに近づいてくる。


「表層の浅いところで、この数は珍しいな。どうする?」


 ハンクが長柄の斧を手にしつつ問いかける。戦闘の気配に、その場の空気が張り詰めていくのをヨトは肌で感じた。


「ニース、きみの中級風魔術をあの群れに撃ったら、どれくらい仕留められる?」


 リヨンは群れから目を離さずにささやく。


「どう、だろう。半分以上は巻き込めると思うけど」

「ならニースが中級風魔術を撃った後、すぐに僕たちが斬り込む。いいか?」

「ああ、いいぜ」

「うん」


 ヨトの目がほそまり、腹から生まれた熱が、体を伝って手足の先へと広がっていく。


 ヨトにとって初めての実戦だ。練習と言える昨日とは違って、怪我をするかもしれないし、最悪のことを考えれば死ぬ可能性だってある。恐怖で体が硬くならないのは、リヨン、ハンク、ニースがいるからかもしれない。


 頼もしいな。ヨトは心で呟くと、深呼吸をして短槍を強く握りなおす。


 ニースが一歩前に出て、右手で持った短剣を掲げた。


「斬り裂け烈風――


 そよ風が吹く。それはニースの髪を揺らしながら取り巻いて流れていく。ニースが風を従えているとヨトの目には映った。


 ――〈風刃雨ふうじんう〉!」


 呪文を唱えると共に、短剣を血鼠の群れに向かって振り下ろした。


 ビュウ、と烈風が作り出した刃の群れは、血鼠の群れを真っ向から切り刻んだ。運良く当たらなかったものや、致命傷に至らなかったものが上げる耳障りな甲高い声の中を、身軽なヨトが真っ先に飛び出し、それにリヨンとハンクが続く。


 短槍が描く白い線は真っすぐに血鼠の頭に突き刺さり、力の限りに弧を描けば二匹の体に赤い線がはしる。ヨトに飛び掛かる血鼠の頭はリヨンの剣によって砕かれ、ハンクが戦斧せんぷを振り回すといくつかの首が飛んだ。


「吹き飛べ疾風しっぷう――〈穿うがち風〉!」


 ヨトたちの間を吹き抜けた突風が、血鼠を数匹さらって木に叩きつけた。ニースが作った隙を逃さず、短槍で斬りつける。


 ヨトが血の臭いで顔をしかめたころには、群れの半分は死に、残りの中で無傷なのはたった数匹だけだった。その数匹でさえ、四人は難なく対処し、微かに息のある血鼠達にも止めを刺した。


 ヨトは息を整えながら、短槍の穂に付いた血を拭いとる。その仕草がぎこちないのも、血鼠が流した血の臭いが気にならないのも、体が震えるくらい興奮しているからだ。


「うまく動けたね」


 剣を鞘へ収めたリヨンに三人が力強く頷いた。単純なものとはいえ、作戦通り動けた上に、苦戦することなく戦闘を終えることができた。ヨトが勝利を味わうには十分すぎた。


「おれ、戦ったのは初めてだ……それで勝てた」

「初勝利ってやつだな」


 ハンクが満足げに笑みを浮かべるヨトの肩を叩いた。


「……半分は、ニースのおかげだけどね」


 ニースの魔術は、本人が言った通りの効果を発揮していた。群れの半分の数に損傷を与えて、さらに半分の数を仕留めている。


「前に出てくれる人あっての魔術士だから!」


 ニースが顔の前で手をひらひらと振って、その場を逃げだし血鼠の死骸に近づいた。褒められ慣れていないところが、ヨトと似ている。


 ――そんな、血鼠の毛皮を剥ごうとする手が止まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る