第一章 そよ風を纏って

第二話 冒険者ギルド

 貧しい備えしかない農村は、魔物の襲撃によって簡単に滅ぶ。運良く生き残った人間は、この地域で一番大きな街であるグリムに流れ着くことが多い。そして片隅にある貧民窟ひんみんくつへと潜り込み、農村よりも貧しい暮らしを始める。


 グリムには冒険者ギルドがある。冒険者の拠点となっていて、そのため魔物の襲撃にも十分に対応できた。彼らにとってそのことが何よりの安心となっていた。


 ヨトもその中の一人だった。灰色の髪は深い青の瞳に少しかかる程度の長さで、未だ幼さを残した顔立ちは、険しい表情を浮かべている。


 エノン村を飛び出し、一日かけてグリムの貧民窟へ辿り着いた。そして細い路地の、さらに細い隙間の石畳の上で夜を明かす。どうしようもない喪失感は、ヨトの体力と精神を大きくすり減らしていた。


 それでも、生きたいという思いを抱いている。


 そのための手段として、真っ先に思いついたのが冒険者だ。


 冒険者は基本的に誰でもなれる職業だからだ。


 他の職業に比べて損耗そんもう率が高く、冒険者を管理、斡旋あっせんするギルドは常に人材を欲している。例え今は力や技量がなくても、依頼をこなしていけばいずれ実力がついてくるかもしれない。ギルドにはそんな思惑があった。もっとも、実力がついてこなければ死ぬだけだった。それでも生きるために冒険者となる人間は多い。


 生きていくには飯を食わないといけない。飯を食うためには金を稼ぐ必要がある。特別な技能を持っているわけではない子供を雇うような人はいないし、助けてくれるような知り合いもいない。


 冒険者になるしかない、とヨトは思っていた。




 ギルドの建物がある一番大きな道は、大勢の人が行きかっていた。馬車がいくつもすれ違っても道が埋まることはなく、立ち並ぶ多くの商店が人を飲み込んでいた。


 ヨトはおっかなびっくり歩を進める。エノン村ではこれほど多くの人を見ることはなかった。


 しばらく歩くと、一際大きな建物である冒険者ギルドにたどり着いた。


 ギルドの扉もまた大きなものであり、常に開かれ冒険者らしき人達が出入りしている。


 ヨトはそれに混ざって中に入った。


 熱気のある声がヨトの体を叩く。正面の奥にギルド職員がいる受付台がある。そこへは扉から道が伸びていて、それを避けていくつもの卓が配置され、席には武装した冒険者たちがまばらに座っていた。


 左手には酒場が併設へいせつされているらしく、冒険者たちの手には大きな杯が握られていた。


 空気に気圧されるヨトへ、入り口から近い席に座る冒険者が視線を投げた。その男の眼光は、鋭くヨトの姿をじろりと眺め、しかしすぐに興味を失ったように視線を外した。


 逆にヨトは興味を惹かれていた。初めて近くで冒険者を見たからだ。


 冒険者の装備は、どれもが傷だらけで薄汚れていた。厚手の服の上には、動きを阻害しない程度の簡素な鉄板が取り付けられ、腰には小さな鞄が下げている。


 特に目を引いたのは、ヨトの身の丈より長く、刀身の幅が二の腕の長さほどもある大きな剣だ。


 もしもあれが自分に振るわれたら、と考えてしまう。たちまち二つに分かれることとなるだろう。少し想像して背筋に冷たいものが走る。


 それに比べてヨトは、身を守る防具もなければ敵を倒す武器もない。それでも冒険者になれるのだろうかと少し不安になった。


 笑いながら杯を傾け食事する冒険者たちや、慌ただしく料理や器を運ぶ給仕など、ヨトはあちこちへと視線を向けながら受付台にたどり着く。


 受付台の向こうには、さきほどの冒険者とは正反対の印象を受ける女性が立っていた。


 綺麗で柔らかそうな服装で、波打つ茶髪は毛先が少し肩にかかっている。大人になったばかりであろう顔立ちは、端正たんせいで鮮やかな青い瞳が特徴的だった。


「ようこそ、グリム冒険者ギルドへ。どのようなご用件でしょうか?」


 ヨトに気付いた受付の女性は、自然と愛想の良い笑顔を浮かべ、目を合わせるために視線を下げる。視線がぶつかったヨトは、気恥ずかしさから思わず目を逸らす。村では見ないような女性だった。


「……冒険者に、なりたいんですけど」

「かしこまりました。では、こちらの用紙に名前、性別、年齢、出身地をご記入してください」


 受付の女性がはきはきとした口調でそう言うと、淡褐色たんかっしょくの紙と鉛筆をヨトに差し出す。あからさまな子供でも、受付の女性は戸惑うことなく対応をしている。


 ヨトは少し驚いた。自分と同じくらいの子供が冒険者になるのは珍しくないのだろうか。


 ヨトはつたないながらも紙に『ヨト』『男』『十二』『エノン村』と記入し、受付の女性に返した。自分のことを文字に書けるように父から教えられていた。


 受付の女性が、さっと目を通す。


 年齢についての言及はなく、ヨトはほっとした。


「……はい、確認いたしました。では、冒険者の説明します。失礼ですが文字は読めますか?」

「……読めない、です」

「わかりました。冒険者とは、魔物生息地で活動する者のことです。様々な活動がありますが、ほぼ全てに魔物との戦闘が想定されています。依頼主に代わり魔物との戦闘を担う、それが冒険者の仕事となります。依頼はギルド内の掲示板に張り出され、受付で受注できます」


 ヨトは掲示板へと視線を向ける。雑多に紙が張り出され、数人の冒険者があれやこれやと話し合い、品定めをするように眺めていた。


「どんな依頼が、あるんですか?」

「対象の魔物を規定数討伐するものや、素材となる薬草などの採取、魔物生息地内の調査およびその護衛などがあります」

「ふぅん……」

「より詳しくは講習の際に教官へお聞きください」

「講習?」

「冒険者に登録するためには、簡単な訓練や戦闘などの講習を受け、その後に登録依頼を達成しなければなりません。講習は週に一度、半日程度で行われます。そうですね……」


 受付の女性は手元にある資料をめくった。


「本日、およそ一時間後に行われますね。参加しますか?」

「あの、まだ武器持ってない場合は……」

「大丈夫です。講習の際に無料で貸し出されます。破損した場合や、そのまま続けて使用される場合は代金をいただきますけどね」

「じゃあ、参加します」

「かしこまりました。ギルド内で待機される場合は、お好きな席に座っていただいて構いません」


 ヨトはその言葉に従って適当な席へ座った。そしてギルド内を眺める。


 食事をする冒険者たち、そこに料理や飲み物を運ぶ給仕の女性。受付の奥ではギルド職員たちが紙を広げて会話をし、ときおり何かを書き込んだりしている。さっき受付をしてくれた女性は、笑顔を浮かべながら先ほど掲示板の前にいた冒険者の対応をしていた。


 騒がしいな、とヨトは素直に思った。それは食事と酒を楽しむ声だったり、冒険者としての話し合いをする声が混じり合った音で、よく父親に連れられて行った農村の酒場を思い起こさせる空気だった。


 貧民窟とは大違いだ。何かを失った人たちが流れ着く場所。陰鬱いんうつとした空気を吹き飛ばす快活な声もなく、ただ息を潜めて生活をする。生きることが目的でなく、いずれ死ぬために息をする。それは人の生き方じゃない。


 ヨトはそんな世界で死んでいくのが嫌で飛び出してきた。自分は生きたいと、それらとは違うのだと信じている。

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