東の風を越えて

高町テル

序章 東の風がふく時

第一話 東の風がふく時

 昔から、言われていることだ。

 東の風に吹かれたら、風邪をひく。


 かつて魔物支配地であったところが開拓され、大きな街グリムが出来あがり、その周りにいくつもの農村が生まれた。その一つがエノン村だ。


 大麦や小麦を作って税を納め、野菜を作って自分たちの生活のかてにする。エノン村がやっていることは、周りにあるいくつもの農村もやっていた。それでも他の農村に自慢できることがあり、それは西に見事な花畑が広がっていることだ。春になれば、いくつか花を摘み取ってグリムへ売りに行くこともあった。


 ヨトはそこの農家の次男坊だった。両親の手伝いで畑をたがやしたり、作物の世話をして暮らしていた。ヨトには良く遊ぶ友達がいた。


 花が大好きな友達は、暇があればヨトを連れて花畑に通っていた。西の花畑には様々な種類の花が咲き乱れ、寒くなってくる季節でも花畑は美しさをいだき続けていた。


 友達はきれいな花を指差しては、得意げに名前やその由来を語っていく。何度も何度も同じことを聞いていくうちに、興味があまりなかったヨトでさえ花の名に詳しくなった。


 そんなに花が好きなら、村中だって花でいっぱいしてあげたい、とヨトは心の中で思っていた。それは夢と言えるものかもしれない。口に出すことは、恥ずかしくてできなかったけれど。


 友達は花の甘い香りが特に好きだと言っていた。だから花畑へと来るたびに、服が汚れることも気にせず寝転がる。


 その状態で目をつむれば、全身が花の香りに包まれる感覚を味わえると友達は語る。ヨトも真似をして寝転がるが、花の香りを嗅ぐよりも、目を閉じたまま、うれしそうに笑う友達を見るほうが楽しかった。


 その日もヨトは、ずっと友達と花畑で遊んでいた。


「ここをね、こうやるの」


 そう言って友達は器用に花を編んでいく。慣れた手つきだ。


「こう?」


 ヨトが教えられたことを真似しようと、手を動かしていくが、うまくいかなかった。何とか花を潰さないように苦労した。


 出来上がった花飾りは、少し不格好。友達が作った物とは、違う物を作ったのではないか、と思うほどかけ離れた見た目をしていた。


 気恥ずかしさがこみあげてくる。ヨトは様子を伺うように友達を見た。


「ふふっ」


 目が合った友達はふんわりと笑った。馬鹿にしたものではない、優しげな笑みだ。


 なんとなく救われた気がしたヨトは、冷たい風が吹いてきたことに気付いた。


 空の色が、いつの間にか変わっていた。夕日がまぶしく、ヨトの顔を照らしている。


「そろそろ帰らないと。東の風に当たって風邪をひいたら、怒られるぞ」


 ヨトは友達の腕を優しく掴んで立たせる。


「そうだね」


 友達は服に付いた土や葉を払って落とした。


 そして、出来上がった美しい花飾りを掲げる。


「ねえ、ヨト。ちょっとかがんでくれる?」


 その言葉にヨトは従って、友達が花飾りを頭に乗せようとした時だ。


 空気を引き裂き、地面を揺るがす大きな音がとどろいた。


「ひゃっ」

「……なんだ、今の」


 驚いた友達が花飾りを落とした。


 それは空からじゃない。村の方向から鳴ったものだ。


 不安に駆られたヨトは、花飾りを拾おうとしていた友達の手を握って走った。


 花飾りは、その場へと置かれたままになった。


 二人が村にたどり着くと、世界が変わっていた。


 赤い、赤い、赤い。


 空が赤かった。村も真っ赤に染まっていた。血汐ちしおよりも赤い魔物だった。


 逆立つ鱗がこすり合わさる甲高い不愉快な音が、東の風に乗って耳を突き刺す。大きく発達した前脚を打ち振るえば、黒々とした鉤爪かぎづめが石で建てられた家さえ、呆気なく打ち崩された。


 長い尻尾が地面に叩きつけられると、大地がえぐれ、振動が遠く離れているはずのヨトの足まで伝わってくる。何かをむ口の隙間から、てらてらとした赤黒い牙が見えた。


 ヨトは、生まれ育った家を壊される光景から目を離せなかった。友達の存在を確かめるため、手に力が入る。ヨトも友達も、声が全く出なかった。呼吸すらうまくできていなかったかもしれない。


 赤い魔物が、石を押しつぶす音を立てながら首を動かした。


 ヨトは赤い魔物と目が合った。その瞬間、世界から色が消えたように感じられた。


 灰色の世界の中で、赤色だけが動きだす。


 そこでヨトはさとった。


 ああ、これは悪い夢だ。


 だってこの後、どうなったかを、もうすでに知っているのだ。

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