幽霊になったら

蒼猫

幽霊になったら

「幽霊になったらどうする?」

ふと、昔に友達が言った質問を思い出した。

その時私は何て言ったっけ。

確か「どうもしないけど。」とかつまらないことを言って友達にぶつくさ文句を言われたような気がする。

そもそも「幽霊になったら」なんて非科学的だし、「どうする」も質問がふんわりしていて何と答えればいいのか分からないし。起こらない事象について考えるのは無駄だと考えていた。

けれど、人生とは不思議なもので、私は私が信じていなかった非科学的なものに私自身がなってしまう事だってある。

そして、幽霊になった今ならその「どうする」に対してしっかりと答えを言える。


幽霊になったら――


×××


私が幽霊と呼ばれるものになった日、初めに「意外と自由だ」と思った。

地縛霊と言う呼称があるように、その場に縛られているような幽霊になる、もしくは、さっさとあの世と呼ぼれる場所に行くのだと勝手に思っていた。

私が幽霊になったのだと自覚した時に居たのは自分の部屋で、私はここで幽霊として生きていくのかと考えた。が、部屋からは出ることができるしなんなら外を歩くことも出来た。

そこでふと思った。「いろんなとこを見て回ろう」と。


近所の公園、昔通った小学校と中学校、それとショッピングモール。買い物は出来ないから所謂ウィンドショッピングと言うやつをした。平日だけど結構人は居て、小さい子供を連れた親子や、学校をサボったと思われる学生達なんかがいた。夕暮れ時になると私は家に帰った。

自分のベッドに寝転がる。リビングに行くとお母さんとお父さんが無言でご飯を食べててなんだかちょっと寂しかった。私はここにいるよって言えたいいのにと思って少し涙が滲んだ。


×××


気が付くと夜になっていた。どうやら寝落ちしてしまっていたみたいだ。二度寝できるほどの眠気がなかったから外に出て散歩をすることにした。夜に散歩に出ることなんてなかったからなんだかちょっとワクワクする。


適当に歩いていて踏切の前で止まる。電車が通るみたいで遮断桿が下がっていた。私は死んでいるからこの遮断桿を無視しても大丈夫なんだろうけど、通るのはなんだかちょっと怖かった。カンカンカンと音が鳴るのを聞いていると、その音に混じって後ろから声が聞こえた。振り返ると制服を着た男の子が立っていた。私と同じ高校の制服だ。暗くて顔はよく見えないけど何だかこちらを見ている気がした。私の姿は見えるはずないのに。男の子がゆっくりと近づいてくる。電灯の明かりでだんだん姿がはっきり見え始めた。

「多田さん?」

私の名前が呼ばれた。驚いて固まっていると、相手がまた声をかけてきた。

「多田さんだよね、こんなとこで何してるの?」

「私の事、見えるの、?」

思わずそう聞いた。

「うん、見えるけど。」

男の子は当たり前のようにそう言った。本当に見えてる!と私は嬉しくなって男の子に勢いよく近付き抱きつく。ぎゅっと強く抱きしめた。

「え、え、ちょっ、多田さんっ!?」

困惑している声が頭の横から聞こえたが、無視してぎゅっと服に埋まる。今まで堪えてきた感情が溢れ出してきて、私の目から零れ頬を濡らしていく。暫く私の横でワタワタと動く気配がしたが次第に大人しくなっていった。

「……とりあえず移動しない?」

顔を上げると男の子がちょっと気まづそうに視線を逸らしてボソッとそう言った。


静かな公園のベンチに座って男の子が買ってくれた温かいココアを握る。じんわりと体が温まって行く気がした。肝心のココアは今の私には飲めないけど。

男の子は無言のままずっとそばに居てくれている。

「ありがとう、鈴木くん。」

男の子の方をみてお礼を言うと、びっくりしたような表情をした。

「多田さん、僕の名前知ってたんだ……」

予想外ですなんて顔と声で男の子――鈴木はそう言った。その反応にモヤッとする。

「何それ。私が名前知らないと思ったの?同じ高校の同じクラスでしょ。」

ちょっとだけ棘のある言い方をすると鈴木は分かりやすく動揺した。

「ご……めん。そんなに関わりないから覚えられてないと思って……」

気まずかったのか恥ずかしかったのか、鈴木は目を逸らして自分の手をじっと見つめ始めた。その反応に私は少し笑う。

「まぁ、関わってないのはその通りだけどっ」

そう言いながらベンチから勢いよく立ち上がる。鈴木の前に立って鈴木をじっと見つめる。鈴木が頭にハテナを浮かべたままこちらを見ていた。

「――ねぇ、私と旅しに行かない?」

思いついたようにそう言った。私の急な提案に鈴木はポカンという効果音が似合う顔をしていた。ちょっと面白くて笑ってしまった。


×××


「それで、どこに行くの?」

昨日とは違って明るくなった公園を背景に、昨日と同じ制服を着て、でも背中に大きな荷物を背負った鈴木がそう言った。

「旅をしに行かない?」なんてふざけ半分で言った提案に鈴木はすんなり頷いた。当たり前みたいな顔で「いいよ」と言うんだ。逆にこっちが驚いたくらいだ。朝9時公園で集合することを約束して鈴木はその約束の通りここに来た。

自分で約束を持ちかけておきながら本当に来るなんて思っていなかったものだから思わず笑ってしまった。それに鈴木は微妙な顔をする。

「なに。」

「いや……フッ……ほんとに来たなって思って……っ」

不貞腐れた様に言う鈴木に笑いながら返すと鈴木の眉間のシワがグッと寄った。

「来なきゃ良かったかも」

「あ〜!うそうそ!来てくれて嬉しいな、ありがとう!」

早口気味にそう言う。鈴木はムッとしたまま睨んでいたが何とか許しを貰えたらしく、先程の何処に行くかの話題に戻った。「どこに行くの?」という問いにこう答える。

「そうだな〜とりあえずカラオケ?」

「……は?」


大音量の曲が流れ、2人(私たち以外からすれば鈴木1人だが)にしては広ろすぎる大部屋に、天井にはミラーボールが輝いている。そこで私は声帯が悲鳴をあげるほど叫びながら歌う。鈴木は若干引き気味に私を見ながらジュースを飲んでいた。

ふーっと息をつく。アウトロが流れ始め採点終了の文字が画面に出る。やっぱり大声を出すのは気持ちがいいなと思いつつイスに深く座り込む。

「……多田さんがしたいことってこれなの?」

鈴木が、何かを抗議するよな目でこちらを見る。言いたいことはわかる。旅だなんだと言っておいて来たとこはカラオケなのだから。

「これからどこ行くかの相談をしに来たの!……ついでにカラオケも来たかっただけ」

最後の本音の方は小さめに呟く。それでも鈴木には聞こえていたのか溜息をつく。そんな鈴木を見て、今まで言いずらくて言えなかった事を聞くことにした。

「鈴木さ……何処まで着いてきてくれるの?」

結構遠くまで行きたいんだけど、と鈴木の様子を伺う。一緒に行くにしたって限度がある。私は幽霊だから何も気にせずいろんな所へ行けるけれど、鈴木は違う。交通費だって泊まる場所だって食べ物だって必要だ。誘いを許可してくれた手前断りずらいこともあるだろうし、出来れば鈴木の負担をかけたくない。どうせ最初は1人の予定だったのだから途中から1人でも問題はない。そう思って鈴木の返答を待つ。鈴木は平然とした顔で口を開いた。

「どこまででも。」

「……?」

私の頭の中が大きなハテナマークで占領される。どこまででも?ドコマデデモ?それって、

「……ずっと着いてきてくれるの」

「うん、そのつもり」

「大阪とか東京とか行きたいけどいいの?」

「いいね、楽しそう」

「……そっ!……そっか……!」

鈴木からの予想外の返答が嬉しくてちょっと口角が上がる。正直にいうと最初から1人も途中から1人も寂しかったのだ。鈴木の言葉がどこまで本当かは分からないけれど、ずっと居てくれると言ってくれたのが嬉しい。ニヤける顔を隠したくて、歌う曲を探すフリをしてカラオケのリモコンを触った。

「それで、最初はどこ行きたいの?」

一通り歌いたい終わって一息付きながらドリンクを飲んでいると、鈴木がそう聞いてきた。それに私はニヤリと笑う。鈴木のスマホを貸してもらい頭に思い浮かべていた場所を検索する。

「最初はね、遊園地!」

そう言って鈴木に見せる。日本で1番怖いと言われるジェットコースターがある場所だ。まだ私が生きている頃に友達と絶対行こうね!と話していたのだ。1人で行くのは虚しくて諦めかけていた所だった為最初はこれだと直ぐに思い立った。

ワクワクしながら話す私とは反対に鈴木の表情は何だか引きつっていたが、その時の私はその事に気づいていなかった。


×××


「っ……うっ……」

辺りは活気があり、通る人は全員キラキラと輝くような笑顔をしている。しかし道の端でそれとは真逆のオーラを漂わせている人が1人いた。

鈴木が口元を手で押えながらぐったりとした様子でベンチにもたれかかる。その横で私は面白そうにツンツンと指先で鈴木をつついていた。

「絶叫系ムリならそう言ってくれればよかったのに」

「…………じゃん」

鈴木が掠れた声でボソッと言うものだから聞き取れずに聞き返す。

「……ださいじゃん……」

そっぽを向いてそう言った鈴木に、ぽかんとしたまま固まってしまう。そして、段々と笑いが込み上げてきて耐えきれずに声に出して笑う。

「っ……くそっ」

鈴木がこちらを睨んでくる。けれどそんなの気にせずに笑った。

「あはっ……なにそれっ……んふふ」

可愛いとこあるじゃん、と言いながらまた鈴木をつつく。鈴木は不満げにしながらもまだ酔いが辛いのか暫くそのままつつかれていた。


鈴木が動けるようになるとまたいろんな所へ連れ回した。回転するアトラクションや水飛沫をあげるウォーターライド、それからお化け屋敷。そうして気づくと日が傾き始めていた。

「っあ〜〜〜!楽しかった〜〜!!」

そう言いながらぐっと背伸びする。隣にいる鈴木は疲労困憊といった表情をしながら「それは良かった」と棒読みで言った。

「……鈴木、ありがとう。遊園地来れてよかった」

私はオレンジ色に染まった道見つめてそう言った。何となく鈴木の顔を見れなかった。鈴木は「そっか」と短く返事をした。静まり返った道を2人で歩く。

「……次は何処に行く?」

静寂の中でそう言う声がやけに透き通って聞こえた。思わず足を止めて鈴木を見る。鈴木は困ったように眉を下げて微笑んでいた。一瞬言葉に詰まり、視線をずらす。そして目一杯息を吸って吐いて、また視線を戻して返事をする。

「次はね――」


×××


最初に言ってくれたように、鈴木は何処までも着いてきてくれた。大きな牧場に行ったり、朝早くに起きて気球を見に行ったり、鈴木にバンジージャンプさせたり、心霊スポットに幽霊を見に行ったりした。

沢山の場所に出向いて休む暇もなく移動して。鈴木には休憩がいるだろうと疲れているはずの鈴木に「もう少しゆっくりしていく?」と聞くと少し眉を下げて「時間が無いから」と言い、首を振った。たしかに、鈴木は学校とかあるし長く休めないかもなとその時はそう思った。

ざーざーと水飛沫が上がる音が耳にはいる。眼前にはピンクとオレンジを混ぜたような色をした空と少し暗い海が広がっている。今回は朝が来る前の海を見てみたいと言って、鈴木を叩き起して海に来ていた。

足元の砂を波がさらっていく。暫く眺めた後、波打ち際を歩き始める。

「茜も連れてきたかったな」

「……茜?……千代田茜?」

私がボソッと言った事が聞こえたのか鈴木がそう返してきた。鈴木は水に濡れたくないのか海から少し離れて斜め後ろから着いて来ていた。

「そう、千代田茜。」

そう言って茜を思い出す。私の大切な人。茜とは高校に入学した時席が近くてすぐに友達になった。それから今まで一緒で親友だとハッキリといえた。鈴木と回った場所だって、本当は茜といつか行こうねって話してた場所ばっかりだった。ただ、私が幽霊になってからは一度も会いに行っていない。茜には私が見えないだろうから。怖くて会いに行くことが出来なかった。それから死ぬ直前に茜との間に何かあったような気がして茜に会いにいく足取りが重かったのもある。

海にいて潮風がしみたからだろうか、目頭がぐっと熱くなる。耐えるように下を向いて歩く。

「多田さん」

波の音と一緒に私を呼ぶ鈴木の声が聞こえた。振り返ると鈴木か何を考えているか分からない顔をしていて、声がいつもとは違って心臓がザワザワする。

「……多田さんはさ、なんで死んだか覚えてる?」

「……」

急な質問にその場で固まってしまう。すぐには答えられずに黙っているとまた鈴木は口を開いた。

「と言うか、どこまで覚えてる?」

「え?」

そういう鈴木の声がやけに大きく聞こえた。波の音も風の音も鳥がなく声もなにも聞こえなくなったみたいだった。遠くからカンカンカンと踏切の音が聞こえる。それを消すように鈴木の声がハッキリと耳に入ってくる。

「今僕らが何年生なのかわかる?」

「……に……2年……」

自分で言って思い出す。私は2年生だったはずだ、でも違和感。ずっとあったはずの違和感。そう、例えば、鈴木のスマホを貸してもらった時、街中で流れるニュースの日付。目に入っていたけれど排除していた情報。踏切の音がどんどん大きくなって聞こえる。今の西暦は――

「今僕らは3年生だよ」

淡々と告げる鈴木から目が離せなかった。

「……そうなんだ。」

それしか言えなかった。黙って俯く。どのくらい経ったのか、しばらくして「そろそろ帰ろうか。」と鈴木が言う。私はそれに頷いた。すっかり明るくなった空が朝になったことを告げていた。

始発のバスにゆられる。どっと疲れた。自分の記憶が抜けてるなんて思いもしなかった。記憶が無いから思い出すことが出来ない、それがとっても寂しくて悲しく感じられる。「茜との事忘れてたらやだな」と小さく呟く。そこでふと思い出す。

「ねぇ!結局私はなんで死んだの?」

「……んぇ……え?」

隣で寝ていた鈴木を揺さぶって起こす。寝起きで何を言われたのか理解出来てない顔をした鈴木にもう一度同じことを聞いた。

「……あ、あぁ〜〜……わかんないよ」

「……はぁ?」

ケロッとした顔で「僕もわかんないから聞いたんだし」と言った。

なんだそれ。あんなにいかにも知ってます風に喋っておいて!何も知らないなんて!知ってます風に喋っておいて!

そう文句を垂れるが鈴木に仕方ないじゃんと言いながら適当にあしらわれた。


バスから降りて家までの道のりを歩く。どうやら鈴木は家まで送ってくれるらしい。いつも歩いていた道も久しぶりに感じる。途中、踏切がある。遮断桿が降りていた。カンカンカンと音が鳴っている。

あー引っかかっちゃったなとちょっと残念に思っていると、「多田さん」と鈴木が呼ぶ声がして「何?」と言って振り返る。

「幽霊って現世に留まれる時間があるらしい」

「え?ほんとに何?」

急にそんなことを言われて思わず聞き返した。

また分かってます風の冗談だなと思い疑って鈴木を見る。鈴木は言いずらそうにもごもごした後私のじっと見つめて口を開いた。

「だから……多田さんに残された時間はもうないんだと思う」

鈴木は私を見ているはずだが視線は合わない。

「……?」

カンカンカンと音がなり続ける。今日の踏切はやけに長いなと思う。

「なんでそう思うの?」

どうせまた『わかんない』って言うんでしょ、と思いつつ軽くそう聞いた。

しかし、予想とは反対に鈴木は真剣な顔をしていた。不安になって苦笑して誤魔化す。

「ね……ほんとに何っ……」

「迎えが、……来てるから。」

私の言葉を遮るように鈴木がそう言った。

「え……」と言葉を発すると同時に踏切の音が止まっていることに気づいた。思わず振り返る。

目の前で電車が止まっていた。電車の音なんか聞こえなかったのに。

ゆっくりと電車の扉が開く。中から黒い影のような人型の何かが現れた。それはお辞儀をして扉を抜けこちらへ降りてくる。足を降ろす度に電車と地面との段差を埋めるように透明な階段が連なる。そうして私の前まで降りてくると、人型の影は私にお辞儀をして手を差し伸べた。

どうしようと思い、助けを求めるように鈴木を見る。

「っ……」

鈴木が眉を少し下げて優しく微笑んでこちらを見ていた。

「……僕なりに多田さんの未練が無くなればと思ってたんだけど……どうかな、少しは役に立てた?」

鈴木が今にも泣き始めそうに見えた。それがなんだか自分を冷静にさせてくれた。

あぁ、これで終わりなんだと思う。この影について行けば天国だとかそんな場所に行くのかもしれない。鈴木は最後まで私が楽しめるように今まで黙っていてくれてたのだろう。

チラリと影を見る。何も言わないけれど、私達の別れが済むのを待ってくれているような気がした。

ゆっくりと鈴木に近ずいて手をとる。鈴木の手を両手で包んでぎゅっと強く握った。鈴木と目を合わせてゆっくりと口を開く。

「ねぇ鈴木、鈴木のおかげでずっと楽しかった。」

鈴木がぐっと眉を潜めてもっと泣きそうな顔をする。それが面白くて小さく笑ってしまう。

「未練っていうのもだけど、茜と仲直りしたかったかなぁ……。」

目の前に居ない彼女の事を思い浮かべる。たしか私が死ぬ直前辺りで喧嘩別れしたはずだ。だから心のどこかで会いに行くのに躊躇いがあったんだろうと今にして思う。

この旅で茜と鈴木と私が一緒だったらもっと楽しかっただろうな、とくだらないことを考えた。

「それから、ありがとう。私に着いてきてくれて。私と遊んでくれて。私を見つけてくれてありがとう。」

私が死んで私でいられたのはきっと鈴木のおかけだ。誰も見つけてくれなくて、誰にも声が届かなくて、誰にも触れられなくて、気が狂いそうだった私の元に現れてくれてありがとう。

伝えたい事を一通り言って、鈴木の手を離す。鈴木が瞳を揺らしてこちらを見た。

学校にいた時の何だかスカした態度だった頃の鈴木とは真反対だななんて思ってまた笑いが零れてしまう。案外寂しがり屋なんじゃん、なんて。名残惜しいけれど、もう行かなきゃ。

鈴木のいる場所から電車まで歩く。一歩一歩が重く感じて、やだな、もっといたいななんて、思ってしまう。目頭が熱くなって喉が締まって痛み始める。じんわりと目の前がぼやけていく。

影の目の前にきてゆっくりと手を取った。影と一緒に階段を昇る。けれど、途中で足を止めた。

「……鈴木葵!」

そう勢いよく叫んで振り返る。鈴木を見て、絶対に聞こえるようにしっかりと息を吸って口を開く。

「大好きっ!……バイバイ!」

そう言って私は逃げるように階段を登って電車に入った。最後のあの鈴木の顔。良い表情が見れた。きっと今の私は満面の笑みなんだろうななんて1人で思った。


×××


カンカンカンと踏切の音が鳴る。空がオレンジ色に染まっている。

そこに花束を持った1人の男が通りかかった。男は踏切のある道路の端の方へ足を進め止まる。既に先客が居たのだ。しゃがみこんでいる先客に男は話しかけた。

「こんにちは、千代田。」

そう呼ばれて、しゃがんでいた先客が振り返る。

「こんにちは、鈴木。……朝日との最後のデートはどうだった?」

千代田はゆっくりと立って、スカートをポタパタと叩いた。千代田の足元には花束が置いてあった。

「楽しかったよ。……千代田も行けば良かったのに。親友でしょ」

そう言うと千代田はぐっと顔を顰めた。

「何が親友よ、あんな奴。……っ私のこと置いて行ってっ……」

千代田は両手で服を握りしめて、俯いて苦しそうに言葉を吐き出した。

そんな千代田の横を鈴木が通り抜ける。すれ違いざまに肩をぽんと叩くと、千代田が置いたであろう花束の前にしゃがみこむ。

「酷いよね朝日って。最後まで千代田のことばっかり考えてたんだ。彼氏だった僕の事なんて忘れてたよ。」

明日の天気を話すような明るい声色で鈴木がそう言った。

「……っなにそれ、」

酷いね、と言い泣きながら小さく喉を振るわす千代田を横目に、鈴木は千代田の花束の横にそっと持っていた花束を置いた。

多田朝日の死因は脱線した電車との衝突。一緒にいた千代田茜を向かってくる電車から離すために突き飛ばし自身は電車に巻き込まれ死亡したと聞いている。

強い衝撃だった為か、多田朝日は事故の起こる前の1年分の記憶を無くしていた。

その1年間の間に付き合い始めた鈴木の事はすっかり忘れてしまっていた。しかし何故だか事故直後に千代田茜と喧嘩していたという記憶だけの残っていたらしい。多田朝日が死ぬ直前に強く願っていたのだろうか。そう思うが鈴木には到底知り得ることの出来ない事だ。

彼氏ではなく親友との喧嘩の方が思いが強い事が鈴木には多少不満であったが、それが朝日らしいとも思った。それに最後の言葉。あの言葉をくれたから良しとした。


踏切の音をかき消すほど電車が勢いよく踏切を通過する。風が巻き起こる。花びらが数枚風にさらわれて宙に浮いた。

暫くすると電車が通過し終わり踏切の音が鳴り止んだ。静かに遮断桿が上へあがる。

「帰ろうか。」

鈴木が千代田にそう言うと千代田は無言で小さく頷いた。すっかり暗くなった空の下を2つの影が歩いていく。

途中、2人のうちどちらかが質問をした。

「ねぇ、幽霊になったらどうする?」

暫くの静寂の後、澄んだ声が辺りに響いた。


「幽霊になったら――好きな人に会いに行く」

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