第4話 儀式
ラディリアスは結婚に夢を見るような男ではなかったが、それでももっと違うものを想像していた。
唯一の家族とは殺伐とした関係だ。だからこそ、心から気を許せるような、そんな女性と結婚したいと思っていた。
しかしながら、自分より巨大な蜂の姿をした結婚相手は、群衆集まる広場でなんと刃物を渡してきた。
10センチくらいの刃渡りの美しい飾りのついたナイフである。
「これは……」
『大変申し訳ないが、この泉にそなたの血を一滴で構わない、垂らしてはくれまいか?』
(翻訳合ってる?)
「これは市民の生活用水になる水では?」
『その通りだ。よく覚えているな』
今日こそ儀式の日であった。
婚姻のためには結婚する相手の体液をここに落とす必要があるということだ。
なんでも、結婚相手を国民に知らせる必要があるらしい。
話を聞いたが、正直ラディリアスの理解の範疇を超えていた。
(この水を飲むと私のことがわかるとは一体どういう理屈なんだ……)
訳がわからなかったが、言われたら拒否権はない。
とりあえず今はやり過ごして後でゆっくり教えてもらおう。
ラディリアスは手にナイフを走らせた。
『なぜそれほど深く切った!』
女王が驚きの声を上げ、周囲はそれこそ蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
女王は水を用意していた豪奢な器に汲んで飲み干すやいなや、衛生兵を呼び付けたようだ。
手早く手当てをされ、ここにきた時に乗ってきた乗り物に押し込められる。
「まあ利き手ではないので……」
『一滴で構わんと言ったではないか! 痛むだろう? 痛み止めを持って来させよう』
腹をすかせた猛獣のようにウロウロと歩き回る女王が面白くてまじまじと見てしまう。
感情面は、思ったよりも人っぽい。
それなりに楽しく暮らしていけるのではなかろうかとラディリアスは悟りの領域に入っていた。
もう、右を見ても左を見ても巨大な蜂が闊歩しているのだ。
いい加減このおかしな状況に慣れ始めるというものである。
「軍人ですからこれくらいの怪我は経験があります。ですが騒ぎを起こしてしまいましてお詫びを申し上げます」
『もういい、謝るでない。ああ、時間がない。すまないが、明日になればわかるゆえ説明は省くが、明日の朝まで誰もここに寄越せないと思う。簡単な食事が保冷棚に入っているゆえ、温め直して食べてほしい』
退室した女王と入れ替わるように医務担当がやってきて薬をくれて、彼女も焦ったように去って行った。
女王が言った通り、その後世話係は誰も来なかった。
(何もかも聞きそびれたな……)
水に血を垂らす意味とはなんだったのだろう。
考えれば考えるほど手の傷がじくじく痛み出した。追加で痛み止めをもらおうか。
しばし考え込んで、こっそりと廊下に出た。誰も寄越せないと言っていたが、探し回ればどうにかなるだろう。
「なんだ、これは……」
廊下のあちらこちらに巨大な繭のようなものがあった。
ラディリアスは驚きのあまり部屋に逃げ帰った。
「確かに昆虫なら変態する。だけどあれは……成虫ではないのか?」
幼虫が成虫へ変わる時期のことを変態という。芋虫が蛹になるだとか、蛹が蝶になるだとかその過程を言うのだ。
ラディリアスの考えが及ぶ範囲だと、女王をはじめとした彼女らはすでに成虫だ。
「訳がわからん……」
その夜、彼は一睡もできなかった。あそこからもっと恐ろしい見た目の何かが出てきたらどうしたらいいかわからなかったからだ。
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