第2話 邂逅
ラディリアスは一瞬言葉を失った。目の前のヴェスピリア人は男女の区別さえもつかなかった。
彼女はギチギチと奇妙な音を発した。
『元気そうで安心した』
ヴェスピリアの通訳ロボットの流暢な言葉にはっと我に返った。
長身であるラディリアスでも見上げるほどの黒い頭部には、突き出た二本の触覚がゆらめいている。どこを見ているか定かでないつるりとした漆黒の巨大な複眼。
先ほどの音は大顎を擦り合わせて出したのだろう。
足は四本。腕は二本。背には畳まれた羽根。
(蜂……に似ているな)
「女王陛下に拝謁いたします」
ラディリアスは自国式の礼をした。またもや奇妙な音が聞こえた。
『楽にせよ』
彼は勧められるがままに下座に腰掛けた。
まず部下を保護してくれたこと、それから自分を救ってくれたことに礼を述べた。
『そなたは凍死寸前だった。多少治療させてもらった』
「お心遣いに感謝いたします」
『身なりから軍人だろうと思ったが、まさか王弟であったとはな』
「我が王に仕える、しがない一軍人にございます」
昆虫型の異星人に会ったのは初めてだ。
恩人の容姿について、部下が言葉を濁していた訳がようやっとわかったというものである。
『昨日、陛下との晩餐はとても楽しかった。新鮮な動物性タンパク質を久しぶり摂取した』
(動物性タンパク質。肉か。肉か魚だな。翻訳が文語調すぎるぞ)
「お口に合いましたならようございました」
『まだ食事は満足にはできぬか? そなたも来ると思っていた』
本当のことは言えない。外交の場にはお前は出せんと兄王に言われたのだ。
今日とて、彼は直に礼を述べたいと兄にわがままを言ってこの場に漕ぎ着けたのである。
「起き上がれるようになったばかりの体たらくにございまして、会食の席で失礼をするわけにもいくまいと辞退をさせていただきました……」
どうやって食事をするんだ? あの虫にそっくりの前足……いや、手でフォークを持てるのか?
興味は尽きなかった。
しかも雌……女性しかいない種族だと? どうやって次世代を残すのだろう?
人間含め、哺乳類は生殖に雄と雌が必要だ。
だが、単為生殖できない哺乳類は生物のグループとしては実はマイナーな存在である。
昆虫類をはじめとする無脊椎動物。ミツバチやスズメバチ、アリなどは有性生殖と単為生殖を切り替えることができる。
脊椎動物でも、魚やヘビをはじめとする爬虫類、鳥類ですら単為生殖が確認されている。
生物にも造詣が深いラディリアスは、目の前の異星人が気になって仕方がなかったのである。
『……そなたは私を恐れぬな。どの星の知的生命体であろうと、私のような姿はそうそうない』
「昆虫型の知的生命体もいると聞いたことがあります。それに陛下は我が恩人でございますし、同盟相手でございます」
『では私も本音で話そう。我らも最初揺れたのだ。貴殿らを肉とするか否か』
ラディリアスはごくりと唾を飲み込んだ。
流石に政に造詣が深くないラディリアスでも、同盟に手土産が必要なことなどわかりきっている。
自分や部下を手っ取り早いタンパク源にするよりも、拾って故郷に連れて行って政治家を強請ったほうがよほど対価として資源獲得できるというもの。
『手っ取り早く食糧にしなくて正解であった』
***
ヴェスピリアは謎多き種族だ。
データベースによって記載が異なるのである。
100年前、別の星から流れ着いた人類の手記には「灰色の肌のヒューマン型の民族、女系で女王をいただく階級社会を築く。戦闘能力は他の追随を許さない」とある。
また別の、500年ほど前の記録では「ムカデのような見た目の女系民族。戦闘能力が抜きん出ているが、見た目に反して植物食」と記載されていた。
(わからんな……)
ラディリアスは古文書を閉じ、侍従に淹れさせた茶を口に含んだ。すでに冷めきっていた。
女王に謁見したのち、彼はあちらの軍人と本格的に軍議に挑んだ。
軍人は身体に棘が生えており、他に比べて顎が大きかった。
軍人には羽がなかった。
「ヴェスピリアの記載とあの見た目が合致している記録はありませんね……逆に、蜂のような見た目の種族といえばこちらです」
副官であるヘイリーがコンピューターを操作すると、立体映像が現れた。
「三光年ほどの距離にある惑星アイリスに住む種族、ヴルギルア。見た目は似ています。ですが、彼らはハーレムを築くことで有名です。強い雄が多数の雌を従えます。ハーレムを持てない雄の羽はなくなり、棘が生えます。雌には元々羽が生えません」
ラディリアスはその立体映像をつぶさに見つめた。
羽の生えた姿はあの女王にそっくりだ。だが、羽が生えるのは雄のみだという。
「わからんな……だが、一つだけ言えることがある。敵でなくてよかった」
「全くです」
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