flow of air

 自転車を駐輪場に止めて、鍵を掛けて、早足で駅の階段を上がる。

 エスカレーターを走るなとよく言われるけど、そもそも駐輪場からいちばん近い入口には階段しかない。なのに結局、人が多いからとても駆け上がることなんて出来ない。電車に乗り遅れそうな時はちょっと譲ってくれるが。

 中学生の頃までは駅に行くことなんて休みの日だけで、朝の通勤通学のラッシュというのは全くの他人事だった。高校になって電車通学を始めて、なるほど、朝の電車というのはこんなに混雑するのだと思った。

 ちなみにそれを見た自分が思ったことは、こうだった。

「俺もこんな感じで社畜になるんだろうか」

 高校、大学、そして会社員。ずっとこの混雑した駅から混雑した電車に詰め込まれて、そしてまたホームの混雑へと吐き出されていくんだろうか、と。

 そういう斜に構えたようなことを思いながら、結局小さな声で呟くだけで、人の流れに、人生の流れに乗せられていくんだろうなと。

 今日は乗り遅れる心配はなかったので、階段を上り切って、自動改札を通り抜けて、またホームに向かう階段に向かう。ばらばらだった流れは自動改札で一つになって、均質な流れになる。

 歩いている、というには若干軽いリズムで、階段を軽く蹴りながら下りていく。

 自分の視線はホームに向いていて。

 人混みの中にいる長い黒髪の女の子と、ふと目が合った。

 靴の刻んでいたリズムが止まる。

 制服からして同じ高校だな、と思った。それから顔を見て、多分同じ同じクラスの女の子だと思った。名前は――下の名前までは覚えていない。苗字は山本とかだっただろうか。話した事はない。同じ駅から乗っていることも今日初めて気付いた。

 山本さんも僕の姿を認めたのだろう。一瞬目を少しだけ大きく開いて、すぐに元に戻して、線路の方に向き直った。

 僕は一瞬止めかけた足を、少し足を速め直して元の流れに合わせるように戻す。

 だけど、毎日の流れと合わせるのに抗するように――普段はもっと手前から乗るんだけど、彼女の並んでいる同じ列に並んだ。

 黄色い線の内側でお待ちくださいと、いつもの接近放送が流れた。

 まもなく入って来た電車に、流されるように乗り込む。

 3つ前に並んでいた山本さんの横の吊り革が、ちょうど空いていた。僕はその吊り革を持った。

 進行方向の反対側に向かって少し力が入って、吊り革をぐっと掴む。

 加速が終わってから、僕は隣の女の子に話しかけた。

「おはよう」

 目を薄く閉じていた山本さんは、驚いたように僕の方を見た。

「おはよう」

 窓の方に向き直って、感情のない口調で小声で僕に言う。

「同じ駅だったんだね」

「そうみたいね」

 目は合わせないまま、さっきより目を薄くして、それでも答えだけは返してくれる。

「今まで気がつかなかった」

「そうみたいね」

 あまり興味がなさそうな口調で言う。

 確かに僕も特に興味は持っていなかったんだろうけど、何故だか山本さんのことが気になっていた。

 何故気になったんだろう、と考えてみて、思いついた理由はあった。


 多分、あの駅のホームで、山本さんだけが人の流れの中で浮いていたから。

 人の流れに乗ることに、少しだけ抵抗していたから。 

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