第4話
それから数日が経った。俺は何事もなかったように出勤していた。しかし、以前より周囲に気を遣うようになったのは確かだった。
A君とトイレで一緒になった時に、俺は少し身構えた。
「アカウント凍結されましたね」
手を洗っていると、彼が耳元で小声で囁いた。その声の調子にはぞっとするものがった。彼に弱みを握られてしまったかのようだった。
「あ、ああ…」
俺は鏡越しにA君を見た。A君は俺より背が低かった。肌が白くて瑞々しく、若々しい。小顔でまあまあイケメンだ。
「みんな、なんか言ってる?」
「部長がインスタやめたって言ってました」
「それだけ?」
俺は何を期待してたんだろうか。自分でもわからない。
「はい。社内でばれたからやめたんだろう、って言ってます」
「あ、そう…。おっさんのくせにイキってるって思われるのは心外だなぁ…」
「いやぁ…。みんな金持ってそうだって言ってましたけどね」
俺はイラっとした。相手もそれに気付いたようだった。
「独身だし、余裕があって当然ですよね」と、すかさずフォローしていた。
「俺なんか昼はいつもデスクで食べてるのになぁ…みんなおかしいと思わないのかねぇ」
「そうですよね。だから、行ってない店に行ったふりをしてたんじゃないかって」
「あ、そう。余計悪いね」
インスタをやめた後でも、俺はいきってるおじさんだと会社で思われていたに違いない。それにしても、部内のうちのどれくらいの人が俺のインスタアカウントを知っていたんだろうか。もし、気が付いたらみんなに言いふらすだろう。そして、投稿を見て笑う。どこの職場でも上司の悪口は盛り上がるもんだ。管理職なんて残業はつかないし、嫌われるだけの損な役回りだ。
俺はこの一件以降、すっかり人間不信になってしまった。するとしばらくして、俺のデスクの近くにだけ、これ見よがしに防犯カメラが取り付けられた。
これを見たら、犯人はもう俺のデスクの引き出しを開けて、物を出したりはしないだろう。俺は常時監視されているような状態になって、デスクで背伸びをしたり、前のようにリラックスできなくなってしまった。
それからしばらくして、またA君が話しかけて来た。こそこそと囁くように言うので気持ちが悪い。
「部長、また似たようなアカウントが出て来ましたよ」
「え?また?」
俺は早速そのアカウントを見せてもらった。もしかしたら、A君が作ってるんじゃないか。最初俺はそう思った。
「何で俺だってわかったの?」
「プロフィールがほとんど同じなんで。それに、前のなりすましアカウントもこの新し人も、村松陽花里っていう地下アイドルの子のインスタによくコメントしてるんですよ」
「よく調べたね!」
俺はびっくりした。無数にあるアカウントの中でよく気が付いたものだと呆れる。
「僕も陽花里ちゃんのファンなんで…毎回コメント書いてるきもい人がいて、その人だったんですよ…新しいアカウントもプロフィールが似てて、やっぱり部長で〇〇大卒で…」
「へえ」
目指す犯人は男だ。それだけは確実だ。俺は早速、その地下アイドルの子のフォロワーになった。コメントを覗いてみると、一人だけ長文のコメントをしてる変な人がいた。
『陽花里ちゃんの記事いつも楽しみにしてるよ。今日は新宿行ったんだ。確か三時から路上ライブだよね?仕事で行けなくて残念。今日は雨だったけど濡れなかった?…Twitterで見たけどあまりお客さん来なかったみたいだね。俺が有休取って行けばよかったなぁ…』
あんまりお客さん来なかったって失礼だろう…。
その地下アイドルは令和少女隊というグループに所属していた。地下アイドルというのは微妙だ。どう見ても普通の女の子も混じっている。俺はその子たちのホームページを見て、ライブのチケットを予約した。場所は渋谷だった。オタクと言えば秋葉だが、渋谷はライブハウスが多いらしい。なりすまし野郎は俺の会社の最寄り駅まで来れるのだから、もし、住まいが都外だとしても、絶対ライブには来るだろう。
俺がライブに行くことはA君には言わなかった。俺はまだ犯人がA君のような気がしていたからだ。安心させておいて実は騙されているというのはよくある話だ。
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