第2話

 昼食の後、俺がデスクに戻って一番先にやったことはと言うと、机の上の整理だった。百均で買った虫眼鏡は本当にたまにしか使わないから、普段は机の引き出しに入っているのに、よりによって机の上に置いている時に写真を撮るなんて…。

 しかし、老眼鏡は邪魔だし普段は必要ないからかけたくない。


 俺はフロアにいる部下たちの顔を見渡した。きっと、この中の誰かがデスクの写真を撮ってネットにあげたんだろう。俺は仕事どころではなくなって、仕事そっちのけで偽アカウントを見ていた。

 

 プロフィールには、『〇〇のグループ会社に勤務。部長職。51歳独身。〇大出身。趣味はバスケと筋トレ。絶賛婚活中』


 俺はマスクの裏で顎が外れそうになっていた。

 これを見た人は、俺だってわかるだろうと思う。

 しかも、フォロワーはなぜか1000人以上もいた。

 穴があったら入りたかった。


 インスタグラムの記事を読んでみると、ランチはどこそこで、夜は〇〇で食べたとか、〇〇(クソ高い店)で飲み会があったり、大学時代の友達とホテルのバーでカクテルを飲んだり、さらに、美人の部下の女性と食事した等々が書いてあった。別の日には仕事終わりに皇居の周りをジョギングまでしていた。土日も大体どこかに出かけているし、アクティブに活動している人らしい。そこから浮かんで来るのは、高収入でスポーツもやっているようなイケてるエグゼクティブだ。はっきり言って盛りすぎている。俺はこんな生活を送っていない。


 これを見た人は俺が欲しさに、セレブのふりをしていると笑うだろう。こういう記事よりは、昼は公園でハトに囲まれながら弁当を食べて、夜は公園のベンチでワンカップを飲んでいて職質された、と書かれた方がよっぽどましだった。


 実際の俺は、昼は自前の弁当で、夕飯もファミレスくらいしか行かないのに…。俺はトイレに行って泣いた。きっと職場の若い男たちが俺のなりすましアカウントを作って陰で笑っているんだろう。誰かわかったら絶対に潰してやる。俺は復讐を誓った。


 さっそく、俺は運営元になりすまし被害に遭っていると報告した。しかし、あっちがアカウント停止になったとしても、単なるだけだと罪には問えないらしい。なんと理不尽な世の中だろう。俺が世間からかっこつけの痛い人だと思われて、俺が一方的に損をするだけなのだ。


 そのアカウントは俺のプロフィールを使って記事を投稿しているけど、名前や住所をさらしているわけではないし。〇〇グループの部長職は何人もいるから、すぐに俺には辿りつけない。


 俺のことを知っている人なら、▲▲さんじゃないかと言うだけである。ネットで婚活中であることをさらされ、普段連絡を取っていない人にも、未だに独身だと言うことがばれてしまう。しかし、それだけではプライバシーの侵害や、名誉棄損にはあたらないだろう。そう言えば、役員からお見合いしないかと言われたことがあった。もしかしたら、俺が婚活中なのをどこかで聞いて知っていたのかもしれない。この年齢で婚活しているなんてやっぱり恥ずかしい。


 俺の勤務先は都内の〇〇駅というオフィス街なのだが、なりすまし野郎がランチで行ったという店はすべて同じ駅にある店だった。中にはランチで三千円くらいの店もあった。わざわざそんな店に行くなんて、随分、無駄に金を使ったもんだと呆れる。フォロワーの人から「昼から豪華ですね」、「午後からも仕事頑張れますね」などのコメントが寄せられていた。


 そいつも調子に乗って「給料日だったの奮発しました」と、コメントに返信していた。確かに、うちの会社の給料日は毎月25日だ。どこの会社でもそうだろうけど。


 その日の午後は仕事どころではなく、体調不良を口実にして会社を早退した。管理職のくせに仕事を放りだすなんてありえないと思われるかもしれないが、俺が仕事を早退したのは、五年以上前に胃痛に耐えられなくなった時しかない。その時と並ぶくらいにショックが大きかった。


 俺はオフィスのエレベーターの中から、家に帰り着くまでずっとスマホをいじっていた。そいつは毎日投稿していた。ほとんどが俺に無関係の記事ばかりなのだが、時々、会社で実際に食べているスナックや飲んでいるお茶のことなどが取り上げられていた。どうやら机の中を開けて取り出したらしく、実物の写真も出ていた。

 しかし、俺が食べたことのないオーガニックのダークチョコレートや、ちょっと前にブームになった白湯などが机に置かれていて、それが記事になっていた。ネタに困って出したんだろうと推察する。


 そいつは、コメントにはすべて返信していて、フォロワーたちとの交流を楽しんでいるようだった。コメントするのは女性が多くて「こんな上司だったらいいなぁ」、「婚活しなくても相手がいるんじゃないですか」と書かれていた。しかも、それに対して嬉しそうにコメントしているのも腹立たしかった。

「職場では怖いって言われてますよ」、「奥手なのでなかなか難しいです」

 しかし、自分で奥手と言う割には、よく女性と飲みに行っている。そのうちの一人は、よく行く某ブランド店の美人店員で、その人が退職するから、今までのお礼に飲みに誘ったと書いてあった。俺の年収でブランド店の店員と仲良くなるのは無理だ。


 この人は俺のプロフィールを使って承認欲求を満たそうとしているようにさえ見えた。多分だけど、最初は冷やかしでやっていたのに、フォロワーがついて次第に楽しくなって来たんだろ。


 毎日投稿してもう何年もやっているようだった。読んでいて、だんだん飽きて来たが、俺の目はある写真にくぎ付けになった。俺の自宅の玄関横の小さな花壇に植えてある、バラの花が写っていたのである。


『玄関前のバラの花が咲きました。家を買った時に記念に植えたバラです』

 

 さすがにこれには腰が抜けそうになった。


 そのバラは前の持ち主が植えたもので、俺は一度も水をやったことがないのに、今もすくすくと育っている。ほぼ野生化しているバラなのである。このことは俺しか知らない。


 家にまで来ているとは…。一体誰なんだろう。悪戯にしてもやりすぎじゃないか。そのうち、家の中の写真も出て来るのではないか…。俺は気を失いそうだった。


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