第136話



「うわあ。綺麗ですね。ここに、こんなにも綺麗な桜があったんですね」



 辿り着いたのは、河川敷のそばにある桜並木。


 華やかに染まった桜が並び、花びらが宙を舞っている。


 普段は味気のない道だけれど、春の季節だけはまるで別世界のように綺麗になる場所だ。


 別に狙ったわけではないが、いい景色が見られた。


 今年は温かいおかげか、桜の開花も普段より早いらしい。



 彩花は感嘆の声を上げて、桜色の空を見上げていた。


 その瞬間、風が吹く。


 ふわりと彼女の髪とセーラー服を揺らして、桜の花びらが彼女の頭についた。


 それを指でつまみ、彩花はくすりと笑う。



「――――――」



 あぁ、なんて綺麗なんだろう。


 本当に。


 もう完全に、彼女に心を奪われてしまった。


 だからもう、しょうがないんだ。



 このときを心待ちにしていたような。


 それとも、永遠に来ないでほしい、と考えていたような。


 でも、先送りにはできない。


 せめてこの瞬間まで、と押し殺してきた気持ちは、既に膨らみ切っていて、いつ爆発してもおかしくない。


 もう、限界だった。



「彩花さん。彩花さんに、伝えたいお話があるんです」



 彼女に声を掛ける。


 楽しそうに桜を見上げていた彩花は、不思議そうに小首を傾げた。


 なんでしょうか、と微笑む。



 きっと彼女は、何を言われるか全くわかっていない。


 お祝いに何を食べたいか、考えておいてください、とでも言われると思っているんじゃないだろうか、


 そうなれば彼女は「どうしましょう……!」と顔をほころばせ、嬉しそうに思案し、いっぱいいっぱい悩んだあとに、食べたいものを言うのだろう。



 今までと変わらない日常。


 理久も、それを愛していた。


 なんてことはない日常が、幸せで、穏やかで、大好きだった。


 でも、るかも言っていたはずだ。



『好きって気持ちはさ、溢れるんだよ。言わないでおこう言わないでおこう、だって困らせるだけだから。関係が壊れちゃうから。そんなもの、百も承知なんだよ。でも、そんな理性を簡単に吹っ飛ばすのが、『好き』っていう気持ちなんだよ……』



 理久は、それをまざまざと感じていた。


 今まで一度たりとも、口にしなかった言葉を、理久は告げる。


 ようやく。


 言える。


 それは彼女との別れを意味していたけれど。


 その痛みよりも、堪える痛みのほうが強くなってしまっていたから。



「彩花さん。俺は、あなたが好きです。妹としてではなく、ひとりの女性として」



 風が、吹いた。


 桜の花びらが舞い、彩花の髪を激しく揺らす。


 けれど彼女は髪を抑えることもなく目を見開き、呆然とその言葉を聞いていた。



「えっ……」



 息が詰まるような、漏れ出た声。


 その表情は困惑に染まり、動揺し、どうしていいかわからないようだった。


 少なくとも、喜んでいるようには見えない。


 もしかしたら、と思わないでもなかった。


 全く期待してなかったわけでもなかった。


 万が一の可能性とは言え、あるかもしれないと奇跡を信じていた。



 好きです、と伝えて、わたしもです、と返してもらえること。


 嬉しいです、と言ってもらえること。



 そんなハッピーエンドを想像していて、でも予想どおり、彼女を困らせるだけで。


 そこに落胆はない。


 想像していた現実が、想像の外を超えずにただ広がっているだけだからだ。



 だから、謝る。


 想定していたとおりに。



「すみません。こんなこと言われても、困ると思います。彩花さんは、俺のことを兄として見てくれていたのに。家族になろうとしてくれたのに。でも、言わずにはいられなかったんです。一日一日、好きという気持ちが溢れそうになって。どうしようもなくて……。でもせめて、受験が終わるまでは待とうと思ってて。だから、今日まで我慢できたんです」



 とっくの昔に、理久は限界を迎えていた。


 どうにか押しとどめていたのに、クリスマスに器がぴしりと崩壊した。


 それでも言わずにいられたのは、「受験が終わったら言おう」と決めていたからだ。


 だからこそ、今まで耐えられた。


 けれど、これから先も言わずにいるのはもう無理だ。



 彩花は、その話を困惑しながら聞いている。


 胸の前できゅっと手を握り、黙って耳を傾けていた。


 まるで、初めて家に来たばかりのときのように。


 おどおどと、ただ困ったような表情を浮かべていた。



 言わなければよかった、と思わなくはない。


 こんなにも彩花を困らせてしまうのならば。


 でも、このままいっしょに暮らして。


 たとえば、後藤やほかの男でもいいけれど、彩花にも好きな人ができて。


 それを感じながらいっしょに暮らすなんてことは、理久には耐えられなかった。



 でも、こうなってしまった以上、いっしょには暮らせない。


 理久は、自分の気持ちを話した。


 彩花は、自分がどう見られているのかを知った。


 この状況で今までと変わらずに暮らしていけ、というのは、あまりにも勝手だろう。


 だから。



「だから俺は、家を出て行こうと思います。こうなった以上、今までみたいな兄妹には戻れない。でも彩花さんは、今までどおりあの家にいてください。俺がいなくなれば、済む話ですから」


「えっ……!?」



 彩花の目が、驚愕に見開く。


 さらに困惑を重ねた表情を見せたが、理久の心は穏やかだった。


 こうすれば、彩花は安心して暮らせるから。


 告白したあとは、こうするとずっと決めていた。


 けれど彩花は、それに反発する。



「そんな、そんなこと……、に、兄さんが出ていくなんて……!」



 その声に、理久は首を振る。


 彼女が言いたいことは、わかる。


 あそこは元々理久が住んでいた家だ。


 彩花なら、「出ていくのなら自分が」と言い出してもおかしくない。


 でも、それでは理久が納得いかない。



「こうなったのは、俺のせいです。俺の責任です。俺の罪です。俺が悪いのに、彩花さんを追い出すわけにはいかない。自業自得なんです。だから彩花さんは、気にせずに暮らしていてほしい」



 そう答えて、胸がじくりと痛む。


 こんなこと、言いたくはなかった。


 だって、人を好きになることが罪だなんて。


 それを伝えることが罪だなんて。


 自分は元々、彩花のことが好きだったのに。


 助けてくれたあのときの笑顔に、その心の綺麗さに、呆然と一目惚れしただけなのに。


 でも、その思いを振り払う。


 気持ちを伝えてしまった時点で、それは理久の罪に決まっていた。



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