第134話
合格発表の朝。
理久は普通に学校があるが、彩花は高校に合否を確認しに行ったあと、中学校に報告しに行く予定になっていた。
その日、朝から全員がそわそわしていたのは言うまでもない。
仕事に出ていくギリギリまで、香澄が「わかったらすぐに連絡頂戴ね。すぐね。置かないでね」と念押しし、そのたびに彩花が「わかってるよ」と笑う。
それに父も、「僕もお願い、彩花ちゃん。僕も」と落ち着かない。
何なら、理久の合格発表のときよりも浮足立っている気がする。
……まぁ、彩花は状況が状況だけに、仕方がない気もするが。
そして、このときいっしょになって、「彩花さん、俺も教えてください。俺も連絡ください」と言い出しそうな理久が何も言わないことに、彩花は少し不思議に感じていたようだった。
父と香澄が先に仕事に向かい、理久も登校する時間になったとき。
彩花はわざわざ、見送りに玄関まで来てくれていた。
そこで初めて、理久は彼女に言う。
「休み時間になったら、俺も合格発表を見に行きますから」
合格発表が貼り出されるのは、豊崎高校の校舎前。
だから理久は、休み時間に外に出ていけば合否がわかるのだ。
それを聞いて、彩花は少し目を見開き、「なるほどです」と笑った。
その笑みさえも、寂しげだった。
理久は彩花といっしょに暮らしているだけあって、多少は彼女の感情の機微がわかるようになっている。
おそらく、彩花は――、合格の自信がないのではないか。
いやむしろ、落ちているだろう、と考えているような気がする。
彼女の寂しげな微笑みや、どこか諦めたような表情は、理久が今まで何度も見て来たものだった。
それを、理久は見ないふりする。
確かに彩花は、コンディションが最悪だった。受かるものも受からないだろう、と思うような体調だった。
それでも。
それでも、信じたかった。
だって、そうじゃなきゃ、あまりにも報われない。
まるで彩花が寝込んでいた日に時間が巻き戻ったかのように、全く集中できない授業を受けて。
二時間目の授業が終わった瞬間に、理久は教室を飛び出した。
るかが「ちょ、理久、早い!」と声を上げたが、さすがに待っている余裕はない。
おそらく、彩花は合否をもう見に来ているはず。
もどかしく感じながら、理久は上靴から外靴に履き替え、校舎のそばを横切っていく。
どくどくどく、と心臓が強く唸り出した。
一年前、理久が合格発表を見に来たときと同じ場所に、掲示板が設置してあるのが見える。
あの頃よりも、今の自分は緊張しているだろう。
看板の前には、中学生だろうたくさんの生徒が集まっていた。
様々な制服が入り混じっている。
何人か保護者もいるようで、かなりの人数が掲示板を見上げていた。
既に合否を確認した生徒も多く、手を挙げて喜んでいたり、呆然としていたり。
しかし、たくさんの人の中でも、彩花の姿は見間違えようがなかった。
陽の光が反射して、彼女の髪がきらきらと輝いている。
美しい横顔が、そっと掲示板を見上げていた。
着ているのは、もう見慣れてしまった白いセーラー服。
それでも、見惚れるほどに綺麗だった。
なぜか、初めて出会ったときのことを思い出してしまう。
田んぼに浸かって途方に暮れていた理久は、彩花を見上げていた。
彼女のセーラー服やスカートには泥が跳ね、ローファーもどろどろにして、それでも彩花は穏やかに笑っていた。
その頃と変わらぬ美しさで、彩花は掲示板を見上げている。
その手には、小さな用紙。
理久も番号は覚えているが、確認する必要はなさそうだった。
理久は彼女の元に駆けていく。
その間にも、彩花は数字を確認していた。
ゆっくりと瞳が動いている。
しかし、そのひとつに目が留まった。
固まってしまう。
やがて、その目が大きく開かれるのがわかった。
自然と、唇も揺れて、口が少しだけ開く。
そして、彼女は己の口を手で押さえた。
目を細めて、泣き出しそうな瞳で掲示板を見上げている。
「――彩花さんっ!」
我慢できずに、彼女の名を叫んだ。
その瞬間、彩花はこちらを見る。
目が合う。
すると、何かが決壊したように彩花の目からはポロポロと涙がこぼれ始めた。
おにぎりを食べながら泣いていた、あのときのように。
大粒の涙がぽたぽたと落ちていく。
顔をくしゃくしゃにしながら、彼女は泣いていた。
そして、言うのだ。
子供のように泣きながら、彼女はそれを口にする。
理久が彩花のそばに駆け寄るのと、彼女が結果を口にするのは同時だった。
「あ、ありましたぁ……、に、にいさん、にいさぁん……。ありましたぁ……っ!」
理久の肩に両手を置いて、彼女は顔を伏せる。
地面には涙がどんどんこぼれていった。
あった。
合格。
その言葉が理久の頭の中でいっぱいになり、弾けるように感情が湧き立つ。
よかった、やった、嬉しい、安心した、頑張ったね、すごい、よかった、よかった……。
いろんな言葉が渦を巻き、しかし、そのせいで全く口から出てこない。
代わりとばかりに、こみ上げてくるのは涙ばかり。
うわあああん、と涙を流す彼女に負けないくらいに、理久の頬にも涙が伝う。
そこまでいって、ようやく言葉が出てきた。
「ぁ……、よかった……、よかったです、よかったぁ……っ」
その単語を繰り返すことしかできない。
ふたりしてわんわん泣いてしまう。
さすがに大袈裟すぎやしないか、と周りの視線が気にならないでもなかったが、こればかりは仕方がない。
ただただ、喜びと安堵感を噛み締めていた。
「り、理久っ、彩花ちゃん……!」
息も絶え絶えに走ってきたるかが、こちらに駆け寄ってくる。
ふたりして泣いているものだから、結果はどっちかわからない。
しかしそこは長い付き合いなので、理久の表情を見て察したらしい。
るかも胸が詰まったように顔をくしゃくしゃにして、唇を震わせた。
「あ……、あったんだ……? あったんだね? よ、よかったぁ……!」
理久と彩花の肩を抱いて、ぎゅうっと力を込める。
彩花は涙を拭いながら、「あ、ありがとうございます……っ」と涙に染まった声を出した。
三人揃って、よかった、よかった、と繰り返し続けた。
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