第133話
タクシーから降りて、駅に向かう。
早朝だと言うのに、既に駅の中は人がせかせかと行きかっていた。
今の彩花は、少しずつ動くのが精いっぱい。
ぼんやりした頭と頭痛に苦しみながら、ゆっくりゆっくり歩いていた。
その間にも、そばをたくさんの人が歩き、何ともハラハラする光景だった。
「……すみません、彩花さん。今回だけ、許してください」
そう謝罪を述べると、彩花が不思議そうに顔を上げた。
マスク越しでもわかるくらい頬が真っ赤なのは、身体が冷え切っているからだろうか。
彼女の分厚い手袋に、自分の手を重ねる。
手を繋いで、駅の中を歩いて行った。
「こうしていれば、安心ですから」
決して下心はないので、許してほしい。
そう思っての言葉だったが、彩花は久しぶりに静かに笑った。
ガサガサの声で、返事をする。
「なんだか……、本当の兄妹みたいですね……」
そう解釈したらしい。
小さいときならともかく、この歳で手を繋ぐことは兄妹でもなかなかないだろう。
いや、それともふらふらになっている妹相手なら、するだろうか?
案外、今までで一番兄妹に見えた瞬間かもしれない。
何せ、彩花と手を繋いでいるというのに、全くドキドキしない。
分厚い手袋越しでは、体温も手のやわらかさも感じない。
そうじゃなくても、ドキドキしている余裕はなかっただろうが。
ゆっくりと歩いて行き、電車に乗り込む。
幸いなことに、ふたり揃って座ることができた。
彩花は腰を下ろした瞬間、ほう、と熱い息を吐く。
そのまま、目を瞑ってしまった。
「……………………」
息は荒く、ぐったりとしている。
座席の中に沈み込んでしまいそうなくらい、力が抜けていた。
眉をひそめて、身体の不調に耐えている。
その横顔を見ていると、ぞっとした。
また、熱が上がったのではないか。
少しだけ下がった熱が、ぶり返したのではないか。
そう思うものの、まさか引き返すわけにはいかない。
彼女は座っても、理久の手を放そうとしなかった。
力なく握り返してくる手に思いを馳せて、理久はうなだれそうになる。
再び、神に祈るしなかった。
今すぐにでも、熱が理久に移ればいいのに。
電車を降りて、彩花を豊崎高校まで送り届ける。
雪道をのろのろと、慎重に歩いていく。
もしここで転んでしまったら、彩花は立ち上がれないかもしれない。
そう思うと、繋ぐ手に力がこもった。
駅から学校まで向かっているうちに、受験生らしい生徒も増えてくる。
どこか緊張した面持ちの生徒が多い中、明らかに発熱している彩花を気の毒そうに見ていた。
その視線にも彩花は気付いていないようで、理久に引き連れられるままだ。
視線は常に下に向かっていたので、校門の前まで来たことにも気付かなかったらしい。
声を掛けるまで、ずっと顔を伏せていた。
「彩花さん。着きました。すみません、俺はここまでしか行けませんが……」
理久の声に、彩花はぼんやりと顔を上げる。
一応、在校生は校内立ち入り禁止になっている。
無視してギリギリまで入ってやろうかと思ったが、それで彩花に変なケチがつくのも嫌だ。
だからここまでだ、と彼女に伝えると、彩花はゆるゆると手を離した。
その力ない動作に、理久の瞳は揺れてしまう。
「ありがとうございます、兄さん。助かり、ました」
本当は頭を下げたかったのだろうが、とてもできる状態ではなく、彩花は小さく頭を動かす程度に留めた。
その仕草に、また胸が詰まる。
それを振り払い、理久は拳を握った。
「頑張ってください。彩花さんの成績なら、豊崎なんて楽勝ですから。さっさと試験を終わらせて、残り時間は眠ってればいいんですよ」
おかしな励ましに対しても、彩花は小さく微笑む。
いって、きます、と呟き、彩花は歩き出した。
よろよろと頼りない足取りで、校舎を目指す。
その背中を見て、心が苦しくなった。
思わず、叫んでしまう。
「彩花さん! 迎えに来ますから! ここで、待ってますからね!」
その声に、彩花は反応を示さない。
する余裕がないんだろう。
そして理久は、彼女の背中が見えなくなるまで、その場で見守っていた。
見えなくなってもなお、その場に立ち尽くしていた。
雪が降り積もる中、じっと前を向いている男に、周りは怪訝そうな目を向けていく。
それでも、理久はその場に立っていた。
やがて、耐え切れずにその場にしゃがみこんでしまう。
祈る。
祈る、祈る。
あぁどうか。
どうか、無事に試験が終わりますように――。
言葉どおり、理久は試験が終わった時間に彩花を迎えに行った。
帰りは時間を気にする必要がないので、タクシーを呼んであった。
それは大正解だったと思う。
校門の前で待っていても一向に彩花が出てこないので、「もしかして、先に帰ったか?」と思うほどだったが、ほとんど最後くらいのタイミングで彩花は校舎から出てきたのだ。
朝よりもひどい足取りで、ふらふらと、よろよろと。
幸いだったのが、その両脇には佳奈と後藤の姿があり、彼女を何とか連れてきてくれたことだ。
その姿を見ただけで泣き出しそうになり、立ち入り禁止も破って彼女の元へと駆けていった。
家に帰ってきた彩花は、二日間、こんこんと眠り続けた。
力を出し切ったように眠り続けた。
けれど、そこから風邪が長引くことはなく、嘘のように治っていったのが幸いだった。
「ご迷惑をおかけしました」と寂しげに笑う彩花は、いつもどおりの彩花だった。
しかし。
だれも、試験のことには触れなかった。
彩花の微笑みもいつもより儚げで、彼女が何を考えているか、手に取るようにわかったからだ。
だからこそ、触れられない。
試験お疲れ様、と彩花の快復祝いで、ちょっとしたパーティをやったくらいで。
試験のことはだれの口から語られることはなく。
合格発表の日となる。
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