第127話
彩花を抱えて、とにかく部屋に運ぶ。
以前、部屋に入れてもらったことがあるからか、彩花の部屋に入ることに大きな抵抗はなかった。
部屋の中まで彩花を運び、ベッドに横たえる。
掛け布団を肩が隠れるほどに引き上げた。
「……はっ……、はっ……、はっ……」
彩花は目を瞑って、大きく胸を上下させている。
真っ赤になった頬も、開いたままの口も、苦しそうで苦しそうで。
理久はパニックになる。
「どうすればいい? どうすれば……、あぁ、くそ……。こ、こんな雨の中……、今真冬だっていうのに……、み、三日後には試験なのに……!」
焦りが身体中を駆け巡り、理久のほうまで息が荒くなる。
益体のない言葉を無意味に吐き出して、ただただ足を震わせていた。
「兄さん……、ごめんなさい……」
彩花はその焦りを感じ取ったかのように、謝罪の言葉を口にした。
息をするのも苦しそうなのに、そんなことを言わないでほしい。
とにかく、とにかく今できることをしないと。
彩花は身体を震わせていたので、掛け布団に毛布を重ねた。
髪がまだ濡れていたので、タオルで拭きとり、枕の上に新しいタオルを置く。
あとできることは何だろう、と全力で頭を回した。
「あぁ、風邪薬……! 彩花さん、ちょっと待っててください……!」
声を掛けると、そこで初めて彩花は薄く目を開けた。
相変わらず瞳はぼんやりとしているが、小さく頷く。
理久は転がり落ちるように階段を降りて行って、風邪薬を探しに行った。
しかし、普段仕舞ってあるところに風邪薬がない。
それでまた、パニックになってしまう。
「あぁくそ……! 補充忘れてたのかな……。どうしよう……!」
買ってくるか? と外を見る。今も変わらず、外は大雨だった。
冷たい雨が降り注いでいる。
それを睨むように見ながら、理久は必要なものを頭に浮かべた。
発熱したのなら、飲むものはスポーツ飲料のほうがいいはず。あとは食べられるもの。食欲があるかわからないから、ゼリーやその類。
そして薬。
必要なものはたくさんある。
何せ、試験は三日後だ。
それまでに、体調を戻さなければならない。
このままでは、彩花は試験を受けられなくなってしまう。
それを考えて、ぞっとした。
その現実を振り払い、理久は躊躇なく外に飛び出す。
傘は使わずに雨合羽を着て、全力で雨の中を走った。
体温はすぐさま奪われていったが、どうでもよかった。
あっという間に必要なものを揃え、雨合羽を脱ぐのももどかしく、彩花の部屋に戻る。
「彩花さん。スポーツ飲料を買ってきたので、喉が渇いたらこれを飲んでください。あと、熱を測りましょう。それで、薬も買ってきたので、熱を測ってからそれを飲んで……」
つい、自分の言いたいことを矢継ぎ早に告げてしまう。
けれど言葉は絡まり合って、途中で詰まってしまった。
黙り込んだ理久を、彩花はぼんやりとした目を向ける。
「よかった……」と小さく呟いた。
「兄さん、どこに行ってしまったのかと……、わたし、心、細くて……」
あぁ、と呻きそうになる。
ちゃんと説明するべきだった。それとも、そばにいるべきだったのか。
この状況で暗い家にひとり、不安にならないわけがない。
普段ならともかく、彼女の頭の中は試験のことでいっぱいのはずだ。
試験があるのに、大丈夫なのか。それまでに体調は整うのか。
受験、できるのか。
理久でさえ、そのことを考えると気が狂いそうになる。
伝えるべきは、励ましの言葉だったのだろうか。
もう理久にはわからない。
何もわからない。
「ご、ごめん、必要な物を、揃えてきて……」
とにかく買ってきたものを、彩花に見せる。
普段の彼女なら恐縮しながら、お礼を言うだろうに。
目をつむったまま、「そばにいてくれませんか……」と弱気なことを呟いた。
泣き出しそうになる。
こんな弱気な彼女は、今まで見たことがない。
ここまで余裕のない彼女を、見たことがない。
彩花は目を閉じているが、眠っている様子はない。
ただ荒い息を吐いている。
神に祈るように、体温計で彼女の熱を測った。
その数字を見て、目を覆いたくなる。
高熱だった。
これから熱は下がるのか? 試験は受けられるのか?
そのことを考えるだけで、心臓がどんどんと嫌な音を立てた。
そして、理久が抱えるよりも何十倍も、彩花は不安に違いない。
そのことを考えると、どうにかなりそうだった。
「……病院、に行ったほうが……。いやでも、連れて行ける状況じゃ……。救急車? いや、さすがにそれは……」
ぶつぶつと呟き、今からどうすべきかを考える。
不安で押し潰されそうだった。
そこで、ポケットに入れていたスマホが震える。
画面に表示された名前を見て、一気に力が抜けた。
父からだった。
部屋を出て、すがるように電話に出た。
しかし、彼が言ったことはさらに理久の心をかき乱す。
『あ、もしもし理久か? いや、ごめん。この大雨で電車が停まってて。いつ帰れるかわからないんだ。なるべく早く帰るようにはするけど』
あぁ、とその場にうずくまりたくなる。
大人。親。
こういう場で、どれほど彼らの存在が頼りになるのか、身に染みた。
父が帰れないというのなら、香澄もきっと難しいだろう。
つまり、理久はしばらくの間、ひとりで彩花を看ていないといけない。
それがどれほどの不安か。
暗いものが、心を満たしていく。
助けてくれ、と叫びたくてしょうがなかった。
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