第109話

「そうそう。佳奈ちゃん、やっとわかってくれたみたいで。嬉しいよ、わたしは」



 佳奈の後ろからにゅっと飛び出したのは、るかだ。


 締まりなく、嬉しそうに笑みをこぼしている。


 先ほどから上機嫌だったのは、これが理由らしい。


 喧嘩別れしたと思っていた想い人が、実は怒っておらず、反省して態度を改める、というのだから。


 るかにとっては命拾い、これ以上ないほどの僥倖だ。


 今も、だらしなく笑いながら佳奈にちょっかいを掛けている。



「やぁ、佳奈ちゃん。ちゃんと言えたね。偉いよ~」


「……子供扱いしないでくださいっ」


 


 佳奈はむっとした様子でるかに強い語調で言うものの、以前のようなとげとげしさはない。


 それどころか、そっぽを向いて呟いた言葉は、さらにるかの表情を緩ませた。



「……別に、るかさんに言われたから、とかじゃないから」


 


 そんな、往生際の悪いことを言う。


 そんなこと言っても、るかちゃんを喜ばせるだけだぞ。


 今なんて全身からハートマークを出しながら、佳奈を見つめている。


 浮かれるのは結構だが、さすがに好意が駄々洩れすぎじゃないだろうか。


 あと、あんまりダル絡みすると普通に嫌われると思う。


 注意したほうがいいかな……、と理久が窺っていると、先に佳奈が口を開いた。



「わたしが言うことじゃないかもしれないけど……。小山内さん、彩花のこと、ありがとうございます」



 今度はお礼を言われてしまう。


 首を傾げていると、佳奈は真面目な表情で理久を見上げた。



「彩花はお父さんが亡くなったとき、すごく辛そうでした。大好きなお父さんが亡くなったんだから、それはしょうがないと思います。……ただ、ひどかったのは、再婚が決まってからで」



 佳奈は視線を逸らし、過去を見つめるように呟く。



「なんだか、すべてのことに無関心というか……、いろんなものを諦めたような顔をしていて。寂しく笑っていて。でも時折、すごく遠くを見てて……。壊れちゃったみたいでした……。それを見るたび、わたしまで辛かった」


「………………」



 それは、かつての彩花の姿だ。


 理久もよく知る、出会ったばかりの頃の彩花。


 理久が自転車で田んぼに突っ込んだとき、彩花はすごくキラキラした存在で、それなのに汚れ切った理久に手を伸ばしてくれた。


 けれど再会したとき、玄関に立っていた彩花は、まるで別人。


 薄い、というか。


 少し目を離せば、そのまま消えていってしまいそうな、淡い存在感。


 あのときは理久ですら、彩花を見ているのは辛かったくらいだ。


 親友の佳奈なら、心を痛めていてもおかしくない。



 佳奈は己の胸に手を当てて、独白のように語る。



「だから、わたしが何とかしなきゃって思ったんです。あの子をこれ以上、悲しませたくなかったから。だって、それさえも受け入れているような、罰を望むような、そんな怖さがあって……、見てられなかったんです」



 ある種の、自暴自棄というか。


 もうなんでもいい、どうでもいい、どうにでもなってしまえ、という思いは、彩花にもあったのかもしれない。


 佳奈が無関心、と感じたのもそこだろう。


 父を失い、母は馬車馬のように働く覚悟をし、そして彩花は自身が穢されても黙っている覚悟をした。


 その彩花を実際に見ているだけに、否定はできない。


 彩花は、あそこで理久が手を出したとしても、なんだかどうでもよさそうに、ぼんやりと生きて行ったのかもしれない。


 だからこそ、今の彩花を見ていると胸を撫で下ろしたくなる。



「俺も、その彩花さんを知ってる。だから、彩花さんが今あんなふうに笑っているのを見ると、すごく嬉しいよ」



 正直な気持ちを告げると、佳奈はこちらに目を向けた。


 しかし、すぐに目を逸らすと、ぽつりと呟く。



「そこは、小山内さんのおかげだと思います。再婚したばかりの彩花は本当に見ていられなかったけど、少しずつ元気になっていったから。笑顔も増えて、前みたいな顔もするようになって……」



 そう言ってもらえると、とても嬉しい。


 今の彩花は、以前に比べてすごく笑うようになったし、安心して生活しているうように見える。


 もちろん、お父さんを失った悲しみや、他人との共同生活への煩わしさは消えないだろうけど。


 それでも、以前からの友人にそう言ってもらえるのは、誇らしかった。


 


 そこで、るかがニヨニヨしながら佳奈を見る。 


 んふっ、と笑みをこぼしながら、口を開いた。



「きっと佳奈ちゃんは、それが悔しかったんだろうねえ。親友である自分じゃなくて、ポッと出の義兄に彩花ちゃんが心を許して、元気にしちゃったもんだから。それで冷静じゃなかった部分もあるんじゃないの?」


「るかさんっ! うるさいっ!」



 佳奈は赤い顔でるかを手で振り払い、るかは「怒っちゃった~」と躱す。


 それに、佳奈はさらに苛立たしそうに手を振り上げた。


 明らかな照れ隠し。


 ……なんだか、やけにいい感じだ。


 案外、彼女たちの仲も深まっているのだろうか。


 それだったら、素直に喜ばしいけれど。



「あれ。三人とも、集まってどうかしました? 買い物は終わりですか?」



 奥からやってきた彩花が、不思議そうな顔で近付いてきた。


 佳奈はしれっと、「彩花のことを話していたの」と答える。


 すぐさま、彩花は顔を赤くして、「ふぇっ」と間抜けな声を出した。



「ちょ、ちょっと佳奈。変なこと言ってない? 兄さんやるかさんに、あることないこと吹き込まないでよ……?」


「もう言ったかも」


「か、佳奈~」


 


 佳奈の肩を揺らしながら、彩花は困ったように言う。


 かわいい。


 その気安いやりとりを見ていると、ふたりが仲良しであることも伝わる。


 それに和んでいると、るかがそっと隣にやってきた。



「よかったね、理久」


「うん、よかった」



 そう素直に答えられる。


 どうやらこれからは、佳奈たちを見ていても、心がざわつくことはなさそうだった。


 るかの決死の覚悟が、佳奈の心の壁を壊してくれたから。


 佳奈の気持ちも、彩花を想う心も、確認できたから。


 それはとても嬉しいし、佳奈とるかの仲が断絶することがなかったのも、心からよかったと思える。


 来てよかった。


 そうして、穏やかな休日は過ぎて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る