第105話
小山内理久は、スマホを眺めながら頭をポリポリと掻いた。
そこには、『ありがと、ちょっと落ち着いた』とるかからのメッセージが表示されている。
さっきまで、理久はるかの家に呼ばれていた。
泣きじゃくるるかをなだめ、落ち着かせ、慰める、という何度か繰り返してきた行為を、先ほどまで行っていた。
るかが失恋したときの、お決まりのやりとり。
それが突然、るかから申請されたものだから、かなり驚いた。
佳奈とるかは上手くいっていた……、とは言えないが、徐々に距離は縮まり、むしろ今からそういった段階を踏むところだったのに。
だというのに、突然の失恋宣言。
なぜ、と理由を聞くと、るかは佳奈の誤解を解こうとしてくれたらしい。
結果的にキツい言葉を突きつけることになり、怒って佳奈は帰ってしまったそうだ。
もう会ってもらえないよぉ、とるかはわんわん泣いていた。
「……大丈夫かな、るかちゃん……」
スマホを見て、ぽつりと呟く。
るかは相当佳奈に熱を入れていたし、本当に楽しそうにしていた。
それだけに、自分のためにそれを壊してくれたのは、ありがたいと思うと同時に強い罪悪感が湧く。
とはいえ、理久もいい加減いっぱいいっぱいだった。
佳奈と後藤の猛攻を喰い止めてくれたのだから、理久の心にも多少の平穏が戻ってくるはずだ。
だが、それは弟想いの姉のやさしさと、自己犠牲によって成り立ったもの。
手放しで喜べるものでもなかった。
るかに何かできることはないだろうか……、と考えていると、扉がコンコン、とノックされた。
「はい」と返事をしながら、扉を開ける。
そこには、パジャマ姿の彩花が立っていた。
風呂上がりなのか、いつもよりしっとりした髪に長袖のパジャマ姿。
かわいい。
彼女は理久を見上げながら、スマホを持ち上げた。
「あの、前に言っていた佳奈の件です。また五人で集まろう、というお話の……。佳奈から連絡が来たのですが、ショッピングモールでちょっとした買い物をして、お昼ご飯でも食べないか、と言われているのですが……」
「………………」
「兄さん?」
「あぁ、いえ……。えっと……。そのお誘いって、さっき来たんですか? 前から予定組んでた~、とかじゃなく……」
「? そうですね、メッセージが来たのは先ほどですが……。それがどうかしました?」
どうかはする。
佳奈はるかに「あなたの行動は間違っている」と指摘されて、黙り込んで帰ってしまったそうだ。
それはてっきり、図星を突かれたからだと思っていたのだが。
まるで、そのるかとのやりとりがなかったかのように、こうして誘いをかけている。
……これ、もしかして全くノーダメージなのでは……?
「……あぁ、はい。俺は、いいですよ……」
「わかりました。じゃあ佳奈には連絡しておきますね」
理久の態度に不思議そうにはしていたものの、深く聞くつもりはないらしい。
そのまま扉を閉めようとして、彩花は何かに気付いたように動きを止める。
両眼を閉じて、顔をくいっと上げた。
「………………??????」
理久は脳が破壊されそうになった。
目を瞑って顎をちょっとだけ上げるその仕草が、いわゆるキス待ちと言われる状態になっていたからだ。
なんで? なんで急に? え、これでも絶対そういうのじゃないよね??
理久が混乱していると、彩花は鼻を少しだけスンスンと動かし、すぐに目を開いた。
ふわりと笑みを浮かべて、口を開く。
「いい香りがするなあ、と思いまして。兄さん、早速使ってくれたんですね」
「……あ。あ、はい。ラベンダーの。はい、使わせてもらってます……」
単に匂いを嗅いでいたらしい。
先日彩花からもらったアロマデュフューザーは既に設置してあり、部屋には爽やかな匂いが満たされている。
彩花は興味深そうに尋ねてきた。
「どうですか、兄さん。安眠できるようになりました?」
「えぇ? いやあ、どうだろう……。良い匂いだとは思いますけど、まだあんまりよく眠れてないかも」
「そうですか……」
彩花は残念そうに、しゅんとしてしまう。
そんなにラベンダーの香りに賭けていたのだろうか。
でも、なんだか世辞を言うのも違う感じがして、正直に言ってしまった。
彩花が部屋に戻って行ったので、再びスマホに目を向ける。
るかに連絡しておこうと思うが、改めて考えるとなかなかに怖い状況だ。
これ、佳奈がノーダメージだった場合、佳奈とるかはすごく気まずいのではないだろうか。
いや、それならわざわざるかを呼ぼうとしないか……?
不安になることは多かったが、それをるかに尋ねても「わたしにもわからねえよぉ! わたしが聞きたいよぉ!」と泣き叫ぶだけだった。
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