第104話

 だからこそ、胸が痛かった。



「佳奈ちゃん」



 調子よく話している佳奈を遮る。


 佳奈は怪訝そうな顔で、るかの顔を見つめた。


 少しだけ機嫌を損ねながら、「なんですか」と問いかけてくる。


 るかはそっと深呼吸しながら、言葉を返した。



「彩花ちゃんに後藤くんをあてがおうとするの、もうやめない?」



 シンプルな言葉をぶつけると、シンプルゆえにすぐに理解できなかったらしい。


 怪訝な表情で固まった佳奈は、見る見るうちに眉間のシワを濃くさせた。



「……は? なに、それ。協力してくれるって言ったじゃないですか」


「ごめんね、嘘吐いちゃった」


「…………………………」



 彼女の表情が険しくなる。


 潔癖そうな彼女のことだ、こんな嘘は相当腹立たしいに違いない。


 すぐに立ち上がり、「帰ります」と言いかけた佳奈に、言葉を投げ掛ける。



「まぁ聞きなよ。ここで帰っちゃったら、ただ腹が立っただけだよ。わたしが何の意味もなく、佳奈ちゃんを呼び出したと思う?」



 そう言うと、佳奈は不快そうな顔をしたものの、おずおずと座り直した。


 そのまま、睨み付けるようにこちらを見る。



「……なんなんですか」



 何でもないよ、ごめんね、と言ってしまいたくなるのを堪える。


 大きく息を吸ってから、ゆっくりと口を開いた。



「佳奈ちゃんは、理久と何度か話をしてるよね? 彩花ちゃんと会話をする姿だって見てる。そのうえで訊きたいんだけど。理久は本当に、佳奈ちゃんが危惧していたような、彩花ちゃんに害を為す存在に見えたのかな?」



 その言葉に、佳奈は一瞬息を詰まらせる。


 しかし、すぐにキッと睨みつけて前のめりになると、ハッキリと口にした。



「そんなの、すぐには判断できないでしょう。いや、見るからに『俺は害を与えるぞ!』って顔をしている人のほうが珍しいです。小山内さんがいっしょに暮らすうえで、本当に安全かどうかなんてわかりません」


「まぁ、一理あるね」



 その言い方が気に喰わなかったのか、佳奈が噛みつこうとする。


 しかし、そこで店員さんが来て、飲み物を置いて行った。


 るかの前にはミルクティー、佳奈の前にはオレンジジュース。


 ごゆっくり、と頭を下げてから立ち去るまで、佳奈はずっと口をつぐんでいた。


 るかはミルクティーをスプーンでかき混ぜながら、彼女にそっと問いかける。



「理久も男だからね。間違いを起こす可能性がない、と断言するのはだれにもできないよ。でもそれは、後藤くんだって同じだと思うな」


「……それは、そうかもしれませんが」


「でしょ? ただ、理久は彩花ちゃんを不用意に傷つけることはしないよ。そこはわたしが保証する」


「それは、るかさんの身内びいきでしょう」


「佳奈ちゃんだって、後藤くんを身内びいきしてるでしょ」



 そう答えると、佳奈は不快そうに眉をひそめた。


 そのまま、るかは言葉を続ける。


 佳奈に向かって、指を差して答えた。



「大体、本当に理久が彩花ちゃんを傷付けるような存在だとして。そんな人相手に、彩花ちゃんはあんな顔を見せるかな?」


「――――――――――――」



 その言葉に、佳奈は今度こそ言葉に詰まった。


 悔しそうに唇を噛む。


 それは、決して無視できない要素のはずだ。


 話に聞いていただけじゃない、想像していただけじゃない。


 佳奈は理久を、彩花と話す姿を実際に見ている。


 それを指摘した。



「見てたでしょ、彩花ちゃんの気の抜けた感じ。言っちゃなんだけど、後藤くん相手より態度はやわらかかったよ。もちろん、出会った当初はすごく硬かったらしいけどね。それをあそこまでほぐしたのは、理久なんだけどな」


「……それは。でも。家族だから……」


「そう、家族」



 ピッと指を立てて、るかは続ける。



「理久と彩花ちゃんは家族になろうとしてる。ふたりで、協力してね。それを邪魔してるのは、佳奈ちゃんのほうじゃないの? もうとっくに気付いているんでしょ。自分のやってることは、後藤くんとくっつけようとするのは、本当はただ場を乱しているだけだ、って。それがわかっているのに、引っ込みがつかなくなってるだけなんじゃないの?」



 直球過ぎる言葉に、佳奈はこちらをまじまじと見た。


 その瞳が揺れている。


 大きな不安と、浮かぶ苛立ち、怒りが混ざり合った複雑な色をしていた。


 それを見ないふりをして、るかは淡々と告げる。



「自分の間違いを認められないのか、曲げたくないのか、そう思い込んでいるのか。どれなのかはわからないけど、何にせよ褒められた行為じゃないね。後藤くんと利害が一致してるから、勘違いしちゃってるのかもしれないけど。実際は、はた迷惑な暴走と言っていい。理久と会う前ならまだしもね。今、佳奈ちゃんがやってる行為は、独りよがりって言うんだよ。いい加減、認めたらどうかな」


「――――――――っ!」



 そう指摘した瞬間、佳奈の顔が見る見るうちに真っ赤になった。


 勢いよく立ち上がり、こちらを見下ろす。


 その表情は怒りと悲しみに染まり、強く唇を噛み締めていた。


 瞳は、屈辱と羞恥に侵されている。


 涙が徐々に浮かび上がってくるものの、それが流れることはなかった。


 佳奈が、この場を立ち去ったからだ。



 スカートを揺らしながら大股で歩く彼女は、決して振り返らない。 


 無言で店を出ていき、「ありがとうございましたー」という店員さんの声が虚しく響いた。


 佳奈の姿が見えなくなるまで、見送る。


 姿が見えなくなった瞬間、身体の力を抜いた。



「……はあ」



 るかはため息を吐いて、机に突っ伏す。


 感情に蓋をして、淡々と意見を述べていったが、やはり図星だったらしい。


 きっと佳奈も、心のどこかでわかっていたんだろう。


 けれど、後に引けず、認められず、不安が勝って、暴走を続けていた。


 若さに振り回された、どうしようもない偽善。


 それを指摘されたから、あの表情だ。



 しかし、それを事実だと認められるか、反省できるかは別の話。


 本当のことを指摘されて、怒る人、逆恨みすることは案外多い。


 事態を拗らせないためにも、放置しておくのが安全策だったと思うが……。



「でも、これ以上、ダメージを受ける理久を見てられねえよお~……」



 机にぐりぐり額を押し付けながら、そんなことを呻く。


 意地になっている佳奈を言い聞かせるのなら、あそこまでコテンパンに言わなきゃ意味がない。


 それは当人である理久が言ってもむしろ反発されるだけだろうし、彩花が言うのはまた違う。


 ある意味、るかにしかできないことではあるのだが……。



「うぅぅぅ~……」



 涙がぽろぽろこぼれる。


 失望、怒り、悲しみ、怯え、嫌悪、それらが詰まった視線で突き刺された。


 好きな人に、あんな顔で見られるなんて。 


 もう二度と、口を聞いてもらえないかもしれない。


 もう二度と、会ってもらえないかもしれない。


 彼女のことを考えるだけで弾んでいた心は、今やベチャベチャの泥だらけ、みすぼらしくへこんでいた。



「理久ぅ~……、ちゃんと慰めてくれよぉ~……」



 ぐずぐずと泣きながら、弱音を吐き出す。


 一口も飲まれていないオレンジジュースがただ悲しかった。

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