第102話

 勉強会の帰り際。


 佳奈は、理久と何やら話をしていた。


 その内容はこちらには聞こえてこないが、それほど悪いことではなさそうだ。


 理久の表情は穏やかだったし、黙って佳奈の話を聞いている。



「佳奈、兄さんと何の話をしているんでしょう」


「うちの彩花をよろしく~、とかじゃない?」


「うーん、言いそうではありますけど」



 彩花と小声で軽口を叩き合う。


 まぁ悪いことは言ってないだろう……、と思っていたら理久の表情が曇り始めた。


 そうでもないかもしれない。


 それから二言三言交わしてから、佳奈は戻ってくる。



「佳奈。にい……、小山内さんと何の話をしていたの?」


「別に。今日のお礼を言っていただけ」



 絶対嘘だろ、と全員が思ったが、だれも口にはしなかった。


 そうしてから、四人で歩き始める。


 るかを除いたほかの三人は、今から駅に向かうわけだけど……。


 彩花は、電車に乗ってどこに向かうつもりなんだろうか。



「あ。そうだ。彩花ちゃん、ちょうどいいからこの前借りた本を返すよ。悪いんだけど、家までついてきてくれない?」



 彩花に声を掛ける。


 すると、彼女は一瞬首を傾げそうになった。


 貸していた本なんてあったっけ? と。


 ないよ。


 しかし、嘘を吐くのは苦手でも、彼女は察しが悪いわけではない。


 あ、と両手を合わせて、笑顔を作る。



「そうですね。わかりました、行きます」


「そういうことだから、佳奈ちゃんたちとはここでお別れかな。ふたりとも、また遊ぼうね~」



 突然の一方的な宣言にふたりとも目をぱちくりとしていたが、それほど不自然には思わなかったらしい。


 軽くぺこっと頭を下げて、ふたりは駅に向かって歩いていった。


 ふたりは利害が一致しているわけだし、さぞかし会話も弾むことだろう。今も既に何かしら話し込んでいる。羨ましい。


 いいなぁ~、佳奈ちゃんとふたりでおしゃべり、ふたりきりで電車なんていいないいな~、いいなぁ~、後藤くんが羨ましいなあ、と彼女らの背中を物欲しそうに眺めていると、「るかさん」と彩花に声を掛けられた。



「ふたりがどうかしました?」


「あ、いや。後藤くんが羨ましいなあ、って思って見てただけだよ」



 そう答えると、彩花は面食らったように目を軽く見開き、そして微笑んだ。



「るかさんは、本当に佳奈のことが好きなんですね」


「そうはっきりと口にされると、照れちゃうけど……、かなり」



 頬をぽりぽりと掻く。


 彼女のことを考えるだけでウキウキしてくる心も、話したい触れたい、と思う感覚も、上手くいかなかったときのことを考えた不安も。


 すべては恋が運んでくる感情だ。


 あれだけ不器用なところを見せられて、なお惹かれるのだから恋愛の不思議なところでもある。


 まぁそれはさておき。



「さ、帰ろ帰ろ」


「はい。ありがとうございます、るかさん」


「いーえ。このままじゃ彩花ちゃん、前の家の最寄り駅まで行っちゃいそうだし」



 否定できないです、と彩花は苦笑する。


 今回、後藤に小山内家の事情を隠すために、彩花はずっと理久とは他人の体を貫いている。


 そのせいで、こんな小芝居を何度か挟むことになっていた。


 夕暮の道を戻っている途中、彩花は少しだけ肩を落とす。


 若干の疲れを滲ませた声で、口を開いた。



「佳奈にも、兄さんがどんな人か伝わればいいんですけど」


「まぁある程度は伝わってるんじゃない? 悪い印象は抱いてないと思うよ、多分」


「そう、でしょうか」


「それにしては、ちょっと警戒しすぎかな? とは思うけどね。理久って見るからに人畜無害そうだし、彩花ちゃんが気を許してるのも伝わってると思うけど。それでもどこかで、一歩引いちゃってる気はする」



 探りを入れるように、そんなふうに言葉を並べてみる。


 すると、彩花は少しだけ言い辛そうにしながら、視線を落とした。



「……多分、佳奈は男子にちょっと嫌なイメージがあるのかなって、思います。正義感が強い子なので、以前は男子と喧嘩することがちょくちょくあって。佳奈の言ってることがなまじ正しいだけに、男子は、なんというか、変な反発の仕方をしていた、というか……」


「……………………」



 まぁ、想像はできる。


 ちょっと男子―、なんだよブス! みたいな、なんかこう低俗な煽り合いが想像できてしまう。


 子供っぽい子は子供っぽいからな~、中学生。男子も女子も。


 そういう意味では、佳奈も子供っぽいグループに入ってしまうのだが。


 話が通じず、己の感情を優先し、相手への思いやりが欠けた男子を相手にしていて、それと理久が同レベルの存在だと思っているのなら、その不安も仕方がないかもしれない。


 理久はむしろ、そういう意味では大人っぽいグループのほうに入ってたんだけどな。



「まぁ。今回で、理久はそんな人じゃないって、きっと佳奈ちゃんもわかったでしょ。これで納得してくれればいいんだけどな~」


「どう、でしょう。佳奈、結構頑固なところがあるので……」



 彩花が首を傾げる姿を見て、「そうなの?」と不安を覚えてしまう。


 佳奈のことをよく知る彩花がそう言うのなら、そうなのかもしれない。


 るかはため息を吐きながら、自分の髪の束に触れた。



「佳奈ちゃんの心配はわかるんだけど……。ふたりとも、穏やかに暮らしていると思うんだけどねえ……」


「わたしもそう思ってるんですけど……」



 彩花が苦笑いをする。


 まぁ理久は理久で問題を抱えているし、まるきり平和な生活、というわけでもないんだろうが。


 少なくとも、佳奈が心配するようなことにはならない。


 けれど、それはなかなか伝わらない、と。


 こっちまで憂鬱になってきちゃうな……、とるかは再びため息を吐いた。

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