第101話



「彩花!」


 


 佳奈は、前を歩いていた彩花を呼ぶ。


 彼女は振り返り、「なあに?」と首を傾げた。


 理久ともるかとも、後藤にも見せる顔ともまた違う、やわらかで自然体な表情。


 本当に仲がいいんだな、と思える顔だった。



「彩花は、後藤くんのことをどう思ってるの」



 唐突過ぎる質問だったが、佳奈がふたりを連れ出した時点で予想は付いていたのかもしれない。


 彩花は一瞬困った顔をしたけれど、はぐらかしても無駄だと思ったのだろう。


 彩花は何か言葉を挟むことなく、すぐに返答した。



「んー……。良い人、だと思うよ。やさしいし、頼りになるし。身体は大きいけど、静かに喋ってくれて、怖くもないし。落ち着いていて、ほかの男子より大人っぽく感じる……、とかかな……?」



 指折り数えながら、彩花は彼のいいところを挙げていく。


 彩花が言うように、るかから見ても後藤は悪い男ではないように思えた。


 中三男子にしては落ち着いているし、異性に対して露骨な態度も示さない。


 男子の子供っぽさ、それゆえの暴走、女子への扱いの雑さは、好意を多く向けられた側として、るかもよく知っている。


 それだけに、彩花に対しての好意は駄々洩れなものの、それ以外の部分ではるかも後藤にはいい印象を持っていた。


 理久の存在がなければ、「わたしもいい人だとは思うねえ」くらいの相槌をしていたかもしれない。



「じゃあなんで、告白断っちゃったの」



 佳奈は爆弾を投入する。


 さらっととんでもないこと言ってんな。後藤くん可哀想。


 るかはそう思いながら、聞こえないふりをする……、というアピールでそっと目を閉じた。


 彩花は佳奈の発言に面食らったようだが、すぐに声のトーンを落として答えた。



「……付き合えないよ」


「どうして?」


「……………………」



 彩花は黙り込んでしまう。


 それに、佳奈は納得がいっていないようだった。


 子供だなあ、佳奈ちゃん。


 そう言いたくなるところだが、そうしたら普通にガンギレするんだろうな。



 なぜ付き合えないのか。


 なぜそんな顔をするのか。


 理久はそれを察してしまったし、その理由をるかは粗方聴いている。


 そうでなかったとしても、るかはすぐに彩花の考えに気付いただろう。



 答えは簡単で、彩花と理久が連れ子だから。


 年上の義兄といっしょに住んでいるから。


 あえてこういう言い方をしてしまうが、そんな負債、爆弾を抱えて男性と付き合っていたら、何かしらの問題が発生しかねない。


 かといって、あらかじめ相手に話すほどの勇気もモチベーションもない。


 それならば、最初から付き合わないほうがいい、という安全策。


 けれど、これを理久に伝えなかったように、佳奈にも言わない理由はわかる。あまり人に話すような話ではない。


 それに彩花は、今の環境を負債だと思われることが嫌なのかもしれない。



「………………………………」



 佳奈は不満げにしている。


 まぁ気持ちはわからないでもない。


 ここまで状況が整っていて、彩花も後藤を憎からず思っていて。


 けれど、それでも付き合わない理由を教えてもらえない。


「彩花には今すぐ、守ってくれる人が欲しい」と思っている佳奈からすれば、どうしようもなくやきもきするはずだ。


 下手なことを言ってこじれるのも怖いし、あんまり余計なこと言いたくないんだけど……。


 仕方なく、るかは口を開く。



「それを言うなら、わたしも聞きたいな。彩花ちゃん、理久はどう? うちの弟はちゃんとお兄さんやれてる? なんか困ったことあったら言ってね」



 空気が読めていないふりをしながら、そんなことを尋ねた。


 あくまで、「兄として」を強調して。


 すると、彩花はぱっと表情を明るくさせる。



「兄さんは、すごくいいお兄さんですよ。やさしいですし、気を遣ってくれています。お互いが良い生活ができるよう、配慮して距離感を保ってくれている、というか。いつも感謝しています」


「そっか。よかった」



 彩花のやわらかな表情に、心が温かくなる。


 彼女は信頼を感じさせる笑みを浮かべていた。


 この子にこんな顔をさせるんだから、偉いよ、理久。


 家族を誇る思いと同時に、その危うさに背筋が冷たくなる。



 理久のやさしさを、『義理の妹』に対する想い、純粋なものとして彩花が感じているうちは、いい。


 しかし、これらが『異性』として見られているからこその想い、と彩花が気付いたとき。


 彩花が感じていたものが、すべて別のものに変化する可能性は十分にある。



 望月るかは小山内理久を信頼しているし、家族として愛している。


 だからこそ、異性への好意なしにそこまで献身的になれるほど、聖人ではないことも知っていた。


 もちろん、純粋に『義理の妹』として、気遣って接しているのは間違いない。


 けれど、好きだから、その先を期待してしまうから、だからやさしくできた部分はどうしてもある。



 その事実を知って、彩花がどう思うのか。


 るかには読めなかった。


 だから、怖いのだ。


 理久が気持ちを告げた瞬間、彩花の中に積み上がっていた信頼がすべて崩壊してしまう気もして。



「………………」



 しかし、今はその感情を利用させてほしい。


『兄に対する信頼』を見せてほしい。


 ちらりと佳奈を見る。


 彩花が持つこの信頼、感情が少しでも伝われ、と願いを込めた。


 彩花が理久の話をするとき、こんなにもやさしい顔をするんだぞ、と。



 佳奈だって、理久と彩花が話す姿を見ていたし、自身も話をしていた。


 決して悪い人間でないことは、伝わっているはずだ。


 けれど、残念ながら佳奈はなおも不満そうに彩花を見るだけだった。



「そんなの、今だけかもしれないじゃない……」



 ぼそり、と佳奈は呟く。


 悩ましいことを言う。


 理久は、年上の男性だ。


 佳奈だってるかだって、突然、家に見知らぬ年上の男性が住み始めたら、強い恐怖を感じる。身の危険だって覚える。



 いくらやさしかろうと、あくまで他人との共同生活。


 そんな人が、ふとしたきっかけで豹変してしまう。


 隙を見せた瞬間、そのまま……、というのは決してあり得ない妄想ではない。


 ではないのだが……。


 理久がここまで警戒されているのも、姉としては心苦しくもある。


 その思いを振り払い、るかは笑顔を見せた。



「まぁまぁ佳奈ちゃん。彩花ちゃんがここまで言っているんだし、もうちょっと理久を見てみれば? 悪い奴じゃないんだから。佳奈ちゃんがその目で見て、それで判断してもいいんじゃない?」



 るかの言葉に、佳奈は唇を尖らせる。


 戒められた、とでも思ったのかもしれない。


 けれど、それもそうか、と感じたのか、佳奈は小さく頷いた。



「まぁ……。もうちょっとよく見てみます」



 ぶーたれながら、佳奈は言う。 


 その頬をつつきたくなるような、愛しさを感じてしまう。


 あぁかわいい。


 かわいいんだけどなあ~……。


 暴走しがちなんだよなあ~……。


 いろいろと配慮が足りてないんだよなぁ~……。


 でもそういうところも好き……。



「……るかさん。あんまりじろじろ見ないほうが……」


「はっ」



 いつの間にか隣にいた彩花に、袖を引っ張られる。


 ありがとう、と小声で真摯に返事をした。

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