第94話



 翌朝。


 理久がいつものように通学路を歩いていると、見慣れた少女が塀にもたれていた。


 望月るかだ。


 今日もメイクはバッチリで、スカートからは白くて細い脚が見えている。


 制服を着崩した普段どおりのギャルファッションだが、その表情は浮かないように見えた。



「うっす」


「おはよ」



 理久が歩いていると、するりと隣にるかは並ぶ。


 周りに配慮してくれているのか、肩をこちらにくっつけて、口を耳元に近付けてきた。


 頬が触れるような距離感で、るかは囁いてくる。



「で、理久。昨日は大丈夫だったの?」



 言うまでもなく、後藤のことだ。


 理久は昨日の朝の時点で、後藤に関係がバレたことをるかに伝えていた。


 放課後に後藤と会う話をすると、「わたしも行こうか……?」と行きたそうにしていたが、るかが来るとより話がややこしくなる。


 だから、我慢してもらっていたのだが……。


 今も、心配そうにしている。



「大丈夫、というか……。まぁちゃんと説明したよ。全部。嘘を吐かれたことにはちょっと怒っていたけど、そこまで心配はないんじゃないかな……」


 


 ぼんやりとそう答える。


 別にそれ自体に大きな問題はなかった。


 彩花と後藤は多少気まずい思いをしたものの、元どおりに学校で過ごしているだろう。


 問題があるとすれば、そのあとの理久のやりとりだ。



「……それ以外で、なんかあったんだね」



 るかは顔を覗き込んでくる。


 近い距離からそうしてくるものだから、ほとんど顔をくっつけている状態だ。


 そこまで至近距離だったら逆に表情は見えないんじゃ? と思うものの、理久からは彼女の瞳も付けまつげしっかり見えた。


 今更、隠し事をする仲でもない。


 後藤には申し訳ないが、洗いざらい話をさせてもらおう。



 そうして、昨日あったことを彼女に聞いてもらう。


 いい加減、我慢の限界で後藤に当たり散らしてしまったこと。


 後藤に、君はいいね、と言ってしまったこと。


 それら含めて、足が重くなるくらいに落ち込んでいること。



 昨日から何度ため息を重ねたかわからないし、それを彩花に聞かれないようにするのにもまた気を遣った。


 けれど、それらはどうにもならない。


 だから、ただひたすらにため息を吐くことしかできなかった。


 そうしたところで、気持ちが楽になるわけでもないのに。



「んー……」



 るかは身体を離し、頭をぽりぽりと掻く。


 彼女は何かを言いたげにしていたが口にすることはない。


 そのまま、しばらく考え込む。


 理久も何も言えずに、黙って駅に向かって歩いていた。


 すると、るかはふうっと息を吐く。



「理久、うち来る?」


「え?」



 るかに突然そう言われ、その意味が理解できなかった。


 放課後の遊びの誘いだろうか。


 気が滅入っているなら、ぱあっと遊ぼうみたいな。


 しかし、どうやらそうではないらしく、るかは理久の腕を撫でた。



「や、考えたんだよ。理久は、彩花ちゃんに想いを告げられない。だってそれは、同じ家に暮らす者として、とても負担を掛けてしまうから。だったら、いっそ家を出ちゃうのはアリじゃない? そんで、うち来ればいいよ。わたしと同部屋になるだろうけど、まぁそこは我慢できるでしょ」


「え、なに。家に置いてくれるの?」



 思わぬ提案に、理久は素で言葉を返してしまう。


 るかは腕を組んで、そのまま首を傾げた。



「うん。まぁパパとママはなんとか説得するよ。理久なら平気でしょ、多分。いざとなれば、うちに逃げ込んでいいよ」


「…………」



 その申し出はとてもありがたい。


 るかと同部屋なら、それほど気を遣うこともないし。


 るかとの両親とも、理久は仲がよかった。


 しかし。



「そういうわけにはいかないでしょ。るかちゃんはともかく、おじさんたちに迷惑が掛かるし。それなら、父さんに頼み込んで一人暮らしするほうが現実的だよ」


「まぁそれはそうなんだけど。それだって、準備するのは大変でしょ? うちは避難先、家出先とでも思えばいいよ。彩花ちゃんにどうしても気持ちを伝えたくなったとき、いざとなればウチに逃げ込めばいい、って考えれば理久も気が楽でしょ。そっから一人暮らしをしてもいいわけだし」



 そう言いつつ、るかは己の髪に触れる。


 さっきからちょっとだけ気まずそうにしている理由を、口にした。



「まぁでも、保険くらいに思っておいて。わたしは理久が四六時中いっしょにいても気にならないけど、ママたちは説得しなきゃだろうし。や、わたしが一人暮らしだったら今すぐ来いって言いたいんだけど……」



 ううん、と唸ってしまうるか。


 ただの気休めではなく、本気の手段として、るかは考えてくれている。


 彼女が言うように、一人暮らしだったら本当に誘ってくれたんだろう。


 ただ、それはそれで気を遣う。



「……いや、でもさぁ。俺は嬉しいけど、佳奈ちゃんのことはどうするのさ。もし、それで俺がるかちゃんの家に行ったら、るかちゃんが佳奈ちゃんと上手くいかないかもしれないよ。普通、家に男を置いてる人なんて嫌でしょ」



 単に、負担をそのままるかに移しただけではないか。


 それについては、るかも多少懸念しているらしい。


 腕を組んだまま、むむむ、と前のめりになる。



「まぁ……、それは……。そう。でもまぁ、そんな未来や上手く行くかどうかわからないことを心配してもしょうがないし。それよりわたしは、理久のことが心配だよ」


「るかちゃん……」



 理久の肩に手を置くるかに、理久は心が温かくなるのを感じる。


 感動しているのが伝わったのか、るかは「ん」とこちらに向かって両手を広げた。


 ハグしてこい、とアピールしている。



「えぇ、恥ずかしいんだけど」



 普通にそう言ってしまう。


 るかが一方的に抱き着いてくるのは何とも思わないが、そんな気合入ったハグはちょっと恥ずかしい。


 これはるかが異性だから、というわけでなく、父や兄弟、家族に同じことされても困惑するのと同じだ。


 別にできるけど、なんか恥ずかしいじゃん。



「いいから。ん」



 るかは譲るつもりがないらしく、手を広げたまま動かない。


 仕方なく、理久はるかの身体を抱き締めた。


 彼女の細くて小さな身体は、すっぽりと理久の腕の中に納まる。


 るかの身体は、驚くくらいにやわらかい。さらに彼女の高い体温が移ってきた。


 そして、背中をやさしくポンポンと叩かれる。



「頑張れ、理久」



 それだけで、ビックリするほど安心するのだから不思議なものだ。


 モヤモヤが晴れるのを感じながら、理久は穏やかな口調で答えた。



「ありがとう、るかちゃん。いざとなったら頼りにさせてもらうね」


「あいよ。あんま塞ぎ込んじゃダメだよ。理久が元気ないと、わたしだって嫌だし」



 るかはぎゅうっと抱き締めながら、そう笑った。


 いざとなれば、るかの家に逃げ込めばいい。


 もしも想いが溢れてしまっても、何とかなる。


 そう思うだけでも、心がかなり楽になっていた。

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