第93話

「大体、なんで君にそんなことを言われなくちゃいけない? まるで、俺は彩花さんを傷付ける存在、そして君はそれから守る存在のように言われているけれど――、告白っていうのは、一方的な負担を相手に強いる行為だ。彩花さんを悩ませているのは――、本当は君のほうだろう?」



 後藤はその言葉を聞いて、はっとしたような表情になる。


 何かを言い掛けて、しかし、唇を噛んだ。 


 本当はこんなこと、言うつもりじゃなかった。


 彼の手によってタガを外されなければ、思っていても決して口にはしなかっただろう。


 けれど、理久は知っている。


 るかのそばにいるからこそ、それをよく知っている。


『私はあなたが好きです』と告白するのは、する側に葛藤や迷いが生じて、それでも苦しみながら前に進む。


 だから、その行動自体が美化されがちではあるけれど、それをされたほうこそが大変なのだ。


 一方的に好意を押し付けられ、その返事に悩み、場合によっては逆恨みされる。


 相手に、選択を強いられる。



『わたしだって、これでも一応波風立てないように断ってるのよ。結構気を遣うんだ、これが』



 るかがそんなふうに疲れたように笑っていたのを、理久は見ている。


 もしも彩花が後藤の告白を無条件に喜べるようなら、この話は筋違いだ。


 けれど、佳奈に吹き込まれながらも、己の境遇を考え、迷いを生じさせ、その結果に告白を断っている。


 そこに負担が生じていないと、なぜ言えるのか。


 理久を一方的に悪者に、なぜできるのか。


 三枝彩花を悩ませたのは、後藤だって同じではないか。



「………………っ」



 後藤はそのことに思い至ったのか、苦々しく表情を歪めた。


 ゆるゆると理久から手を離し、二歩三歩と下がる。


 先ほどまで昂っていた気持ちは勢いを失い、目を地面に向けていた。 



「………………」


 


 理久の中で、後悔の念が湧いてくる。


 こんなこと、言うつもりはなかった。


 彼を傷付けるつもりなんてなかった。


 けれど、一方的に殴られるばかりでは、理久も我慢しきれなかった。


 この環境は、理久にとってとても辛いものだから。



「…………ごめん」



 理久が謝ると、後藤は目を伏せたまま、「いえ……」と小さく答えた。


 沈黙が下りる。


 既に夜になりかけている公園で、男ふたりで黙り込んでいては何事かと思われるだろう。


 そろそろ戻るべきかもしれない。


 きっと後藤からも、言いたいことはもうないだろうし。


 けれど、これだけは確かめておきたかった。



「……後藤くん。俺の気持ち、彩花さんに話す?」



 後藤が本気で理久を蹴落とそうとするのなら、その手段は有効だ。


 好意を伝えられた彩花は困惑し、気まずい思いを抱き、家の中での接触を避けるようになるだろう。


 以前の関係に逆戻り。


 いや、それよりもひどい状況になる。


 そうなれば、後藤にとっての邪魔者はひとり消える。


 大体、後藤にとって理久は間違いなく面白くない存在だ。


 腹いせで彩花に吹き込んでも、おかしいとは言えない。



 しかし、後藤は心外だ、と言わんばかりに首を振った。



「……それをすれば、困るのは三枝でしょう。俺だって、三枝を傷付けたいわけじゃない。三枝が怯えながら暮らすことは、望んでいない」



 彼ならそう答えると思っていた。


 きっと後藤は本当に、この件を彩花に漏らすことはない。


 彼はまっすぐな人だ。


 だからこそ、佳奈は彩花に後藤と付き合ってほしいと願っているし、彩花だって後藤に悪い思いは抱いていない。



 だから理久は、気持ちが沈むのを感じている。


 以前、恐れていたことが現実になって襲い掛かってきた。


 後藤はすべてを知った。


 彩花の境遇も、理久との関係も。



 このことがあったから、彩花は交際を断ったのではないか。


 もしもそう感じて、彼がもう一度前に進んだら、どうなるだろう。


 たとえ家に他人の男がいても気にしない、それでもいい、自分と付き合ってほしい、と彩花に願い出たら。


 彩花が懸念していたことがなくなって、それでもなお進んでくれて。


 それでも彩花は、交際を断るだろうか。



「……失礼します」



 後藤は頭を下げると、公園を立ち去って行った。


 あとに残されたのは、理久ひとり。


 けれど、理久はすぐに帰る気にもなれず、その場にしゃがみこんだ。


 頭を抱え、俯く。


 あぁだから、こうなってほしくなかった。


 胸を暗い靄が満たしている。


 肩が重い。頭が重い。


 息を大きく吸い込んだって、その重みもモヤモヤも消えていかない。


 すべてがどうでもいい。


 そんなふうに自暴自棄になりたくて、でもそれもできなくて。


 涙が出そうになるのを懸命に堪えていた。


 


 後藤は再び、彩花に気持ちを伝えるだろうか。


 彼が自分の気持ちをすべて晒し、それでも彼女に手を差し出せば。


 彩花は今度こそ、傷付くことなく、その手を取ることができるかもしれない。


 それは、三枝彩花にとってのハッピーエンドではないか。


 けれど、自分はそれに耐えられるだろうか。


 後藤のように告白もできず、ただそれを見ることしかできない。


 待つことさえできない。


 そんな自分の境遇に、重い重い息を吐く。



 好きな人が義妹になった。


 その苦しみを知らないくせに。



 後藤に向けた言葉は、正真正銘の、心からの叫びだった。

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