第92話
家を出て、無言で向かったのはるかと話し込んだ例の公園だ。
すっかり陽が落ちるのが早くなっており、既に日は暮れかけている。
この時間なら、子供が遊びに来ることもないだろう。
一言も発することなく公園に入っていくと――、突然、後藤は理久の胸倉を掴んだ。
穏やかな話し合いができるかどうかは、わからなかった。
その不安が的中してしまう。
後藤は理久に掴みかかったまま、強い眼光で睨み付ける。
「どういうことだ……! あんたは、三枝のことが好きなんだろう……!? 何してるんだよ……! 兄妹なんだろ!? いっしょに暮らしてるんだろ……!? あんたは、一番好きになっちゃいけない相手を好きになってるじゃないか!」
低く、抑えつけたような怒号をぶつけられる。
後藤は理久より年下だが、元運動部らしく身体は鍛えられているし、理久よりも身長が高い。
感情のままに襟首を掴まれ、その痛みと苦しみに呻いてしまう。
後藤はそれを意に介さず、さらに言葉を叩きつけてきた。
「三枝に口止めしたのは三枝のためじゃなく、自分の保身のためだろ!? 俺に好意がバレたからだ! あぁそうだよな、その気持ちがバレるわけにはいかないものな……! 同じ家で暮らす異性から好意を向けられていたら、安心して夜も眠れない……! だというのに、あんたは……ッ!」
後藤は険しい目で睨み付けてくる。
握る手の力も強くなっていた。
すべての憎しみをぶつけるように、後藤は理久を見ていた。
あぁ、彼からするとそうだろう。
自分の好きな人には、ひとつ歳が上の義兄がいて。
しかも、そのことを自分だけが知らされていなくて。
その兄がその子を好きになっていて。
だというのに、ひとつ屋根の下でいっしょに暮らしている。
冷静でいられるはずがない。
ギリギリと手の力が強くなり、彼はさらに言葉を重ねる。
「なんとか言えよ……ッ!」
さしずめ、彼はヒーローにでもなったつもりなのかもしれない。
悪い男の手に堕ちた、大好きな少女をそこから救うヒーロー。
彼の立場なら、そんなふうに感じていてもおかしくはなかった。
けれど。
その思い違いこそが、理久には許せなかった。
理久だっていい加減に限界だった。
既に限界ギリギリだっていうのに、こんなにも力いっぱい理不尽を押し付けらてしまって。
もう、我慢の限界だった。
彼の腕を、精いっぱいの力で握りしめる。
そうして、己の感情を叩きつけた。
自分の中に巣くっていた激情は、いとも簡単に暴れ出す。
「……うるさいッ! なんだよ、どいつもこいつも、人を犯罪者みたいに……! 俺が彩花さんを傷付けたか? 傷つけるそぶりを見せたか? たったの、一度でも……っ! あの子の顔を見ているのに、なんでそんなことを言えるんだよ! 君たちが一方的に騒いでるだけじゃないか! 勝手に憶測して、好き勝手言って……! いい加減にしてくれ……っ!」
後藤に激情を思い切りぶつけると、彼は怯んだような表情になる。
それだけ、理久の思いは真に迫ったものだった。
ぐつぐつに煮詰めた、今まで感じたマイナスの感情の塊。それを無理やりに固めているのだから、きっと相応に重い。
それを後藤に叩きつけてしまう。
ただ、後藤の言葉はきっかけになってしまったものの、これではほとんど八つ当たりだと言えるかもしれない。
そう自覚しているのに、それでも理久は己の感情を抑えられなかった。
今までの我慢も、鬱憤も、既に理久の中ではいっぱいいっぱいだった。
だからこそ、一度溢れた思いを止められず、暴力的に後藤に振るってしまう。
言ってもしょうがないことを吐き出してしまった。
「君はいいよな、あの子を自由に好きになれて、好きだと言えて! それがどれだけ素晴らしいことか、俺が羨ましいか君はわからないだろう……? 俺だって、俺だって好きで兄をやってるんじゃない……っ! 好きな人が義妹になった、その苦しみも知らずに、勝手なことを言うな……ッ!」
理久は、彩花のことが好きだ。
いっしょに暮らすようになって、その想いは日に日に大きくなっている。
けれどこれは、周りから後ろ指差されるような恋心で、だれからも非難をされて、周りからは「彩花を傷付ける者」として認識された。
それは、かつての彩花でさえそうだ。
彼女は明確に、兄である理久に怯えていた。
周りが心配するのも、その気持ちも、理久はわかる。
わかる、けれど。
それが本人にとって辛くないかは、別の話だ。
理久は、辛かった。
周りからそんなふうに言われることが。
そう決めつけられることが。
理久は、後藤が羨ましかった。
相手を好きだと言えることが。
己の気持ちを、相手に伝えられることが。それを周りから祝福されることが。
実際に好意を伝えた後藤と、それを許されない理久。
その差に苦しみを覚えていたのは確かだ。
でも、その差は本当に大きいだろうか。
大きいもの、と勘違いしてやしないか。
後藤の行為は、果たして本当に手放しで許される行為か。
……そう、後藤は誤解している。
大人げないと感じつつも、理久はそれでも止まることはできなかった。
後藤は理久を睨みつけている。
理久の思いを、「そんなことは知らない」とでもばかりに見ている。
その顔に、八つ当たり染みた思いを突き付けた。
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