第90話
そんなことがあった、翌朝。
いつもどおり、理久と彩花は早朝から河川敷を走っていた。
昨日夜食を食べたせいか、彩花は普段より張り切っているようだ。
そのせいで、ペースも息が上がるのも早い。
張り切りすぎたらしく、途中で足を止めてしまった。
「す、すみません、兄さん、ちょ、ちょっと、休憩させてください……」
「彩花さん、大丈夫? ちょうどいいし、折り返そうか」
「す、すみません……。ペース、間違えちゃいました……」
はあはあ、と荒い息を吐きながら、胸を押さえている。
身体をくの字にして息を整えている彩花を待ち、理久はなんとなく川に目を向ける。
今日も朝の空気は気持ちよく、川はキラキラと光に照らされていた。
身体に眠気は残っているものの、朝の爽やかな空気、心地よい疲労感はいいものだった。
そこでふと思い出す。
「あ。彩花さん、牛乳って冷蔵庫に残ってましたっけ」
「あー……、いえ、お母さんが飲み切っちゃったと思いますよ。流しに出してありました」
「そっか。じゃあコンビニで一本だけ買っていく? 朝ご飯にいるもんね」
「そうですね。朝持ってくれたら、買い出しのときでよかったんですけど。あ、兄さん。今日、スーパーの卵が安いらしいですよ。おひとり様一パックらしいので、わたしも行きます」
「それはありがたい……。彩花さん、今日何時くらいに帰ってこられそう? 買い出しいっしょに行くなら晩ご飯の材料も――」
朝は気持ちよく、周りもあまり人がいない。
だからつい、普段家でするような話をしてしまった。
それ自体はきっと、とても普通のことだ。
自分たちの家の周りや、スーパーでなら。
聞かれても、きっと困りはしなかった。
けれど。
一番聞かれてはいけない人物に。
その話を聞かれてしまった。
「――三枝?」
第三者の声が聞こえて、振り返る。
そこにいたのは、見覚えのある男だった。
長身の短髪頭で、無骨な顔をしている男の子。
普段は仏頂面の彼も、今ばかりは困惑を前面に押し出していた。
彼は彩花と同じ中学校のジャージを着ており、どうやら彩花たちと同じくランニングをしていたようだった。
あぁ。
言っていたではないか。
この辺をたまに走っている、と。
「後藤、くん……」
彩花は信じられないものを見る目で、彼の顔を見つめていた。
彼はそれには返事をせず、理久と彩花を交互に見る。
動揺した声で、彼は言う。
「なんで、ふたりが、いっしょに。というか、なんなんだ、今の会話は。兄さん? 冷蔵庫……? スーパー……、買い出し……。なぁ三枝……。いったい、なんなんだ……?」
会話を、聞かれていたらしい。
言い逃れのできない、あまりにも家族らしいあの会話を。
彩花は、クラスメイトには知られたくないと言っていた。
だから、後藤にもわざわざ嘘を吐いてまで黙っていたのに。
けれど、彼女自身は「彼になら伝えてもいいんじゃないか」と考え直していた。
彩花の秘密が露見したのは、彼女にとってそれほど問題ではない。
問題なのは。
『――あなたは、三枝が好きなんでしょう』
恋心をぴたりと言い当てられた、理久のほうだ。
これは絶対に、知られてはいけない秘密だったというのに。
三人が三人とも困惑の表情を浮かべる中、川の音だけが流れていた。
――――――――――――
第二章はここで終了です!
明日からはしばらく一日一回更新になってしまいます……!
すみません……!!
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