第63.5話 おまけ
理久が打ちのめされていても、電車は構わずに進んでいく。
理久はぼうっと窓の外を眺めていた。
普通列車はゴトンゴトン、と鈍い音を立てながら、ゆっくりと走っていく。
静かな時間だった。
こんなふうに、気持ちを落ち着ける時間ができたのはよかったかもしれない。
彩花が居眠りをしているのが、功を奏した。
しかし。
「……えっ」
大きな声が出そうになって、慌てて飲み込む。
隣には、居眠りした彩花が座っている。
軽くみじろぎをしたから起きたのかと思ったが、そうではなく。
彼女は、こちらに寄りかかってきたのだ。
少し距離があったのに、ぺたっと肩がくっつく。
「彩花さん……?」
いったいなぜ、と彼女のほうを見て、すぐに悟った。
彩花は目を閉じて、すぅすぅと寝息を立てたまま。
長いまつ毛は伏せられて、穏やかな表情で眠っている。
バランスが崩れて、こちらに寄りかかってきただけだった。
何の他意もない。
彩花のその姿に、また見惚れそうになる。
眠っていても、本当に綺麗な人だ。
だが、女性の寝顔をまじまじと見るわけにはいかない。
前に向き直り、電車が目的地に着くのを待った。
待っている、のだが……。
視界に入れないようにしていると、それはそれで彼女の肩の温もりが感じ取れてしまう。
ぴったりとくっつき、制服越しに彼女の体温が伝わってくる。
ううん……、これは……、よくないと思います……。
こんな状況……、よくないと思います……。
ただ、それでわざわざ起こすのもどうかとは思う……。
しかし、状況はさらに変化する。
いや、悪化した。
「嘘でしょ……」
つい、声が出てしまう。
彩花は居眠りをしている。それはいい。
彩花はこちらに寄りかかっている。
これもまぁ、よくはないが、ギリセーフだ。
だが――、彼女は頭をこてん、とこちらの肩に載せてきたのだ。
さらり、と長い髪が揺れる。
すぐそばに彼女の頭がある。
小さい寝息を立てる唇が、本当にすぐそばに見えるのだ。
「――――――――――」
心臓が痛い。
バクバクバクバク、とさっきからうるさくて、その音で起こしてしまいそう。
顔はカーっと赤くなり、動けるなら顔を覆ってしまいたかった。
だって。
好きな人が居眠りをして、自分の肩に頭を載せてくるなんて。
こんな幸せなことがあるだろうか。
可愛すぎる。
心がきゅうっとなってしまう。
「……」
……いや、これが意識的なら嬉しいことこのうえないが。
絶対にそうではないのが、悲しい。
なんというか。
これだけ無防備だと心配になってしまう。
もし、隣にいる人が見知らぬ他人だったらどうするのだ。
こんなふうに頭を預けて、可愛らしい寝顔を晒して。
もう少し、自分がめちゃくちゃ男子に人気があることを自覚してほしい。
さすがに、「隣にいるのが自分だから、安心して眠っているんだ!」と自惚れる気にはなれない。
彼女は一度、気を許していない状況での小山内家で、居眠りを一発かましてるし。
あの状況に比べれば、電車の居眠りなんて何でもない。
なんだか、佳奈があれだけ警戒しているのもちょっとわかってしまう。
普段はともかく、彩花は眠ることに対してちょこっとだけ警戒が甘い気がした。
ただ、それらをすべて加味しても。
この状況はどうしても嬉しくなってしまう。
いやいやよくない、と拳を握っていても、湧き立つ「愛しい」という感情が抑えきれない。
彼女の頭の重さ、そして熱を感じられる。
普段は決してありえないくらい、彼女の身体や顔が近かった。
これだけ近いと、シャンプーの香りも運ばれてくる。
寝息も聞こえた。
さらさらと髪が揺れるところも見えてしまう。
よくない。
よくないけど。
幸せな時間だった。
「あ……」
しかし、それは終わりを告げそうだ。
電車が減速を始め、駅に入っていく。
走行中はともかく、駅での停車や発車で目を覚ますことは結構多い。所詮はうたた寝だからだ。
一度でも目が覚めたら、再び眠りに落ちることもなさそうだ。理久に頭を載せていることに気付いたら、きっと一気に目が覚めるだろう。
そう思っていたのだが。
「……起きる気配が……、ないな……?」
さっきから二駅ほど駅に停車したが、彩花は一向に目を覚まさなかった。
幸せそうに寝息を立てている。
その表情をちらりと見てしまったが、とても気持ちよさそうだった。
わかるよ。
電車で居眠りするの、気持ちいいよね……。
でも、針の筵だから起きてほしいかもしれない……。
「はっ……」
そんなことを考えていると、この車両に乗客が現れた。
駅から女子高生がひとり入ってきて、ちらりとこちらを見る。
すると途端に、「ケッ……、バカップルがよ」と言いたげな目で不愉快そうにしていた。
違うんです……、兄妹です……。
そして、この子には全くそんなつもりはないんです……。
女子高生は気だるげに席について、電車は再び発車した。
理久たちが降りる駅は、次の駅。
そろそろ彩花を起こさないと……、と思い、はっとする。
「どうやって……?」
どうやって、彩花を起こせばいいのか。
最初は声を掛ければいいと思っていた。
彩花さん、つきましたよ、と声を掛ければ起きると思う。
けれど、それはそれなりの声量がないと難しい。電車の音に負けてしまう。
だから、そこそこの声で起こすつもりでいた。
しかし、自分たちの目の前にほかの乗客がいる。
さすがに人前で「彩花さん、起きてください」と声は張れない。「いい加減にしろよ、バカップルがよ」という目で見られてしまう。
なら、身体を揺らす?
彼女の肩、もしくは腕に触れて、ゆさゆさと揺らせば、きっと起きるだろう。
でも、それは。
彼女に触れるのは、よく……、ない、んじゃ、ないかなぁ……?
「あっ……」
そんなことを考えているうちに、電車がホームについてしまった。
「あ、彩花さん、起きてください」
精いっぱいの声量で彼女に声を掛けてみるが、身じろぎすらしない。
すごく寝てる。
絶望感がすごい。
しかも、だいぶ声を抑えたつもりだったのに、向かいの女子高生に聞こえてしまったらしい。「いい加減にしろよ、バカップルがよ」という目で見られてしまった。
違うんです、兄妹なんです……。
「あ……」
そんなことをしている間に、電車が発車してしまう。
情けなすぎる。
何をやっているんだ……、と自責の念に駆られるが、でもこれは、しょうがない気もする……。
相手は女の子で、しかもかつて一目惚れした相手だ。
その子が無防備に眠っているのに、身体に触れて起こせだなんて。
あまりにもハードルが高すぎる。
相手がるかだったら、「るかちゃーん、起きなよー」で肩を揺らせるけども。
かといって、このまま乗り続けるわけにもいかない。
すぐに乗り換えないと。
意を決して、彩花のほうを向く。
すると、彼女の穏やかな寝顔が目に入ってしまった。
髪に隠れながらも、おそろしく綺麗な顔立ち。
なんとも幸せそうに目を閉じる彼女。
くぅくぅ、と寝息を立てている姿は、本当に、本当に可愛らしかった。
「あ、彩花さん……、起きて、ください……」
声を出しながら、そっと彼女の肩に触れる。
白いセーラー服に触れるだけで、本当に悪い気をしているようで、心がぎゅっとなってしまう。
それでも、ゆっくりと肩を揺らした。
「ん……」
唇が開き、そこから吐息のような声が漏れた。
その時点で、こっちは項垂れてしまいそうなくらいの大事件だと言うのに。
それ以上の事件が、目の前で起きている。
起きない……。
嘘でしょ?
声は掛けてるし、肩も控えめながら揺らしてるんだけど?
なぜこの状況でなおも幸せそうに眠れているのか。
もっと、もっと触れなくてはいけないのか……?
躊躇している間にも、電車は駅を通り過ぎていく。
心で「ごめんなさい……」と謝りながら、彼女を強く揺すった。
そこでようやく、彩花は目を覚ます。
ゆっくりと目を開いた。
しかし、普段のしゃんとした姿ではなく、何とも眠たげだ。
ぼんやりと頭を上げて、目を擦った。
状況を把握していない。
しばらくうつろな目で前を向いていたかと思うと、急にはっとした。
「す、すみません……。居眠りしてしまいました……。ええと、ここはどこでしょう……? もう着きそうですか?」
どうやら、変な覚醒の仕方をしたせいで、自分が人の肩に頭を載せていたことに気付いていないようだ。
ほっとしたような、そうでもないような。
そして、彼女の言葉はごくごく当然とも言えた。
自分が居眠りしていて、同乗者が起こしてきたら、目的地に着いたと思うだろう。
けれど、残念ながらそうではない。
「すみません……、実は何駅か乗り過ごしていて……」
「えっ? な、なぜですか……?」
彩花は責めているわけではなく、ただ純粋に疑問を口にしただけだろう。
そりゃあ、なぜ? という話になる。
起こさないのは変だ。
なぜ、ただただ目的地を過ぎ去るのを黙って見ていたのか。
正直に言えば、「起こすに起こせず、躊躇っている間に過ぎました……」になる。
けれど、これではあまりにもあまりにも、だ。
何ならちょっと気持ち悪い。
なので、ここは……。
「すみません、俺も寝てしまっていて……」
その言葉に、彩花はきょとんとした顔になる。
しかし、すぐにおかしそうに笑った。
「そうだったんですか。ふたり揃って居眠りだなんて、わたしたちドジですね」
くすくすと笑う彼女に、内心でほっと息を吐く。
よかった。
なんとかごまかせたし、彼女に余計な恥をかかせずに済んだ。
自分の中ではよくよくやったほうだと思うのだが、向かいに座っていた女子高生が「ケッ」という顔をしているのが見えた。
申し訳ない……。
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