第64話



 文化祭の翌日。


 今日は日曜日だが、彩花は文化祭の片付けで朝早くから出て行ったらしい。


 リビングに降りても、彼女の姿は既になかった。


 理久の父、香澄と三人での昼食という、微妙にぎこちない時間を終えたあと、理久は部屋に戻っていた。


 ベランダに出て、ぼんやりと外の風景を眺める。



「……はぁ~」



 手すりに掴まり、大きなため息を吐いた。 


 昨日のことを、まだ引きずっている。


 文化祭のことだ。


 自分では、理解しているつもりだった。


 けれど、本当の意味では理解しきれていなかった。


 佳奈からは自身を大きく否定され、彩花からは自分の存在がいかに厄介かをまざまざと自覚させられた。


 小山内理久という存在は、三枝彩花にとってどうあっても邪魔なのだ。



 そして今、理久はひとりでここにいる。


 彩花は今頃、後藤たちと青春っぽく文化祭の後片付けをしているのだろう。


 歳の差と関係の差をここまで大きく感じて、へこまないほうが難しい。



「……ん」



 ぼうっとしていると、スマホが着信を知らせた。


 るかだ。


 通話に出ると、落ち着いたやわらかな声が耳に届く。



『や。昨日は悪かったね、ひとりではしゃいじゃって』



 聞いているだけで安心するようなその声に、思わず苦笑する。


 昨日、佳奈の前で空回りしていた彼女と同一人物とは思えない。



「いや。こちらこそありがとう。一日付き合ってもらって。るかちゃんのおかげで、文化祭にも行けたわけだし」


『いやいや。わたしも楽しかったよ。新しい恋も見つかったしね』



 どうやら、佳奈を好きになったことを認めたようだ。


 明るく笑うるかの声に、「それなら行った甲斐もあったなあ」とぼんやり思う。


 しかし、元々はそれが目的だったのだろう。


 るかは短く前置きを切り上げ、本題に入った。



『で。理久は元気ない声してるけど。昨日のこと?』



 きっと最初から、フォローするつもりで電話を掛けてきたのだ。


 つくづくお姉ちゃんだな、と思いつつも、その気遣いに感謝する。


 だれかに聞いてもらいたくとも、これは事情を知るるかにしか話せない。


 彼女に話を聞いてもらいたかった。


 ため息を堪えながら、理久は答える。



「そうだね。佳奈ちゃんのことで、いろいろへこんだのはそのとおりなんだけど。それよりも、キツかったのはそのあとでさ」


『そのあと? 彩花ちゃんといっしょに帰ったんでしょ? そこで何かあったの?』



 さすがに、そこまではるかも想像できなかったらしい。


 佳奈に見せられた景色や、実感させられた現実は辛いものがあったけど。


 そこからさらにのしかかった事実は、それよりもよっぽど重い。



 昨日の帰り道、彩花が口を滑らせた。


 恋人を作るつもりはない、そんなことはできない。


 理久の存在があるから。



 さすがに後藤が彩花に告白したことは伏せて、昨日あった出来事をるかに話した。


 その間、るかはずっと黙って聞いてくれた。



「俺の存在自体が、彩花さんの人生の邪魔になってる。彼女は恋愛も満足にできないことを受け入れ、諦めている。……そのことが、辛くて」



 そこまで話すと、もやもやした気持ちが少しは晴れた。


 同時に、その現実の重さがガン、と肩に積み重なっていく。


 この事実に比べれば、佳奈が何かとちょっかいを掛けてきたのは、かわいい悪戯だとさえ思えた。



『んー……。そっか……。そこまでは、わたしも考えてなかったなあ……』



 頭を抱えているのか、掻いているのか、髪が揺れる音と唸り声が聞こえてくる。


 ここで彼女が、「いや、考えすぎでしょ」と言ってくれたら、きっと理久は目を逸らせた。


 けれど、るかはそんな薄っぺらな嘘は吐かない。



『彩花ちゃんが、そこまでいい子だなんてねぇ……。恋人になる相手のことを慮るからこそ、付き合えない、だなんて。いっそ、佳奈ちゃんが期待してたような、彼氏を利用できる女のほうが、まだ取り入る隙があったかもね……』



 ため息まじりの声が聞こえる。


 言わんとすることはわかる。


 人の好意を利用しようとする打算的な人だったら、こんな悩みとは無縁だった。


 でもそれなら、理久は彩花を好きにならなかったかもしれないけれど。



『まぁでも。彩花ちゃんがそうする必要がない、って感じたからこそ、そう考える余裕ができたのかもよ』


「そうする必要がない……? どういうこと?」


『理久が自分を害する存在じゃない、って信頼してるってこと。今でもビクビクしてたら、後藤くんを頼ってたかもしれないじゃん?』



 さらりと言われた言葉に、ぽわっと心が温かくなる。


 本当に彼女は、理久の扱い方が上手い。


 しかし、明らかに励ますようなタイミングだっただけに、不安も覚えてしまう。



「彩花さん、そう思ってくれてるのかなぁ」


『そこは疑わなくていいんじゃない? わたしから見れば、彩花ちゃんはかなり理久に懐いてると思うけどね。そうじゃなきゃ、文化祭なんて呼ばんでしょ』


「まぁ……、それは確かに」



 元々は両親のピンチヒッターではあるが。


 以前に比べると、ふたりの仲はかなり前進していると自覚している。


 彩花からの信頼も感じはする。


 けれど、第三者からはっきりと口にしてもらえると安心できた。


 彩花は自分を慕ってくれている……、と思う。


 しかし、そんな理久を窘めるようにるかは言葉を重ねた。



『良い兄妹に見えるよ』


「…………」



 そうだよな、と自分を戒める。


 彩花が自分を慕ってくれるのは、あくまで義理の兄としてだ。


 そこを誤解してはいけない。


 だからこそ、理久は弱音を吐いてしまう。



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