第65話
「ねぇ、るかちゃん。俺、どうしたらいいと思う?」
空を見上げると、昨日と同じく曇天だ。
暗い雲を睨んでいると、るかが小さく『なにが』と返した。
彼女はわかっている。
昨日と違い、彼女が理久のブレーキを踏んでいた。
それでも、理久は心からの本音を晒してしまう。
「こんなこと言うと、幻滅されるかもしれないけど。前言ったことと違うだろ、って言われるかもしれないけど。俺、彩花さんに恋人になってほしいのかもしれない」
『………………』
彼女からの返事はない。
その沈黙に焦りを覚えたわけではないが、するすると言葉が溢れ出てくる。
独り言のように、自分の考えを吐き出した。
「いや、ちょっと違う……。きっと俺は、彩花さんがほかの人のものになってほしくないんだ。後藤くんを見て、実感した。もし、彩花さんが彼の恋人になってしまったら、多分俺は耐えられない。今まではこの生活だけで幸せだったけど、そうじゃない現実が具体的に見えたんだ。だから俺は……」
『待って、理久』
るかの冷たい声に、理久は言葉を呑み込む。
数秒待ったあとに、るかはゆっくりと続きを口にした。
『そこから先に踏み込むのなら、失う。いろんなものや大きなもの……、彩花ちゃんの信頼と、彩花ちゃん自身の安心を失う。今の関係があるのは、それがあるから。その土台が失われたら……、わかるでしょ』
「………………」
全く以て正論だ。
るかが危惧した、その現実になりつつある。
それでも、声に出したことで少しは楽になった。
声が入らないように大きく息を吐いたあと、返事をする。
「わかってる。ごめん」
『いや。そういうもんだと思うよ。わたしにはできないことを、理久はやってる。理久は偉いね』
そのあまりにやさしい声色に、苦笑してしまう。
幼い弟に言い聞かせる姉のようだ。
それでも不快に思わないのは、理久自身が彼女を尊敬しているからだろう。
頼りになる彼女は、考え込むようにしながら口を開いた。
『ただ幸いにも、彩花ちゃんは現時点では恋人を作るつもりはない。これは大きいよ。まだ時間はある。その間に、何かいい方法がないか、諦めずに考えていこう』
「あぁ、それなんだけどさ。るかちゃん」
『なに?』
先ほど、感情のままに「恋人になってほしい」と言っておいて何なのだが。
ひとつ、可能性として感じたことを理久は口にした。
「彩花さんは恋人を作るつもりはないわけでしょ。その理由はすごく辛いけど……。でもこれって、俺が家を出るまで恋人を作らない可能性が出てこない?」
以前、るかに話した件だ。
理久は彩花のことが好きだが、それを彼女に伝えると今の生活が脅かされる。だから告白すべきではない。
だが、理久が家を出て、彼女への負担を最小限にしたらどうだろうか。
るかはそれに対し、「あんな子が高校で二年間ずっとフリーなわけがないだろ」とその考えを却下した。
彩花が自分のせいで恋愛ができないのは、とても心苦しい。
その気持ちを利用するのはどうかとは思うのだが、事実として可能性はあるのではないか。
それを伝えると、再び電話口から唸り声が聞こえてくる。
『まぁ……、なくは……、ない……。少なくとも、彩花ちゃんが軽率にだれかと付き合うことはないと思うよ。でもそれはさ、彩花ちゃんに好きな人が現れないことが前提なんだよ』
「? どういうこと?」
『彩花ちゃんがだれかを好きで好きで堪らなくなったとき、ブレーキが利くかどうかって話。昨日のわたしや、さっきの理久みたいに、人を好きになる感情ってハイパワーじゃん? 好きな人に何もかも事情を話して、それでも付き合ってください、って彩花ちゃんから申し出ちゃう可能性はある』
「………………」
それは……、考えてなかった……。
彩花が異性から好かれることはあまりに想像に容易いから、そちらのことばかり意識がいっていたけれど。
彼女だって年頃の女の子。
人を好きになる可能性は大いにある。
後藤に対しては、『そういう感情が大きくあるわけではないけれど、佳奈から強く勧められたこともあり、付き合ってみるのはアリではないか』くらいのもので、だからこそ理性的な判断でお断りしていた。
だが、彩花が『この人が大好き! 彼女にしてほしい!』と心から願う相手が現れた場合、一体どうなるかわからない……。
爆弾は残ったままだ。
『……まぁ、なんだ。とにかく、いろいろ考えてみよう。少なくとも今は大丈夫なんだからさ。あんまり考え込みすぎちゃダメだよ』
「うん、ありがとう。るかちゃん」
電話を切って、暗い空を仰ぐ。
雨が降るかもしれない。
彩花は傘を持って出たのだろうか。
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