第81話



 理久から見ても、後藤は不器用だがやさしく、真面目そうな男だ。


 きっと周りに言い触らすこともない。


 しかし。


 それを伝えられるわけにいかない。


 絶対に。



 後藤だって、ごくごく普通の男子中学生だ。


 自分の想い人が全くの他人――、しかも年上の男性といっしょに暮らしていると聞いて、心穏やかにいられるはずがない。


 それは彩花自身も危惧し、だからこそ「恋人なんて作れない」と諦めた表情をしていたのだから。


 そして、後藤は理久の気持ちに気付いてしまった。


 理久が彩花を好きであることを知ったうえで、いっしょに暮らしていると知れば。



 そのとき、彼はどうなるだろうか。


 何も言わずにいられるだろうか。


 何も思わずにいられるだろうか。



 もしもそれで、後藤が彩花に理久の気持ちを伝えてしまえば。


 それでもう、この生活は終わってしまうのだ。


 彼は確かに口にしない、と約束してくれたけれど、それはあくまで現時点での話でしかない。


 すべてを知ったうえで、黙っていられるかはわからない。


 もし理久がその立場だったら。


 自分でも平静でいられるか、わからなかった。


 理久は喉に何かがへばりつくのを感じながら、口を開く。



「……どうだろう。俺は、やめておいたほうがいいと思います。嘘を吐くのは心苦しいけど……。あんまり、人に言いたい話でもないですし……」



 絞り出すような声で、何とかそう言う。


 説得力の欠けた、自分の願望でしかない言葉だった。


 理久自身の都合しか考えていない発言だ。


 それでも、そう言うほかない。


 肯定はできない。



「………………」



 理久の言葉に、彩花はすぐに返事はしなかった。


 もしかしたら、理久の様子がおかしいことに気付いたのかもしれない。


 じっと理久の目を見ていて、考えを探ろうとしているかのようだった。


 理久は思わず目を逸らし、祈るように彼女の返事を待った。


 やがて彩花は、いつもどおりの声色で言葉を紡ぐ。



「兄さんがそう言うのなら、そうしようと思います」



 胸が痛む。


 苦しくなる。


 彼女の顔は見られなかった。


 彩花に罪悪感を押し付けて、自分の保身に走っている。


 彼女に後ろ暗い感情を抱えてしまった。



 ほとほと嫌気が差す。


 自分が嫌になる。


 それでも理久は、その考えに同意するわけにはいかなかった。


 どれだけ自分が情けない、格好悪いと感じていても。



「……………………」



 そして、ふと思う。


 もし、理久と彩花の関係を知れば、後藤は苦しむだろう。


 嫌な気持ちになると思う。


 その際に、理久や彩花に対して何か行動を起こすかどうか、それはわからない。


 ただ、なんとなく感じていることがある。



 後藤はきっと、それを乗り越えてしまうのではないだろうか。


 彼はまっすぐな男だ。


 彩花からこの話を聞いたとしても、後藤は彩花にアプローチを続けるのではないか。


 彩花自身が、この状況で恋人は作れない、と感じていても。


 いずれ、こんなふうに言うのかもしれない。



『自分は一向に気にしない。自分はあなたを支えたい。もしそれが原因で交際を断ったのなら、もう一度考え直してくれないか』



 彩花は、理久の存在があるからこそ、「交際なんてできない」と考えている。


 けれど、それさえも飲み込んで、いっしょにいたい、と後藤が伝えたら。


 彩花の懸念を消してしまったら。


 そうなったとき、それでも彩花は後藤からの交際を断るだろうか。



「………………」



 本当は、そうなるのが一番なのかもしれない。


 佳奈の希望どおり、後藤は彩花を理久から守り。


 彩花は後藤のおかげで安心して生活できるようになり。


 そうなるのが、すべて丸く収まった結果なのかもしれない。 


 こんなこと、るかに話せば「弱気になるなよお」と怒られてしまうかもしれないが。



 怖かった。


 彩花がもしも、罪悪感に負けて、後藤にすべてを話してしまったら。


 後藤がこの状況を知ってしまったら。


 そうなればもう、この生活は終わってしまう。


 自分の立っている場所が、薄氷の上であることに改めて気付いてしまったのだ。



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