第80話
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
帰ってきた彩花に挨拶を返す。
彼女は苦笑しながら、リビングに入ってきた。
彩花は結局、途中まで四人いっしょに帰ったあと、適当なところで別れて家に戻ってきたらしい。るかが上手く気を利かせてくれたのだそうだ。
最初の「お邪魔します」から始まり、何とも違和感のある一日だったろう。
まぁそれだけ彼女がこの家に馴染んできた証拠でもあるので、それ自体は喜ばしいことなんだけど。
「兄さんも、今日はありがとうございました」
「いえいえ。俺も楽しかったですし」
彩花は軽く頭を下げると、理久の座るソファにぽすん、と腰掛けた。
先日のホラー映画鑑賞会ほど近くはないものの、彼女が隣に座っている。
さっきまで少し離れた場所、しかもテーブルを挟んでいただけにその距離にどきりとした。
艶やかな長い髪に、いつ見ても綺麗な顔立ち、穏やかな微笑み。
田んぼに落ちたときに見惚れていた彼女が、こんなにも近くにいる。
先ほど、後藤とあんな話をしたからだろうか。
彼女の一挙手一投足に目を奪われそうだった。
それだけに、彼女の表情に影が落ちていることにも気付いてしまう。
「彩花さん、どうかしました?」
問いかけると、彼女は顔を上げてこちらを見た。
さらりと長い髪が揺れて、その奥の瞳が理久の姿を映す。
彼女は困ったように笑いながら、小首を傾げた。
「ちょっと、疲れてしまいまして。勉強会はとても楽しかったんですが、自宅なのに自宅じゃないふりをするのは変な感じでした。それと少し、胸も痛んで」
彼女は自身の胸に手を置き、暗い感情を吐き出すように言った。
「胸が痛むって……、嘘を吐いたから?」
「はい。わたしはあまり、再婚の話を親しくない人に伝えたくありません。その気持ちは変わっていませんが、伝えないことと嘘を吐くことは別物だと感じました」
「それは……、まぁ。俺もちょっと感じた」
その気持ちは共感できる。
あえて言わずにおくことと、隠すために嘘を吐くのでは、意味合いが全く異なる。
そのことに彩花も理久も気付いていなかった。
後藤を騙すためにわざわざ小細工を弄して、それにあたふたと慌てて取り繕って。
彼に対する罪悪感は理久でも湧いたのだから、クラスメイトである彩花はさらに強いだろう。
やだな、と彩花が感じるのはとても自然なことだ。
彼女は手をきゅっと握り、静かに続ける。
「少し、迷っているんです。もしかしたらこれから先、同じようなことがあるかもしれません。るかさんと佳奈が仲良くしてくれたら、わたしも嬉しいです。でもきっと、四人で集まるとなれば佳奈はまた後藤くんを呼ぶでしょう。それが当たり前になるのなら、わたしと兄さんの関係も伝えていいんじゃないかって」
「……………………」
その言葉は、理久に強い衝撃を与えた。
いや、彩花の言っていることはわかる。
佳奈とるかはふたりで会えるような関係には、まだなれていない。以前よりは前進しているだろうけど、るかが誘ったところで佳奈はきっと顔を見せない。彩花を通さないと、るかの恋の成就は難しい。
そして佳奈も、後藤と彩花の関係を諦めていない。
今回、佳奈から「理久と彩花の関係は心配だ」と告げられ、あらかじめ謝罪までされている。警戒は解かれていない。
後藤と彩花が恋人同士になってほしい、と佳奈は望んだままだ。
各々の思惑で動いた結果、今日のように五人で集まることがあるかもしれない。
もしそうなら、彩花は後藤に嘘を吐き続ける必要が出る。
それは心苦しい、と彼女は言うのだ。
「後藤くんは、周りに言わないで、と言えばきっと約束を守ってくれます。面白半分で私生活を詮索することもないと思います。だからそのほうが、わたしにとってもいいんじゃないか、とも思うんです。兄さんは、どう思いますか?」
彩花はこちらの顔を覗き込むようにしながら、尋ねてきた。
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