第69話



 そんなことがありつつも、ホラー映画鑑賞会は無事に終了した。


 あのあと、「正直にこの腕のことを話せば彩花が気にする、しかし、このままでは呪われた人間として扱われる」という大変な二択を迫られたものの、何とかごまかすことができた。


 あのままだと、本当に呪われた人間として完全に距離を取られるところだった。


 こんなことで関係が崩壊するなんて嫌すぎる。



「まぁでも……、楽しかったな……」



 理久は自室のベッドに横たわりながら、ひとり呟いた。


 電気を消して、あとはもう眠るだけ。


 そのせいか、振り返るように先ほどのことを思い出していた。


 るかに相談するくらいへこんだことはあったものの、この生活はとても楽しい。  


 穏やかで平和で、ずっとこのままだったらいいのに、と思うくらいに。



「るかちゃんが言いたかったのは、そういうことなんだろうけど……」



 目を瞑る。


 この穏やかな生活は、理久の軽率な行動ひとつで容易く崩壊する。


 もし理久が彩花に対して好意を見せれば、先ほどのような時間は決して戻ってこない。


 あんな近い距離に彩花は座らないだろうし、香澄が映画を観ることも許さないだろう。


 家族として兄として、信頼が芽生えつつあるからこそ、先ほどの時間はあり得た。存在した。



 それが壊れてしまうのは、理久が望むものではない。


 けれど、このまま何もしなければ、彩花はいずれだれかひとりを愛するようになる。


 そうなったとき、自分は本当に耐えられるのだろうか。



「……ん」



 そんなことをぼんやり考えていると、部屋の扉が開く音が聞こえた。彩花の部屋からだ。


 まだ起きていたのか、と無意識に思いつつ、ふっと笑ってしまう。



『あぁ……。わたし今日眠れないかも……。布団の中で思い出しそう……』


『わたしも……。寝るときに怖くなりそう……、眠れるかな……』



 鑑賞会のあと、「もう片付けて寝ましょうか」となった際、ふたりがぐったりしながらそう言っていた。


 こういうホラー映画を観たあと、布団の中でつい思い出し、怖くなって眠れなくなるのはよくある話だ。



 理久も幼い頃、同じことがあった。小学校で流行っていた怪談本を読んで眠れなくなり、父の布団に逃げ込んだことがある。


 それはあくまで子供の頃の話だが、彩花と香澄の怖がりようを見ていると、今そうなってもそれほどおかしくは――。



「――――――」



 ガバっと身体を起こす。


 足音が、聞こえない。


 普段、彩花が部屋を出たあとは、わずかながら足音が聞こえてくる。


 夜中は足音を抑えているものの、それでも音は聞こえてしまうものだ。


 それが一切、聞こえてこない。


 ということは、彩花は廊下を歩いていない。部屋の前で立ち止まっているのだ。


 なぜか。



「……嘘でしょ?」



 まさか、と思い、部屋の扉を凝視する。


 自分の幼い頃と記憶がリンクしたせいだ。


 小学生の理久は恐怖に駆られ、父といっしょに寝てもらおうとして寝室の前まで来た。


 けれど、小学生にもなって親といっしょに寝るなんて、恥ずかしかった。なかなか言い出せなかった。


 部屋の前まで来てもなかなか扉を開けられず、もじもじすることを繰り返し、それでも結局最後は部屋に飛び込んだ。



 もし、彩花がさっきの発言どおりにひとりで眠れず。


 だれかといっしょに寝てもらいたい、と部屋を出て。


 理久の部屋の前で、悩んでいるとしたら。


 子供の頃の理久が父を頼ったように、彩花が理久を頼ろうとしていたら。


 もしも、部屋の扉をノックし、「兄さん……」と震えながら入ってきたら。



「――――っ」



 その瞬間、心臓が痛いくらいに大きく鼓動する。


 そんなバカな。 


 ありえない、と思いながらも、想像はしてしまう。


 理久には父親しかいないから、父の部屋に逃げ込むしかなかった。けれどもし兄弟がいたら、そちらに行ったかもしれない。


 怖くなった妹が兄の部屋に行くなんて微笑ましく、ありそうと言えばありそうな話だ。


 そして何より、寝室は父と香澄がふたりで使っている。


 その中に入っていくよりも、こちらのほうがハードルが低いと判断されたら。



 だが、自分たちは義理の兄妹で。


 高校一年生と中学三年生だ。


 まずいだろう、それは。



 けれど、もしそうなれば理久は絶対に彩花を拒めない。


 彩花が望むのであれば、そのとおりにしてしまう。


 だが、その状況で今までと同じ態度を保つ自信は、全くと言うほどなかった。


 兄妹としての信頼ができつつあるからこそ、こんなすれ違いが起きるのだろうか。



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