第32話

「あの……。お昼ご飯も、ちゃんとしたものが食べたいです……」


「………………」



 ちゃんとしたもの。


 ちゃんとしたものって、なんだ。



 理久がイマイチ意図を捉えかねていると、彩花は若干失望したような顔になる。


 理久に対してではなく、それを口で説明するのが恥ずかしいようだった。



「いえ、あの……。お昼ご飯、いつもカップ麺とか冷凍食品じゃないですか……」


「まぁそうですね。楽ですし」



 面倒なので、昼は適当に済ますことが多い。


 多いと言うか、毎日そのどちらかをふたりで選んでいる。


 彩花はごにょごにょと声を小さくしながら、補足した。



「インスタントもたまにならいいんですけど……。せっかくご飯を食べるんですし、お休みですし、おいしいものを食べたいな、と……。あと、カップ麺も冷凍食品も一人前じゃぜんぜん足りなくて、ですね……」


「あ。量も少ないし、味もそこまでじゃないから、インスタントじゃやだってこと?」


「ちょ、直訳するとそうなりますけどぉ……!」



 彼女は恥ずかしそうに肩を揺らしている。


 その可愛らしい姿と、初めての要求、それが今までの慎ましい態度と重なって、ギャップに思わず笑ってしまう。



「彩花さん、意外とめちゃくちゃ食いしん坊だよね」



 そう口を滑らせると、ただでさえ赤い彩花の表情がさらに赤くなる。


 笑うのをやめそうにない理久に、ぷるぷると震え始め、真っ赤な表情のままで声を荒げた。



「……っ! に、にいさんっ! もぉ!」


「いや、ごめんごめん。もちろん、いいですよ。これからは、お昼も作ります。あぁそうだ、じゃあいっしょに作ります? 料理なんて場数こなすに越したことないですし」


「あ、はい! ぜひっ」



 小気味よく返事をする彩花に、理久は笑みを深くする。


 そして、すぐに「あ」と気が付いた。


 彩花に確かめなければいけないことがある。


 今ならきっと、正直に答えてくれるはずだ。



「彩花さん。料理、いっしょにやってていいの? 家事を多く負担したいってことなら、もう気にしてほしくないです。分担も見直したいですし」



 理久の言葉に、彩花はきょとんとした顔になる。


 しかし、すぐにやわらかな笑みを浮かべると、嬉しそうに両手を重ねた。



「いえ、料理はわたしが覚えたいと思っていたので。兄さんが嫌じゃないのなら、これからもお願いしたいです」



 彼女の笑顔は穏やかで、今までのような無理をしている様子はない。


 純粋に、可愛らしい笑みだった。


 その笑顔に見惚れながら、同時に別の考えが芽生える。


 彩花が料理を覚えたいと思っているのは、おそらく彩花自身のためだ。


 彼女は料理がからっきしだったし、今まで母親に学んだ様子はなかった。


 なら、なぜ今。


 ……それは、ここを出て行く日のことを考えてじゃないだろうか。



「兄さん?」



 小首を傾げ、こちらを覗き込む彩花。


 それに、なんでもない、と手を振る。


 何もかもがすぐに変わるわけじゃない。


 彼女は今でもアルバイトで大学費用を貯めたいと思っているだろうし、ひとりで生活するために料理を学ぼうとしているのかもしれない。


 でも、今は彼女が素直に笑っているだけで、それでよかった。



「じゃあ彩花さん。今日はなに作りましょうか。なにが食べたいですか?」


「え。そんな、急に言われると困りますね……! どうしましょう……!」



 昨日までの彼女なら言ってくれないような言葉が、あまりに心地が良い。


 どうやら彼女の食いしん坊は根が深そうだし、これからは気を付けないと。量も見直さないといけない。


 ちなみに昨夜、彼女に差し出したおにぎりはふたつ。


 一応片方は、自分用のつもりだった。


 ひとりで食べていたら彼女も気を遣うかと思って。



 けれど、彩花はふたつともぺろりと平らげてしまった。


 いくら理久が小食とはいえ、理久と同程度の夕食を摂り、食パンも半分近く齧り、そのあとで大きめのおにぎりふたつを完食、である。


 大した健啖家だ。


 彼女の胃の容量を、きちんと把握する必要がある。


 この家の料理当番として。



「あ、その前に買い出し行こうかな。いろいろ買いたいものがあるし」


「そうなんですか? なら、わたしもいっしょに行きますね」


 


 静かに微笑む彼女の姿に、心が弾む。


 もし理久ひとりだったら、昼食までしっかり作るなんてこと、絶対にしない。


 インスタントで十分だし、そもそも食にそこまで執着がない。



 けれど、彩花に頼まれたら、ごくごく自然に「いいですよ」と答えていた。


 それは気を遣っているわけではなく、単純に頼られて嬉しかったのだ。


 彼女が兄さん、と呼んでくれるように。


 きっといろんなものが、これからも変わっていくのだろう。


 それでいつか。


 本当に、家族になれればいいな、と理久は思った。



 そして同時に、理久は強く自覚していた。


 もうごまかしも効かないし、一目惚れだからと言い訳する気も起きない。


 もうすっかり、彩花の内面に惹かれてしまっていた。


 どうしようもないほどに。 


 本当の意味で、理久は彩花のことを好きになってしまっていたのだ。





――――――――――――――――


あとがき


 ここまで読んでくださって、ありがとうございます! 今回の話でちょっと一区切りです! 次回からは、またちょっと距離感の変わったふたりのお話が展開されていくと思います!

 まだまだ続きを書いていきたいと思っておりますので、もしよければ評価・ブックマークをして頂けるとすごく嬉しいです……!

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