第30話



「俺たちは、家族になったんだ……っ。俺は彩花さんの兄になったし、彩花さんは俺の妹だ……! 急には無理だろうし、急ぐ必要はないけど、少しは甘えてくれっ……! 俺たちは他人だけど、それでもいっしょに生活していく家族になったんだから、少しくらいは気を許してほしいんだ……っ! だって、だってそうじゃなきゃ、彩花さんが辛すぎるだろ……!?」



 何度も詰まりながら、自身の感情を吐露する。


 そのうちに涙が勝手にぽろぽろとこぼれ落ちて、自分でも気持ち悪いな、と感じてしまう。


 それでも、彩花に想いを伝えようとすると、感情的にならざるを得なかった。



 辛い思いをしてここにやってきたのに、なぜここでも追い詰めらなきゃいけないんだ。


 そうなるくらいだったら、無理やりでも家族ごっこをしたほうがいい。


 どれだけ嘘くさくても、白々しくても、彼女がご飯さえも我慢する環境よりはずっとマシだ。



「小山内さん……」



 彩花は目を見開き、こちらをただじっと見つめていた。


 幸い、彼女の表情に嫌悪や失望といったものは感じられない。


 それに安堵しつつも、やはりひとりで泣いている事実は恥ずかしい。


 ぐしぐし、と強引に涙を拭った。



「ごめん、彩花さんのことなのに……」


「いえ……」



 彩花はほのかに瞳を揺らし、辛そうに眉を寄せた。


 大きな目が、きゅっと細くなる。


 握った拳は開かれないまま、じっとテーブルの上を見つめていた。


 理久は小さく息を吐くと、キッチンに戻る。


 少し前に、温め終わった音は聞こえていた。



 ラップを外した皿を、テーブルの上に置く。


 ほかほかと湯気を出すそれを見て、彩花の表情が驚きに染まった。


 喉が小さく鳴るのが見える。



「俺は、彩花さんが他人の線を引いてくれているのは、とてもいいことだと思ってる。いっしょに暮らすうえで、それはすごく必要なことだと思うし、俺も彩花さんには気を付けたいと思う。――でもさ、ご飯くらいはお腹いっぱい食べてほしい」



 皿の上に置いてあるのは、ちょっと大きめに握ったおにぎりだ。


 それがふたつ。


 たかだか、おにぎりがふたつ。


 彼女は、それさえも自由に食べられなかったのだ。



「これから、いっしょに生活していくうえで。ご飯くらいお腹いっぱい食べようよ。もう少しだけ、遠慮するのはやめにしませんか。それくらいは、許されるはずだよ」



 彩花の視線が、弱々しくおにぎりに向かう。


 一度、理久のほうをおそるおそる見た。 


 理久は頷く。


 彼女はそろそろと手を伸ばし、おにぎりを両手で掴む。


 それをゆっくりと、口の中に近付けた。


 ぱくり、と控えめに齧られる。



 やがて、それが二口目、三口目、と続いていく。


 彼女の口からは、小さな声が漏れていた。


 それはおいしさに感激しているわけではなく。 


 口を閉じていても、嗚咽が漏れ出てしまっているからだ。


 彼女の両目からは、涙の粒がいくつも落ちていく。



 ぽろぽろ、ぽろぽろ、と涙を流しながらも、必死に口を動かしている。


 それでも、耐えられなくなったように彼女は強く目を瞑った。


 力なく両手が膝に降りて、彼女は下を向いてしまう。


 同時に、膝の上にいくつもの涙が雨のように落ちていった。



 もはや、嗚咽は隠せるほどに小さくはなく。


 肩の震えは止まることなく。


 彼女は初めて、年相応な、中学生の女の子の表情で涙を流していた。



「おとうさん……っ、おとうさぁん……っ!」



 せき止めていた何かが決壊したように、彼女は感情的に父親を呼んでいた。


 彩花の父親はもういない。


 父親がいる生活はもう戻ってこない。


 けれど、彼女は元の生活に焦がれ、惜しみ、気持ちをさらけ出していた。


 そんなふうに父を恋しく思うことも、それを口に出すことも。


 彩花にとって、必要なことだと理久は思った。


 彩花の声を聴きながら、理久はそっと目を瞑る。


 ほんのわずかでもいいから。


 彼女の悲しみや痛みが、和らぐことをただ祈った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る