第27話



 沈痛な思いで、彩花を見下ろす。


 ただ、悲しかった。


 それは、彼女の状況を思ってのことか。


 それとも、自分に対する態度に対してか。


 きっと、そのどちらもだ。



 理久はタオルケットを彼女に掛けて、踵を返す。


 振り返ることなく部屋を出て行き、階段を上り、自分の部屋に飛び込んだ。


 しばらくすると、階段を上る足音が聞こえてくる。


 少しだけ部屋の前で足を止め、そのあとに扉が開く音がした。


 かちゃ、と鍵を閉める音もともなって。


 理久は、勉強机の前でそれを耳にしていた。



「……あぁ」



 頭を抱える。


 自分の中に巣くう感情に、上手く名前を付けられなかった。



 彩花は、間違いなく目を覚ましていた。


 最初は寝惚けていたのかもしれないが、徐々に状況を把握していたはずだ。


 リビングで寝入ってしまった自分。


 照明を落とされたリビング。


 そして、そのそばにいた年上の義兄。



 理久が持つタオルケットが目に入れば、きっとおかしな誤解はされなかったはず。


 けれど部屋は暗かったし、彼女は寝起きだ。上手く見えなかったのだろう。


 


 おそらく、彼女は。


 自分が寝ている間に、何かされそうだった、と誤解したのだ。


 状況的に見れば、そう思うのも仕方がない。


 それに関しては、さっさと行動に移さなかった、声を掛けなかった自分が悪い、と理久は思う。



 けれど、問題は誤解されたことじゃない。


 彼女がそれを受け入れたことだ。


 


 状況を把握した瞬間、恐怖と失意に染まった表情。


 どうしようもない絶望に直面したような息遣い。


 男性にいたずらされようとしているのだ、そうなるのは当然だ。


 だが彼女は、それを拒絶するわけもなく声を上げるわけでもなく、ただ目を瞑った。


 目を覚ましたことをなかったことにして、寝たふりをした。



 きっと彼女は、理久が身体をまさぐろうが、服を脱がそうが、寝たふりを続けただろう。


 行為がエスカレートして女性の尊厳を傷つけられようが、彼女はそれでも黙って耐えたのかもしれない。



 それはもちろん、彼女が望んでいるわけではなく。


 そんな覚悟さえ背負って、彩花はここにやってきたのだ。



 自分より年上の男性とひとつ屋根の下で、いっしょに住む。


 しかも、昼間はふたりきり。 


 彩花だって年頃の女子だ。身の危険を感じないわけがない。


 だからこそ、彼女は部屋に鍵が付いていると知ったとき、あれほどまでに安心した顔をした。


 少なくとも、部屋の中まではだれも入ってこられない。


 寝ているときは安心だ、と。


 けれど、その危惧は消えない。想像からは逃れられない。



 きっと彩花は、この状況を想像していたのだ。


 ひとつ屋根の下で過ごす義兄がもし、自分におかしな感情を抱き。


 その手を自身に向けたとき、どういった対応をするのか。



「それが……、あれかよ……」



 喉から、潰れたような声が出る。


 彩花は、もし自分の身が穢されようとも、沈黙することを選んだ。


 あそこで理久が乱暴しようと、欲望のままに貪ろうとも、黙って受け入れる。



 なぜか。


 この生活のためだ。


 母とともに過ごせて、母の身体をそこまで心配せずに済み、とりあえず金銭的な問題はない日々。


 それを守るためなら、彩花は何をされても黙っているつもりだったのだ。



 再婚相手の家族から、家庭内性暴力を受ける。


 理久にだって聞いたことのある話だ。


 女子である彩花が想像しないはずがない。


 そして、被害者の多くが生活の崩壊に怯えて、声を上げられないように、彩花もそんな被害者のひとりになるつもりだった。



「…………あぁ」



 涙がこぼれる。


 自分が人の弱みに付け込むような、醜い人間だと判断されたからじゃない。


 あんなにも細く頼りない身体で、こちらが後ろめたくなるほどに真っ直ぐでいい子だっていうのに。


 そんな彼女が、男性の暴力ですら受け入れなくてはならないほどに、辛い現状に立たされている。



 その事実が、理久をどうしようもないほどに打ちのめしていた。


 視界が真っ暗になる。


 落ちた涙が机のうえで揺れていた。


 それを拭い去り、顔を上げる。



 そっちがその気だと言うのなら。


 こっちだって。

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