第7話
「と、いうわけで。今日はふたりが家に来てくれた記念! お祝いだから、みんなお腹いっぱい食べてね! 乾杯!」
父の空回りを感じさせる挨拶のあと、かんぱーい、と四人の声がぱらぱらと浮かび、お互いにコップを合わせた。
コップがたどたどしくかつん、かつん、と音を重ねる。
締まらない乾杯だが、お祝い感はかろうじて出ていた。
何せ、テーブルの上には豪華なお寿司がずらりと並んでいる。
寿司桶に入った数々の握り寿司は色鮮やかで、四人分ということで数も多い。花畑のように華やかだ。
父と香澄のコップにはビールが入っており、理久と彩花のコップにはオレンジジュース。瓶と缶も寿司桶の横に並び、パーティっぽさを演出している。
理久の向かいに座った彩花は、ジュースをちびちびと飲んでいた。
理久は、その光景に不思議な気分になる。
目の前にいるのは、理久の頭が真っ白になるほど綺麗な女の子で、彼女にすっかり心を奪われた。
けれど話したこともない見知らぬ他人だし、これからも話すことはないと思っていた。
だというのに、今はいっしょに夕飯を囲っている。これからこの家で寝食をともにする。
家族になる。
近い将来、戸籍上、理久の妹になる。
突飛すぎる環境の変化に、頭も意識もまるでついていかない。
こうなると宣言されてはいたものの、心が実際に受け入れられるかはまた別の話だ。
それに、まさかあの子が妹になるなんて、どうして予想できようか。
「あ、彩花ちゃん。遠慮せずにたくさん食べてね。ほんと、遠慮せずに」
「あ、い、頂いてます。ありがとうございます」
気まずさに耐えかねるように、父親が不器用な笑顔を彩花に向ける。
彩花は彩花で、ぎこちないながらも精いっぱいの笑顔を父に返していた。
ここで子供たちがブスッとしていたら、空気は一気に悪くなる。彼女も一生懸命だった。
それは理久もわかっているので、できるだけ笑顔を意識する。
けれど、互いに自然体に笑えないのは、何とも窮屈だった。
その窮屈さを振り払うように、理久は口を開く。
「そういえば、今日は父さんが休みだからいいけどさ。明日から、晩ご飯ってどうするの? こっちの生活サイクルに合わせていいの?」
いかの握りを取りながら、何気なさを装う。
とにかく、口数を増やさないと。
自分たちの一番共通の話題といえば、「これからどういっしょに暮らしていくの?」だ。
必要に迫られたものでも、会話を多くしていけば互いの緊張はやわらぐ……、はず。
父はマグロを皿に取り分けながら、そうだなあ、と呟いた。
「父さんも香澄も、仕事で遅くなると思うから。理久と彩花ちゃんには、先に食べてもらったほうがいいかもしれない」
「え、香澄さんも仕事するんだ」
「もちろん。おかげさまで、明日からバリバリ働けるから」
そう言って、香澄は笑う。
意外に感じたが、彼女の状況を考えればそうなるのも当然かもしれない。思い直していると、どうしても視線が彩花に向かう。
彼女は小さな口をぱかりと開けて、サーモンをパクパク食べていた。
かわいい。
あぁいや、女性が食べている姿をまじまじ見るなんてよくない。己を戒めようとすると、ぱちりと目が合ってしまう。
彼女は口元を手で隠しながら、困ったように小さく笑った。
理久もにへら、と笑みを返すことしかできない。
あぁよくない。
非常によくない。
意識しないようにしているのに、どうしても引っ張られてしまう。
これから先のことに不安も覚える。
父は「先に食べてくれ」、と言うが、それなら彼女とふたりでの食卓になる。
四人での食卓でもここまで決まりが悪くなるのに、ふたりきりだなんて。
なんというか、申し訳ない気持ちになってくる……。
お互いに凄まじく居心地が悪いだろうし、彩花は理久の比ではないほど気を遣うのは目に見えていた。
望んで食卓につくわけではない。
だというのに、ちょっとだけ心が盛り上がってしまうことに、自己嫌悪に陥る。
彩花のほうは冗談じゃないだろうに。
しかし、父が帰ってくるのはいつも遅く、理久が適当に先に済ますことも多い。いっしょに食べられればいいね、くらいの曖昧な取り決めに彩花を付き合わせるより、最初から時間を決めたほうがいいのは確かだ。
あの口ぶりだと、香澄も父とそれほど帰宅時間は変わらなさそうだし。
「あの、理久くん」
そんなことをぼんやり考えていると、香澄からの視線に気付いた。
彼女の瞳はやわらかく、彩花を見るときはもちろん、理久に対してもやさしい光を向けている。
しかし、今の彼女の目はどこまでも真剣そのものだった。
その様子に、理久は怯んでしまう。
それが気のせいでないことを証明するように、香澄の声は強張りを感じるものだった。
「わたしと慎兄は仕事に出ちゃうから、昼間は理久くんと彩花のふたりになっちゃうんだけど……。この子のこと、よろしくね。もし何かあったら、すぐに連絡してくれていいから」
「あ、は、はい……」
妙な剣幕に、押されてしまう。
よろしく、と言われても。
特にすることはなさそうだけど……。
思わず首を傾げそうになっていると、彩花が「お母さん……」と遠慮がちに香澄の袖を引っ張った。
父は父で、気まずそうにビールを口に含んでいる。
そこで香澄ははっとして、取り繕うような笑みを浮かべた。
それでもまだ、突然湧いた緊張感はこの場に残っている。
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