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無言で続きを促した俺から視線を外して彼は口を開く。
「父さんは魔物に殺された。寝てる間に家ごと壊されて、食われて。骨も残らなかった。ぼくはそのとき家にいなかったから無事だった。父さんと二人だったのに、一人で生き残ってしまった」
一点を見つめる瞳は黒く、銃身と同じに光っている。
「だからぼくは父さんを殺した魔物を殺す」
故郷を捨て、姿も掴めない
俺はそれらの様を幻視して、奴の双眸と銃口の暗さをこの目に認めて、それから両手をパン! と打ち鳴らした。
ハルカがはっと顎を上げる。
「写真家さん?」
「テンションコントロールが下手なのはよくないぞ」
「え、ごめん何」
「お前は自分が、現実を生きている人間だってことをちゃんと分かってるか?」
「……何の話?」
「お前の話だ、ハルカ」
サイドボードから飛び降りて固いマットレスへ着地する。困惑に丸くなった目を見つめながらあぐらで座った。
「その過去も、動機も目的も、大事だ。無視しちゃならんものだ。でもお前がそれに生かされてちゃ駄目なんだよ。そこはきちんと切り分けなくちゃ、いつか自分を見失っちまうんだよ。
お前は人生を劇的だと思いすぎている。敢えて言うが、お前のそれは別に悲劇でも何でもない、ありふれているよ」
その瞳に怒りが散ったのを俺はしかと見た。そうだ、怒っていい。お前はまだ子供だ。
「過去でも未来でもない、今目の前を見ろ。今の自分を目的のために
俺があまりに長々と話すので奴は途中から怒りを忘れてしまったらしい。呆けたような顔で何度もまばたきをし、まっすぐ突きつけられた言葉ひとつひとつの意味を噛み締めるようにしながら時間を掛けて俺の言いたいことを飲み込んでくれた。
白かった頬に生気が戻り奴は恨めしそうに枕へ口元を埋めた。
「……おじさんはそうやって、すぐ説教をするよね」
くぐもった憎まれ口にも寛容に笑ってやる。
「必要だと思うからな」
「よく分かんなかったよ」
「分かるときが来るさ。今じゃなくてもこの先で」
「星の光みたいだね」
脈絡もなく持ち出された喩えに今度は俺が聞き返すはめになった。ハルカは昼間と同じ気の抜けた顔で笑う。
「ここから遥か彼方にある星の光は、ずっとずっと後になって地球に届くっていうでしょ。アンタの言葉も、じゃあそういうことなのかって」
「できれば光年じゃなくて年単位で届いてほしいな、俺のは」
聡いな、と、冗談めかして返す内側で俺は感動さえ覚えていた。飲み込みの早さと、想像力とそれから素直さ。胸を突くような言葉の源泉だ。何気なく口に出したその世界観は広大かつ堅実で、星の光よりずっと明るく俺の中を照らしてくれる。
その光で明るみに出たものがある。
「写真家さんは……全部擲ったことがあるの? 現実を生きられなかったことが」
「……」
重たく埃を被った出来事。意識して見ないふりをしている過去の話だ。
眩しい子供の瞳に揺さぶられて、俺はこっくりとうなずいた。誰にもしたことがない昔の話をこの男に打ち明けてみようという気になったのだ。
「妻がそうだった。目的のために生きて──目的のために死ぬような人だったんだ」
ハルカは何も言わず耳をすましている。
「世界から病や怪我を失くすんだと本気で息巻いていた。途方もない理想を現実にできることを信じて疑わず、そのために生活のすべてを犠牲にして試み続けたんだ。製薬から医療、バイオ工学、魔術から呪術。彼女は何でもやったし何にでもなった」
そういう意味で、彼女の才は確かだったのだろう。どの方面でもその功績は大きく、妻の名は今もよく知られている。
しかし俺は普段は人懐っこく笑うその人が時々垣間見せる執念や情熱にずっと危うさを感じていた。その危うさをはっきり指摘していれば、もしかしたら結末は違っていたのかもしれないと思う。
「どうなったの、奥さん」
「死んだ。過労で」
長時間の緊張状態が続いた身体が耐えられなくなった末の心不全だったという。職場で倒れていたところを発見したのは同僚で、俺は伴侶の突然死を前にしてさえ、彼女と最後に交した言葉が何だったのかを思い出せないような有様だった。
「娘が、いるんだが」
「うん。言ってたね。ぼくと同じくらいの歳って」
「やっぱりまだ上かな。今年二十六になるはずだから」
「そう」
「妻が死んだ八年前、あの子はまだハイスクールに通う子供だった。一番親の愛情が必要な時期に、母親を喪わせちまって。俺もろくに気にかけてやれなかったことを申し訳なく思ってる」
話さなくていいようなことまで口走っている。短く息を吐いて口を閉じ、力を込めてハルカのほうを見た。他人の懺悔めいた独白を聞かされた彼は目が合うと目元だけで優しい笑みを浮かべる。
「ぼくの父さんがもし同じことを同じ顔して言うんなら、ぼくは『気にしないで』って答えると思うよ。父さんたちがぼくたちに謝ることなんて何もないんだから。……ねえ、そんな顔しないで」
どんな顔だろう、何にせよ酷い顔をしているに違いない。
そのみっともない顔を俺は隠さなかった。強がったり繕ったり、そういう見栄のようなものを張り通すにはこの夜は穏やかにすぎた。
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