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ようやく辿り着いた宿の部屋で、もうそろそろ12時間前にもなりそうな出来事を思い返したのは、ちょうどハルカがあのときと似たようなことをしていたからだ。
あぐらを崩した格好で座り込み、広い背中を子供のように丸める。長い指先が繊細に扱うのはこの部屋の電灯だった。
買取人の言葉通り古く修繕もされていないその建物はあちこちがガタついていて、俺達にあてがわれた部屋では電気がつかなかったのだ。苦情を入れたがる俺を抑えて、ハルカはなんと自分から修理を申し出た。
フロントで暇そうにしていた老年の女主人はたいそう無愛想だったが、人の好い笑顔で人が好すぎることを言ってきた客にはさすがに少々面食らった様子で、小さく「好きにしな」と呟いた。
お人好しの家電修理屋は許可通り好きにしている。機械いじり自体が好きらしく、直前までうきうき笑顔だったのが、作業に取り掛かった瞬間真剣そのものの無表情になってしまった。
日が出ているうちはあんなにうるさかったのに。集中するととことん没頭するタイプらしい。
「本職だろ。金取ればよかったのに。商売っ気ないなお前」
作業が終了し電灯が正しく作動したのを確認したあと、俺は文句を言った。満足気だったハルカは不服そうに顔をしかめる。
「そういう交渉事苦手なんだ」
「大人しいな、さすがは日本人」
「エンリョとハジの文化なんです」
「恥はともかくお前に遠慮はない」
切れ味も鋭く返すと、ハルカはぐぅっと呻いて後ろへ倒れてしまった。言い返さない。自覚はあるらしい。
砂でざらざらする床に転がりながら言い訳めいたぼやきが続いた。
「商売っ気ね、ないなあ。日本にあったお店は元々父親がやってたところで、死んだあとにぼくが継いだけど……全然上手くいかなくて潰れちゃってさ。まあ機械いじりは好きだったから気が向いたときに修理依頼とか引き受けて今までは何とか」
「ないのは商売っ気じゃなくてやる気じゃないか、単に」
「やる気ないー、お金もないぃー」
狭い部屋の汚い床で思い切り伸びをした。だらしない悲鳴がふわふわと欠伸にかき消される。俺もつられて欠伸をし、眠気の濃い頭を振った。
「いいから寝ろ。とりあえずベッド行け」
「んんん、お母さんみたい……ママ……」
「さてはお前ガキじゃなくて赤ん坊だな? 俺は自分よりデカい男のおしめを替えてやるほど優しくないぞ」
応酬は以上だった。ぬっと身を起こしたデカい子供が言う通りにベッドへ上ったからだ。俺はその脇のサイドデスクに座っていたので奴の視線を近くから浴びることになる。
「……何だ」
「写真家さんは優しいよ」
「世話はしないからな」
「そうじゃなくて」
鬱陶しそうに体の下敷きになった髪を後ろへ流す。
「ぼく、元々母親がいなくて、父さんも十年くらい前に死んじゃったからさ。ずっと一人で。だから写真家さんが、そうやって、優しいのがなんか」
まつ毛が長くて瞼の皮膚が薄い。今は俺がその顔を見下ろしていた。
「……一人でやってきたのか」
父親の店や生まれ育った国と別れて、こんなに遠くの地まで。
「うん。あのね、悲しい話じゃないんだ。今日もそうだったけど色んな人に助けてもらえたから。でも……うん、一人だった」
閉じた瞼の白さにどこか覚束ない心地がした。皮膚は眼球の形に沿って緩やかに丸く、脆い。泣くんじゃないかと一瞬焦って、するとハルカはまた突然起き上がった。
「砂まみれで気持ち悪い」
「床で寝るからだろ……」
ケープを脱いで足元へ雑に放る。ウエストポーチも外し、これは俺のいるサイドボードへ置いた。
そのとき初めて、俺はそのポーチのベルトに銃が提げられていることを知ったのだ。
「これ、」
「あ。そうだった」
お遣いの買い忘れに気づいたような気軽さでハルカはこちらを向く。特に隠そうとも弁解しようともしない。
銃。ピストルだ。くすんだ冷たい銃身と重たいシリンダーが苦々しい存在感を持っていた。銃など今時珍しくもないのに、この青年と銃火器という組み合わせがまったく似つかわしくなくて、俺は少し言葉に迷う。
「弾は入ってないよ。一度も使ったことないんだ」
そのわりによく手入れされている。
「それはまあ機械いじりの一環って言うか」
「このポーチの中身どうなってるんだ? 明らかに容量足りないだろ」
「ふふふ」
曖昧な笑みで誤魔化して、ハルカはベッドへ腹這いで横になった。顎の下に薄い枕を敷いて俺と銃を見上げる。首がつらそうだ。
電子でない回転式拳銃など久しぶりに見た俺はしげしげと無害な銃口を覗き込みながら疑問を口に出した。
「何で使わない? 魔物相手なら特に、素手より楽だろ」
「ええ? 素手のほうが楽だよ?」
「脳筋め」
「あとこれ、父さんの形見なんだ」
ハルカはごくあっさりとしている。「弾も一発だけ。だからちゃんと、ここぞって時にだけ使うんだよ」
「ここぞって時?」
「敵討ち」
あっさりと、しかしその一言が持つ力の悍ましさは隠しようがない。生命の漲るような、死の香りがするような、ひび割れた発声だった。
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