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 いい加減騒ぎ疲れた頃、ようやくフィルムの買取屋らしき看板をした店を見つけ、俺達は歓声を上げた。これで金が手に入る! ハルカの手持ちは本当に少なく、さらにカゴを買ったせいで二人分の食事どころか水にさえありつけないほどだったのだ。

 腹が減った喉渇いたと騒ぐ若者はあの魔物からの全力逃走以来動き通しで、のんびりした様子とは裏腹に結構深刻だと俺は気に掛けていた。そろそろ一度休ませたい。途中で倒れられたらこっちも困るので。


 俺はカゴから頭を出して奴の指先に例のフィルムを乗せた。

「いいか、ハルカ。お前が撮ったことにしろ。フィルムを渡して魔物の特徴を伝えて金を受け取る、それだけでいい」

「いやあの、これ……これすごく小さいよ」

中身は変わらんから受け取ってもらえるはずだ。大きさについては、まあ、適当に誤魔化せ」

「えええ」

 困惑顔で捧げ持つその手の上ではフィルムはもう何かの破片かマイクロチップにしか見えない。吹けば飛びそうだ。俺はそのあたり、深く考えると頭痛がしそうな事実から冷静に目を背けてハルカを急かした。



「──ごめんください」

 店は小綺麗な煙草屋といった構えだ。実際にフィルムの買い取りだけでなくそういった嗜好品等も売っているところも少なくない。

 公的機関の管理下なので信用には足るはずなのだが、奥から出てきた男はどうにも胡乱だった。

「何、新聞?」

 無精髭に咥え煙草の若い男だ。ヘタレのハルカはもっと役所的な出迎えを想定していたらしい、明らかに出鼻を挫かれて言葉に詰まっている。

「えっと、フィルムの買い取りを」

「ああ写真家ね。見ない顔だなぁ」

「旅しててさ」

 買取人の無遠慮な視線に見つからないよう俺は身を縮めてカゴの網目からハラハラ様子を見守った。

「若いのによくやるね。で、現物」


 それまで特に怪しんだ様子もなかった買取人だが、ハルカがつまんで差し出した『現物』にはさすがに顔をしかめた。

「何だこれ、これがそうだっての?」

「ハイ……ちょっとトラブルがあってさ。あ、でも中身は変わらないらしいから!」

 馬鹿。不審極まりない台詞である。

「トラブルなぁ」

 男は煙草を灰皿に安置してためつ眇めつした。そこで突き返されるかと思ったが、意外にも肩を竦めて「本物かどうか見させてもらうぜ。そこで待ってな」と奥へ下がって行った。


 嘘がつけない若者は、煙草の煙と共に消えた買取人の背を呆然と見送って呟く。

「この界隈の人ってみんなガラ悪いの……?」

「ああ?」

「何でもないです」

 魔術会の系列とはいえ、こういう小さな店の人間はバイトだろうと思う。俺達が向かう支部など広く研究をする施設には、ハルカのイメージ通り研究者然とした職員が多くいた。

「ていうかお前、もう少し上手くやれよ」

「無理だよ! そういうの先に教えてよちゃんと」

「器用なのか不器用なのか分からねぇな」

 小声でやり合っているうちに買取人が戻って来た。不審の色は既になく、何故か笑いを堪えるような奇妙な顔をしている。


「写真家さん、こりゃ、マジで本物だな?」

「えっあっ、そうだよ! そう言ったでしょ」

「すげえなぁ。どんなトラブルがあったらこんなことになるんだ」

「それはあれ……プライバシーってやつ」

 わははと買取人は笑った。煙草を消して、棚から出した紙とペンをハルカに滑らせる。「これに名前とIDと魔物の詳細書いて」


 ハルカは一瞬俺へ目配せして、自分の情報を書き込んでいく。俺は奴の胸のあたりで一人ほっと脱力していた。これを書けばあとは金を受け取るだけだ。

 書類を渡し、入れ違いで紙幣をもらう。ハルカは声に出して枚数を数え、相場通りであることを俺に確認させた。

 満足だ。当面はこれで困らないだろう。


 にこやかに礼を言って買取屋を去り、しばらく歩いた。角を曲がって店が見えなくなったところで、ハルカは「ぐあーっ」と叫びながら天を仰いだ。

「怖かった……」

「そんなにか」

「ねえ、IDから身元調べられたりしない? 身分偽造で捕まったりしない?」

「大丈夫だろ、多分」

「多分!」

 大げさに天を仰いでいる。何をそんなに怖がることがあるのか、俺は可笑しかった。敢えて曖昧に誤魔化しながら、実際にそうなったら事情を話せばいいだろうなと思う。


 ハルカはしばらくブツブツそわそわしていたが、何かに気づいたようにふと黙った。俺が見上げると、きゅっと口元を引き締めて前を凝視している。進行方向、マーケットの入り口。

「写真家さん……お腹空いた」

「そうだな」

「たくさんお店があるよ」

「そうだろうな」

「写真家さんは、その体で食べられるの?」

「うるせぇ」

 腹は確かに減っている。いるが、サイズ的におそらくパンがふた切れもあれば足りそうな容量だった。今度はハルカがからかうように笑う。

「お前の分けてくれ」

「食費浮いていいね」

「おう。その調子でいい方向に考えていこうな」

 深追いしては自身の状況にとことん落ち込んでしまいそうなので、俺は努めて明るい声を張る。


「飯もそうだが他にもいろいろ入用だ。宿もあるし、あまり使いすぎるなよ」

「はあい」

 もう昼だ。

 まだ夜も明けぬうちから始まった行軍はここに来て小休止を迎える。海からの風を受け止める石壁と柔らかい土の匂い。白い日の下でそれらは悠揚だ。


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