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巨体が地面を揺らして横倒しになる。俺はゴミ箱から飛び降りて、すぐさまカメラを構えた。
「退け」
レンズに他のものが映り込んではならない。映った生き物は区別なく魂を撮られてしまうからだ。
数時間前にこの説明を聞いていた青年の理解は早かった。何も言わず後退するのに入れ違って、俺は十分に、低く弱い息が聞こえるほどまで十分に近づいて、シャッターを押した。
この仕事が危険とされる理由がこれだった。カメラの有効範囲内は狭く、凶暴な魔物の目前で三十秒動いてはならない。
正確にはカメラを動かしてはならない、だ。もっと分かりやすく手ブレ厳禁と言ってもいい。ともかく撮影者も被写体も静止したまま三十秒だ。
俺は問題なく落ち着いていた。かつてなく対象が巨大――俺自身と比較してだ――であるが、相手は気絶している。猛毒ヘビの呼気に半分死にかけながら耐えた時間なんかよりはよほど楽であった。
パチンと手応えがあって、カメラが熱を帯びた。成功だ。俺は詰めていた息を吐き出して後退する。と、後ろから汗ばんだ両手に脇の下を抱えられた。
「おい」
「終わった?」
脳天気そうな顔の若者が目の高さに俺を持ち上げる。こいつにとってはちょっとミニマムな猫といった感覚なのだろうが、当然俺は猫ではない。シッシと手で払って視線から逃れ、仕事道具を見下ろした。
魂を撮る、その仕組みは欧州の魔術会が編み出した尋常ならざる術式によるものだが、シャッターを押し対象を撮影して現像するという過程は実際のフィルムカメラに従っている。この魔物の魂を閉じ込めたフィルムが音を立てて印刷され、同時に抜け殻になった巨体がざっと消滅した。
「あ」
頭上で青年が声を上げたのは、魔物の消滅と同時に勝手に修繕された建物や路面を目撃したからだろう。魔術や呪術はいまだに一般には浸透していないし、このあたりには魔物が出ることすらほとんどないのだろう。彼だけでなく集まってきた周辺住民も驚きざわめいていた。
すごいねえ、と青年は手品劇でも鑑賞しているような調子だ。
「全部元に戻るんだ」
「ああ。殺された生き物以外は全部。厳密には『なかったことになる』んだが」
「違いある?」
「あんまり」
フィルムを専用のアルバムに差し込んで懐に仕舞い、俺は奴の手の上で顎をしゃくる。進め、の合図だ。これ以上とどまって野次馬に注目されたくなかったのだ、特にこの体を。
ぼんやりしているわりに奴は聡い男で、俺の無言の指図にも軽く肩をすくめただけで踵を返した。
きちんと帽子を回収して深く被り直す姿を見ながら、なんでこいつ帽子があるのにフード付きの上着羽織ってるんだ、と思う。結構な長身の膝上までを覆う黒のシルエットは洒落っ気もなくくたびれて、そのわりに同色のキャスケットは古いが質の良さそうな品だった。
ちぐはぐさが似合う浮世離れした青年と、中心街の方向へ歩き出しながら真面目な顔で話続ける。
「アンタのその、ちっちゃくなる呪い?も、じゃあ写真で撮ればよかったんだね」
「そうだな、本当にその通りだな。どっかの誰かが横から突進して来なきゃあな」
「それはもう謝ったじゃん」
謝って済む話かと俺は目を剥いた。魔物を追って長い旅の身の上だ。決まった住処もなければ頼れるあてもほとんどない、寂しい男やもめが全長十五センチメートルに縮むなんて、どういう類いの悲劇だろうか。あるいは喜劇か? やかましい。
「手持ちの金も一緒に縮んで、これじゃ使えねえんだ。何よりまともに仕事もできないし、通り歩くだけでうっかり誰かに踏み潰されかねない。ないない尽くしだ、お前のせいで」
「いや悪いのは呪い掛けたあのカメレオンもどきで……」
「なんだ、もう一度言うか? この会話を頭からやり直さねえと理解できないような馬鹿なのか、お前は」
下から思い切り睨み上げれば奴は軽口をやめて肩を落とした。
「ごめんなさい……」
このくらいの年頃にしてはやはり素直な奴である。この平和なお子様のどこにあんなパワーがあるのだろうとつくづく不思議に思ってしまった。
ひょろりと長い手足はいかにも軟弱で、身長はおそらく俺より高いのに体重は俺より軽そうだ。日に焼けない頬はつやつやとして丸く、この辺りでは珍しい黒い目は溌剌としている。これまた珍しい黒髪は頭の高いところで一つに結ってあって、それでもなお長い。少女めいた顔立ちながら逞しく思えるのは、長身に加えて身のこなしに隙がないからだ。
「とりあえず、隣国にある魔術会支部へ行けばまだ解決の道はあるはずだ。それまで働いてもらうぞ」
「はあい、ボス」
そういう顛末である。
森の外れで最悪な出会い方をしたこの若者は思ったよりも扱いやすく、状況も絶望的なまでではなかった。自分では満足に移動もできない体を情けなく思うも、とにかく悲観的になってはいけない。
何事も冷静に。そうすれば大抵のことは何とかなるのだと、俺は知っている。
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