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帰ってきた役所は混乱の中にあった。

これまでに類を見ないほどの量の郷が同時に“栞“を挟まれたことが確認され、さらに同様の状態であろう他国から大量の花嫁が漂着し__ある者は生きながらえ、あるものは死に絶えながら__中にはやむを得ず送り出された少年もおり、どの名簿がどこのものか、誰がどれか、連日上へ下への大騒ぎだった。

ナギは比較的下の方の地位に属していたが、上部の人手が足りなくなってくると、やがて機密文書の管理などに回されるようになった。毎日ナギは、人の目を盗んで漂着した花嫁の名簿に目を通し続けた。アオイの名は、見当たらなかった。


混乱は年内には世界中に広がっていた。帰郷する者を乗せる船はめっきり減り、多くの者が“力”を使えず、帰郷もできなくなっていた。ナギのような役人ならばそこまで困ることはないが、“力”によって生計を立てていた者達は窮地に陥り、毎日絶えず役所に駆け込んできた。年末年始もずっと働き詰めで__今年はアレ達と酒は飲まなかった__気がつけば雪が溶け、春が過ぎ、いつもならテルネリカで見ている筈の星々が夜に頭上に浮かぶようになった。

もうあれから一年以上が過ぎていた。アオイの行方は知れない。どこかで幸せに暮らしているか、或いは__ナギは考えるのをやめた。

国内の混乱は収まりつつあった。まだまだ諸国の中には依然混乱の只中のところもあるが、タルツィラヌはどうにか佳境を乗り越えたようだった。役所の仕事量も徐々に減ってきたため、帰郷も考えたが、テルネリカからの花嫁によれば今は帰郷者を万全に受け入れる体制が整っていないらしく、難しいとのことだった。今年、ナギは“力”が使えない。役人の仕事ではあまり使う機会がないため、特に困ることはないが、生まれてからずっと自分の中にあった物が一時的であれど消えてしまうということはどことなく不安なものだ。

懐から小袋を取り出した。帰郷をしていないから、中は空の筈だった。しかし開いたナギを待っていたのは、二つに分かれて回転する金色の炎だった。それは見ている間に一つにまとまり、粘土のようにゆっくりと変形し、花の形になった。


目録を探すために中央図書館の閲覧室にいると、偶然ピョドと出会った。この後特になかったら、ちょっと話そう、と言われ、二人で食堂へ向かった。

「急にごめんね。久しぶりだったし、気になることがあって。それと、手を練習したから、筆談しなくていいよ」

「他国の人にとっては結構難しい筈なのに。すごい」

ピョドは前みたいに大きく笑った。

「仕事でテルネリカの人と関わる機会があってね。教えて貰ったのよ。話が変わっちゃうけど、この前帰郷ってした?」

「ううん、していない」

「それじゃ、今度こそ袋は空っぽ?」

ナギは驚いた。自分も誰かにこの状態のことを話したいと思っていたからだ。

「それが、消えていなくて」

そう言ってナギは袋の中の“使い”をピョドに見せた。ピョドは興味深そうに目を大きくして眺めた。

「二年も経っているのに消えていない!そんなことってあるの?面白い…ねえナギ、もしもあなたがよかったらで構わないのだけど、少し私に分けて貰えない?」

「一体どうして?」

「ああ、言い忘れていた!私、実は発明家なの。発明というかは研究のほうに近いかな。物をじっくり見て、新しい使い方を模索する」

ピョドがそう言い終わる前に、“使い”の一部が小さく千切れ、ピョドのペンダントに入っていった。本体の方は質量が減った筈なのに、大きさは変わっていない。

「へええ!復元能力もあるんだ!郷にいる本体だけだと思っていたのに!観察しがいがありそうね、ありがとう!何かあったら連絡するわ」

ナギは早く観察したくてたまらないという表情をしていたピョドとは早々に話を切り上げると、目録を抱えて役所へ駆け戻った。


後に“世界短編集”と呼ばれるこの一連の騒動が下火になるまでの間、ナギは海辺に流れ着いた船やその残骸を見つけると軌跡を見るようにし、テルネリカから漂着したという花嫁には一人残らず会いに行くようにしていた。会う人全て__時には隣郷の者もいた__にアオイという花嫁は知らないか、名前だけでも聞いたことはないか、と尋ね続けたが、有力な手がかりが得られることはなかった。

半ば諦めかけ、もうアオイのことは忘れるべきだろうか、と思い始めていた頃、いつものようにテルネリカからの花嫁の受け入れ作業をしていた時に、花嫁の中の一人が別れ際にナギに話しかけてきた。

「役人さんの言っているアオイさんかどうかはわからないけれど、言っていた特徴とよく似た花嫁は見かけたよ」

ナギは花嫁に掴みかからん勢いで続きをせがんだ。

「その人がどうしていたか、覚えている限り教えて欲しい」

花嫁は驚いた表情をした後、暫くの間視線を泳がせ、気まずそうに下を見つめながら話し始めた。

「私がその人を海で見かけた時には、もう…まるで、眠っていたみたいに」

ナギは心の中の何かが消えていくのを感じた。今までナギを突き動かしていた物が突然衝撃を受けたように止まり、段々と実体を失っていく。かがみ込まないように立っているだけで精一杯だった。

「とても美しくて、周りの花は枯れてしまっていたけど、もしも咲いていたら、それこそ人形みたいに見えていたと思うくらいに綺麗な人だった。あと、同じ花を一輪、胸元で握っていた。もちろん枯れていたけれど…私はその人を弔う気力も残っていなかったから、何もしなかったら静かに遠くへ流れていった。…ごめんなさい、不快にしてしまったら…私が見たその人がアオイさんって決まったわけじゃないし…」

「いいや、大丈夫。ありがとう」

花嫁は他の漂着仲間を追って早足で出て行った。ナギは茫然としてその場に立ち尽くしていた。胸と腹の間の辺りに熱を失ったような空間ができていた。

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