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「あちらの里にも“栞”が挟まれたそうだ。ナギ、確認に行くぞ」

上司のジンがナギを連れて西のハヌジュ港へ向かった。

“栞”が挟まれる__それが何を意味するかは、この世界に暮らす者ならすぐにわかるはずだ。

郷(タルツィラヌでは“里“という)にいる“使い”は永久不滅のものではなく、各国の神がそれぞれに力を与えたいわば分身に近いものであり、天災か宿命か、数十年に一度程の頻度で“栞”と呼ばれる状態になる郷が出てくる。

“栞”になると、それまで“使い”によって司られていた天候などが乱れ、郷は少しずつ荒れていく。その郷の終焉__すなわち区切りという意味を込めて、人々はこの現象を“栞”が挟まれる、と呼ぶ。

そうは言っても必ずその郷が滅ぶ運命にある訳でもなく、郷から一人“花嫁”として一人未婚の娘を送り出せば“使い”は再び元の姿に戻る。

送り出された娘達は花嫁衣装を纏い、木の船に乗って海を漂う。彼女達はどこか異国の船に拾われるか、海を巡る。

「ここだ。“使い”の状態を見てくる。住民に話を聞いておいてくれ」

「わかりました」

着いた里は絶えず強風の吹く、寂れた場所だった。空気が乾燥しているせいか、風が砂埃を巻き上げ、景色が茶色がかって見える。

一番近くで活字箱を抱えた女性に自分は首都から来た役人だが、テルネリカの者であるから筆談で話を聞きたいという旨を伝えた。

「つい一月前に隣里も挟まれたっていうから、もしやと思っていたけれど…まさかこんなにすぐに来てしまうなんてねえ」

彼女はそう書いた紙をナギに手渡すと、重そうな箱を大切そうにさすり始めた。

「今年は世界的にもこれまでに増してそうなっている里が多いそうです」

「そう…でも明日、花嫁が出発するから、早く元に戻ってくれるといいねえ」

その文を読み終えた時、ちょうどジンが戻ってきた。

「確認が終わった。花嫁の方に行くぞ」


花嫁は里の中で一番大きな建物の中にいた。

白い肌に、細い切長のアオイに似た目を持ち、まっすぐな髪を結えて白い布に包んだ花嫁は多くの人に囲まれ、静かに佇んでいた。

ジンが何か言葉を発すると、他の人々は一斉に部屋の外へ出ていった。

続けてジンは何やら発していたようだが、花嫁はこちらを暫く見つめたあと、懐から筆談具を取り出した。

「申し訳ありません。私はタルツィラヌの者ですが、生まれつき耳が聞こえないのです。会話は筆談か手でお願い致します」

こう書くことに慣れているのか白い紙の上に迷いなく綴られた文字にナギが見惚れていると、ジンが「おい。手で行くぞ」と言って話し始めた。

「我々は役所の者です。私はジン、こちらはテルネリカのナギです。貴女の出発を祝うために来ました」

花嫁は少し目を見開き、しなやかな動作で話した。タルツィラヌの者、テルネリカの者とも違う異質な雰囲気を纏っていた。

「ありがとうございます。私はユンナです。ご存知の通り、ハヌジュの“栞”を抜くために、明日、旅立ちます」

「おめでとうございます。貴女の綴る物語が良いものでありますように」

「いつか物語が出逢わんことを。…里の皆さんは、私がいなくなって気が楽になるでしょうね」

ナギがそんなことはない、と言おうとしたが、ジンが手で制した。他人の気持ちを自らの尺で測るのは良くない。このような異国の、よく知らない里ではなおさらだ。

「一体なぜそのようにお考えになるのですか?」

ユンナは少し躊躇うようにし、やがてどこか諦めたように手を挙げて言葉を紡ぎだした。

「私はタルツィラヌの父とフォンシュンの母を持ちます。父は若い頃、旅商人をやっていて、フォンシュンで母と出会いました。やがて二人は恋に落ち、父は母を連れて帰ってきました。しかし、タルツィラヌは…特にこの辺りなんかでは、まだ異国の者には厳しく、当然二人も里では厳しい扱いを受けました。それでも父はなんとか人々を説得し、どうにか二人で暮らすことを周囲に認めてもらいました。そんな中生まれたのが私です。

ところで、異国間の子供にもたらされる弊害はご存知ですよね?」

ナギとジンが同時に頷く。

「同国内での婚姻では、子供はその国の民の力を持って生まれてきます。ですが、私のような異国間の子供は、生まれた土地の能力を持って生まれてきます。私はタルツィラヌで生まれましたから、時渡りの能力を持っています。しかし…ごく稀に、さらなる変化を持って生まれてくる子供がいますよね。…私は耳の力を失って生まれてきたのです」

ナギは唾を飲み込んだ。

「元々里の皆さんは国際結婚をした両親のことを快くは思っておりませんでしたから、私の耳が聞こえないとわかるや、再び私達一家に冷たく当たるようになりました。当然です、私とは他の人と同じような速度では会話を成立させることはできないのですから。…そうして今、“栞”が挟まれ、里では誰を花嫁にするか問題になりました。私は真っ先に申し出ました。今まで散々迷惑をかけてきた私が、里の皆さんを救える唯一の機会ですから」

そう語るユンナの目は誇らしげでさえあった。いつしか微笑を浮かべていた彼女の目を見て、ナギはアオイの泣きそうな瞳を思い出した。

「明日の旅立ちが楽しみです。御二方も、どうかお元気で」

ユンナはもう話すことはない、というように両手を膝の上に載せた。両親の行方は、二人とも尋ねなかった。


新年を迎える夜に、帰郷せずに残った役人仲間たちと酒を飲んだ。彼らはナギと同じように年の暮れでない時期に帰郷する者か、タルツィラヌ出身のもの、あるいは事情があって帰らない者たちだったので、ナギと話の合う者が多くいた。

日が沈み切る前に飲んでしまおう、と仕事を早々に切り上げ、酒場で大樽に囲まれながら宴を始めた。

「そういえば、ギオのやつはこの秋に結婚したらしいぞ。ナギもそろそろいい人くらいはいないのか?」

皆が二杯ほど飲んだ頃に隣にいたアレに尋ねられた。アレは以前テルネリカに赴任していた経験があり、同僚の中ではナギと最も円滑に会話をすることのできる数少ない友人だった。

「いや、今は何とも…まだまだ家庭を持つには未熟だと思う」

「そんなこと言ってると目ぼしい奴らはすぐにいなくなってしまうぞ?妹が働いている活字所に良い感じの奴が何人かいるから、今度紹介してやろうか?」

「せっかくだけど、遠慮しておくよ。ありがとう」

アレは期待外れだという顔をして、もう一杯を飲み干した。

ナギは比較的人づきあいが良好な方ではあると思っている。同僚達とこうやって酒を酌み交わすことも珍しくないし、何度か求婚されたこともある。その度にナギは断ってきた。いつか、きちんと迎えにいくために。

いつか、いつか…空になったグラスの縁を眺めながら、ナギの脳裏にアオイの悲しげな顔が浮かんでは消える。いつか、一人前になったら…

そのいつかというのは、一体いつやってくるのだろう?

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