37「ほとけのかおは」

 真っ暗い部屋の中で、私はずっと夢を見ていた。


『りつか、彼氏できたら何したいー?』

『え、私? できない、と思う……けど』

『できるよー。めっちゃかわいいもん』

『う……リリちゃんだけだよぅ、そんなの言ってくれるの』


 同級生のリリちゃんは、スポーツが得意でいつでも駆け回っていて、まるで男の子のようだった。あの子と歩くときは、自分より背が低い彼氏と歩いているように感じられた。よりいっそうコンプレックスを刺激されたけれど……こんな時間も悪くないと、ほんの少しだけ思えていた。


 お互いに、あの子のかわいいところは私だけが知っている、なんて思っていたらしい。こんなの漫画じゃんと言われて、漫画だねと答えた。いつも行く書店で好きな漫画をおすすめし合ったり、行ったことのないカフェで知らない味を知ったりした。リリちゃんは、誰よりもまぶしい私の彼氏だった――と、今でも思う。


『いつもリリちゃんとしてること、したい、かな』

『そうだよねー、けっこうデートだもんねー?』

『うん。いっしょの音楽聞いたり、とか……お揃いの服着たりとかも、したい』

『うわー、めっちゃ理想高い! でもいい!』


 一人で過ごしてばかりで、誰かと同じことをするのが苦手だった。だから、“同じ”に憧れていた。男の子と同じことをするのはとても難しいだろうけど、それが私の憧れだった。お互いの色に染まる、と表現したリリちゃんと手をくっつけると、彼女は日焼けしていて、ぜんぜん違う色だった。お腹が痛くなるくらい笑えた。


 それから何年も過ぎて、一年くらい家事手伝い……という名の無職をやって、探索者になった。背は高くても、おどおどして髪の毛もぼさぼさの私を好きになってくれる人はいなかった。これが「ありのまま」ではないことは分かっていたけれど、本当の自分がどこにいるのか分からなくなっていた。


 何か月も行方不明で、電話に出なくなっていたことを知った。最後に会ったとき、いったい何を言っていたかが思い出せなかった。怖くてたまらなくて、涙が止まらなかった。抱きしめてくれる人にすがった私は――そのまま。


『羽沢さん? 私の友達と、同じ名前……』

『友達ってどんな名前だったの?』

『リリちゃん……羽沢、リリナ。活発な子』

『それ、私のお姉ちゃんだ! って言うか、よく見たら「りつか」さんと同じ顔』

『うん。私の名前、りつか』

『おぉー、世間って思ったより狭いね。ゆきみんって呼ぶね!』


 友達の妹と真隣のアパートに引っ越して、私は新天地で生まれ変われるはずだった。


「マナを補充するんだ、早くしろ! こんな低レベルの雑魚に……イレギュラーがあろうと、負けるはずがないんだ!」


 幸せになれるはずだった。けれど、彼の知っているそれは、私の求めていたものとはまったく違った。彼に抱かれて、ほんの一瞬だけは幸せになれたけれど、一緒にいることはできなかった。


「何をしてる、早くしろっ……この僕が死ぬだろうが! 早く!!」

「い、や……」


 抱きしめられるように抱きしめて、愛されるように愛して、隣を歩きたかった。誰かが言っていたことを思い出した……「思っていない言葉なんて、口からは出てこない」。奪う幸せばかりを知っているから、奪う幸せしか知らない人がいる、と言ってしまったのだ。そんなふうに扱われるなら、私もそうすることにした。


 愛してくれないなら、愛さない。きっと、自分から愛さなければならなかったのだろう。私にはもう、それができないと分かっていた。


「ぐおむっ、やめろっ、やめろぉ! 僕は世界を動かす側の人間なんだぞ!」

「警察を動かすの間違いでしょ! 見苦しいのよ!」


 友達になってくれた女の子の声が、とても力強く聞こえていた。


「人を殺した感触は、……どうだい? 罪を犯した気分は」

「もう慣れたよ、お前のおかげでな」

「何から、何まで……思い通りに、ならないやつだな。君は」

「どこからどこまで思い通りにしようとしてんだよ、お前は」


 困惑しつつも、私にふつうに接してくれた男性の声が聞こえている。




『会いに来るの遅くなっちゃったなー。ごめん、りつか』

『今度はどこ行くの?』

『もうちょっと妹の面倒見なきゃいけないの。末っ子で甘えん坊だから』

『そうは見えなかったけど。……何するか、考えとくね』

『りつかとなら、何しても楽しいし。でも、楽しみにしてる』

『期待してて。いろいろ、いっぱい考えるから』


 固く冷えていた体に、最後に残った熱が消えていく。


「ゆきみん! ねえ……友達になれたと思ったのに!」

「どうしようも、なかったのかよ……」


 ただ待つだけではない、楽しみに待つということを知った。いま幸せでなくても、この先の幸せを想像できるようになった。それはきっと、この瞬間に幸せであることと同じくらい幸せなことだ。


「おぼえてて、くれた、ね」


 ほんの少しだけ不安に思って、メッセージを打ち込む手を止めた。それが、彼女がここへ来るきっかけになった。はっきりと言っていない言葉が伝わっていたことが、何よりも確かな友達の証のように感じられた。


「しあわせに、……なれるよ。きっと」


 彼女の周りには、たくさんの仲間や友人がいる。そばにいてくれる人に恵まれて、愛してくれる人がいる。私が心配することは、何もない。視界がだんだんとぼやけて、真っ暗くなっていく。けれど――


 私は、笑えていた。

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