#6 柱時計に身を隠し
父は、みちるにはあまり乱暴をしなかった。
というか、みちるに手が挙げられる前に、いつも琉生がかくまってくれたのだ。クローゼットや、机の下、二段ベッドの上の毛布の中、暗くて狭くて、大人の手が届きにくいところに。
暗いところに良い思い出はない。聞こえてくるのは父の怒号と母の悲鳴、琉生の制止する声。なにも見えないから、その音だけが鮮明な思い出だ。否が応でも聞こえてくる、暗いのは、怖い。
暗い世界。ああ夢かとみちるは悟る。何色も映さなくなったはずのみちるの死んだ網膜はじわり、と滲む赤色を夢想した。その赤が何の色か、みちるは多分、知っているのだけど、夢だと分かっているのだけれど、ああ、だめだ、痛い、怖い、怖い、助けて、兄さん! 求めた先の、みちると同じヘーゼルの瞳、それは、みちるをすり抜けて、もう光を灯さない。
「みちる」
琉生の呼びかける声が、みちるの意識を夢から覚ました。はっと現実を確認して浅く呼吸を繰り返す。
「みちる、大丈夫」
「ええ……ええ。大丈夫」
自身に言って聞かせるように、宥める言葉を繰り返す。
嫌な夢だ。悪夢はやたら、琉生をみちるから奪おうとする。そのたびに手を伸ばして、泣き叫んで、優しい琉生に呼び覚まされる。
「いやに、多いね、最近。疲れている? ストレスが溜まっているのかな」
「ううん、平気……」
飽きず気を使ってくれる琉生に首をゆるく揺らしながら答えて、けれどと思う。確かにここ数週間、妙に悪夢が続いていた。そのたびに琉生が声をかけてくれたし、その存在に安堵しては、いたのだけど。
「ねえ兄さん、しばらく大学はお休みできない? なんだかとても嫌な感じ。傍にいて」
「ああ、もちろん。琉生とみちるは二人きりだから」
琉生は躊躇いなく合い言葉を口にして、ああけれど、と言葉を継いだ。
「先日知り合った友人と夕飯の約束があったんだ。明後日かな、一日だけ、我慢できる?」
珍しく琉生がみちるより優先する事柄があることに、みちるはほんの少し驚いたけれど、人との関わりに積極的でない琉生が知り合ったばかりの相手を“友人”と口走るのが嬉しくもあった。
「ええ、もちろん。だって、」
同時に少しだけ、寂しさが棘となってみちるの心にひっかかりはしたのだけど。
「だって、みちると琉生は二人きりだもの、ね」
引っかけた傷から滲むものを、すべて拭ってしまうような、二人だけの合い言葉。口ずさめば、みちるの世界は完璧になる。
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