#4 旅人は北風にさらされ


 琉生は第三月曜が嫌いだ。透明な板越し、飾り気のないその女性はいつも疲れ、困ったように微笑んでいる。


「……ひさしぶりね。元気にしている?」

「変わりないよ」

「そう。……その、二人とも?」

「何度も言わせないでよ。みちるも元気」

「そ、そう、ごめんなさい」


 おどおどと視線を泳がせるその女性を、琉生は無表情に観察する。決して気の強い人ではない。それなのにこの人は過去大きな罪を犯して、この透明な板の向こうにいる。


「あの、……目の調子は、どう?」

「……あなたがみちるの様子を知る必要がある?」

「そりゃ、……これでも親なのよ」


 その単語を発するときだけ、この人は強い目をする。それは紛れもない事実だと言わんばかりに。琉生は鼻を鳴らした。よくもまあぬけぬけと。


「子供のこと、ろくに守れもしないくせに」


 琉生の言葉に、彼女ははっとしたように息を呑んだ。


「いまさら母親面するなよ」


 たとえ、この人の腹の中でみちると巡り会ったのだとしても。いくら母体に無理をかけてこの世に生を受けたとしても。琉生はこの人を許さないだろう。


 この人の不幸は重々承知だ。琉生とみちるの父親は、普段こそ社交的でエリート街道まっしぐらではあったが、仕事のストレスを家庭へぶつける男で、その矛先はこの人や琉生にも向かった。許すからいけないのだと、琉生は思う。こちらが悪いと口走り、拳を振り上げることを許すから、あの男は暴力を止めなかった。手段はあったはずだ、この人が、あそこまで怯えきって、追い詰められなければ。


 思い出す。奇しくもあれは、みちるが事故にあったのと同じ頃だ。琉生の目の前にうつ伏せに倒れる、大柄な男。その背には、家で一番大きな三徳包丁が、深々と刺さって。男を挟んで、正面に、この人は呆然と立っていた。


 そうして、はっとしたように駆け寄ってきて、琉生の目を伏せさせた。




「あなたはなにも知らない。なにも見ていない」




 何度も何度も、洗脳するように呟くその人を、いつまでも母と慕えるわけがない。あの日から、琉生とみちるは二人きりなのだ。


「軽い気持ちで干渉するな、この人殺し」


 その言葉で、琉生は母を殺す。自信をなくし暗く曇ったヘーゼルの瞳。どう足掻いたってこの人との血の繋がりを示す色。月に一度だけ、みちるの様子を伝えるために、琉生はこの曇ったヘーゼルと目を合わせる。鬱屈した30分間、まもなく、タイムリミットだ。


 たとえ再びみちるの目に光が戻ろうとも、琉生はこの人にそれを伝えるつもりはなかった。今月もそう、変わりないよ、琉生とみちるは永遠、二人きりだ。


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